1-7. デコイ作戦



 警視庁サイバー犯罪対策課、略称「サイ対」。


 P-SIMデータベースを活用した捜査体制を確立してからというもの、あらゆる犯罪の初動捜査を引き受け、警視庁の検挙率を大幅に向上させたサイバー犯罪のスペシャリスト集団。


 私とケンスケはヨシハラに連絡した後、自宅からサイ対の会議室に移動していた。


「本当に、本気なのかい? 『ナポレオン』をおびき出すために偽情報を流すだなんて。それはつまり、警察が嘘をつくってことになるだろう」


 会議室に入ってからというもの、スキンヘッドで恰幅のいい警察官は何度も同じ質問を繰り返していた。彼はカキタ。ヨシハラの上司で、サイバー犯罪対策課の課長だ。


 するとヨシハラが遅れて会議室に入ってきて、不安げなカキタを励ますかのように彼の肩を軽く叩いた。


「大丈夫ですよ。これまでの捜査協力の実績を見ても、ユウくんと藤沢さんの力量は十分証明されてますし。それに、万が一何かあった時は課長が責任取ってくれるんでしょう?」


「おおお俺かよ!? 吉原、お前もまだ若いとはいえ警視なんだから、ちょっとは自分の職務に対する責任感をだなぁ……」


 カキタはぶつぶつと説教を垂れたが、ヨシハラは気にせず私たちの方を向く。


「さて、作戦の詳しい内容を聞こうか。まずは、昨日逮捕した予告犯を『ナポレオン』だと偽って公表する。〈バスティーユの象〉の構成員たちは本人に会ったことがないから、情報が本当かどうか分からず混乱するだろう。だが、そのあとはどうする?」


「偽情報を流すタイミングで、インターネットの全トラフィックに対して感情フィルタリングをかけます。そして、偽情報に対し『不快』を最も強く示したトラフィックを追跡するんです。警察の情報が嘘だと分かるのは『ナポレオン』本人と、彼と近しい立場にいる人物だけ。情報の真偽について様々な感情が飛び交う中で、彼らだけは迷うことなく『不快』を示すことができるはずですから」


 すると、ヨシハラのそばに控えていた黒髪ショートの女性捜査官が恐る恐る手を挙げた。彼女はヨシハラの部下・ツツイだ。


「あの……インターネット上のトラフィックから感情なんて分かるんですか? SNSやブログの投稿の内容からなら、ある程度分かりそうですけど」


「直接的なテキスト表現によるアウトプットの他にも、意図せず感情の型が現れてしまうケースがあります。例えば、トラフィックの量、速度、頻度……例えば、執拗に同じページを何度も見ているとかですね」


 ヨシハラは何かを思い出したように手をポンと叩いた。


「ほら、筒井くんだって先日やたら口臭除去に関するページばっかり見ていたじゃないか。課長の口が臭いからどうにかしようって」


「ええっ、お、俺の……?」


「ちょ、ちょっと吉原さん! それは秘密にしていてくださいってお願いしましたよね!?」


 突然のヨシハラの暴露にカキタとツツイは困惑していたが、彼は気にせずに続けた。


「あれも一つの感情行動だね。自分の口で直接所長に言いづらいがゆえに、ネットで検索して同じ悩みを抱えている人がいないか調べたり、遠回しな対策方法がないか探したりする。抽出される感情のジャンルは『困惑』『逃避』『共感』といったところかな?」


「はい、その通りです」


「吉原さんってば!!」


 ツツイは涙目で抗議したが、彼は相変わらず素知らぬふりをしている。


 私たちをスカウトしたこと自体そうだが、ヨシハラは警察組織の中ではかなり異質な人物であるらしい。それでも彼がサイ対の中で最も厄介な〈バスティーユの象〉の案件を任され、32歳という若さで警視のポストを得ているのは、ひとえに彼の推進力と判断力によってもたらされた実績。


 だからこそ、私はこの提案──『デコイ作戦』をヨシハラに伝えたのだ。


 ヨシハラはすっと立ち上がり、真面目な顔つきになると、自分のワイズウォッチの投影式ディスプレイを拡大して会議室の壁に照射した。いつの間にまとめたのか、作戦に必要な準備について箇条書きにしたテキストが映し出される。


「決行時間は……そうだな、ネットニュースの注目が集まりやすい19時頃を狙おうか。あと3時間だね。筒井くん、うちの課のホームページ配下に発表ページを作って、追跡しやすいようにマーキング用のタグを仕込んでくれる?」


 急に仕事の表情になったヨシハラにつられたのか、ツツイは姿勢を正して「すぐやります!」と返事をすると、走って部屋から出て行った。


 カキタは大きなため息を吐きながらも、「上には説明しておくから」とヨシハラに声をかけてから会議室を後にした。ヨシハラは「いつも助かります」と軽く会釈をすると、その場に残っていた私たちに向き直って微笑んだ。


「ここから先は僕たち人間では踏み入れなかった領域だ。AIの君が『ナポレオン』に近づけるのか──この目でしっかりと見届けさせてもらうよ」






 時刻は午後6時55分。


「さぁ、いよいよだ。皆、準備はいいかい?」


 一同が緊張した面持ちで画面に向き合っている警視庁のモニタールームの中で、ヨシハラだけが高揚した様子でうろうろと部屋の中を歩き回っている。


 ヨシハラを除いて、皆不安に思っているのだろう。この作戦で成果を得られなかった場合、警察はただ世の中を混乱させる情報を放流しただけになってしまう。


 そうなったらヨシハラはどうする気なのだろう。抜け目のない彼のことだ、すでに私たちに責任をなすりつけてやり過ごすプランでも練っているのかもしれない。


「大丈夫。お前ならやれる」


 私が失敗した時のシミュレーションをしているのを見越してか、後ろに控えていたケンスケがそう言った。


「俺が作ったAIだぞ? あとはお前がになりさえすればいい」


「そうだね。擬似人格は気まぐれだから」


 〈バスティーユの象〉のことなんて、正直さほど興味をそそられない。だが、彼らの正体を暴くことで私とケンスケの存在が認められることになるのなら、私はいくらでもその問題を解こう。


 時刻は午後6時59分。


「ユウくん」


 ヨシハラの声がけに、私は頷く。


「大丈夫です。いつでも行けます」


 モニタールームの前方、大画面の前。


 私のボディには今、様々な機器につながるケーブルが接続されている。それを経由して、インターネット全体の検索トラフィック数に、地域別の基地局の通信量ゲージ、SNSでの投稿テキストデータ、警察の逆探知システム……あらゆる情報が流れこんでくる状態だ。


 この大量の情報を感情フィルタリングでふるいにかけて、今から放流する偽情報に対し怪しい動きをしたネットユーザーを特定する。


 通常のAIなら、このうちの一つのデータベースだけでも処理落ちを起こすレベルのデータ量だが、私は擬似人格プログラムによってあらかじめ処理対象にアタリをつけて、最低限に絞り込むことができる。


 これは私にしかできない仕事だ。


 時刻は19時00分。


 モニタに向き合うツツイがすっと手を挙げる。


「それでは……『デコイ作戦』、始めます」


 室内はしんと静まり返っていた。ツツイの震える指がエンターキーを叩く音が聞こえるほどに。


 正面の大画面には今回の偽情報公表のための特設ウェブページが表示された。そこには、昨日〈バスティーユの象〉のリーダーを逮捕したという嘘が描かれている。


「早速アクセスが来ています。セッション数100……500……1,000……! 通常の情報公開よりも速い……!」


 ツツイがモニタを凝視しながらウェブページへのアクセス状況を述べる。


 そろそろ私の出番だ。


「頼むぞ、ユウ」


「任せて」


 ケンスケに短く返答して、私は情報処理に集中した。


 時刻は19時01分。


 公表から一分経たずして、警視庁のウェブページに掲載された偽情報は、蜘蛛の巣状にインターネットに拡散され始めている。


 初めは情報メディア系のライターや週刊誌の編集部からのアクセス。至極ルーチン的な動き。彼らは情報を拾うことが仕事だ。その行動に強い感情は現れない。……これは無視。


 次に個人単位のインフルエンサーのアクセス。彼らは話題性の高い情報を選び抜き自らのアカウントの発言力を高めることを目的としている。「自意識」「強欲」、感情は表れているがそれはこの情報への個人的な感情じゃない。……次。


 このフェーズまで進んだら、あとはこちら側が何もしなくても情報は勝手に広がっていく。


 今度は今回の事件の標的となった企業社員と思われるトラフィックを検知。情報ページ閲覧後の身近な人物へのメッセンジャーでの共有……「安心」と「落胆」、感情が二分している。おそらく企業の上層部は前者であり、現場社員たちは後者の感情を示しているのだろう。いずれも作戦のターゲットではなさそうだ。……次。


 やがて、一般の〈バスティーユの象〉に関心度の高い人たちに情報がキャッチされていく。しかし彼らの感情行動は一過的だ。批判的であれ賛同的であれ、彼らは当事者ではない。ただ一瞬ネット上で意見を述べる機会が欲しくて〈バスティーユの象〉をネタにしているだけ。私が探しているような、もっと執拗な感情行動はどこに──


「裏掲示板への書き込みを確認しました!」


 ツツイの高くよく通る声が室内に響き渡った。


 一瞬室内がざわめく。


 裏掲示板とは、グループ犯罪を呼びかけたり、心中仲間を探したりするのに使われる無法地帯。中には〈バスティーユの象〉の信奉者たちが集まるスレッドもある。どうやら今回の偽情報を見た信奉者の一人が書き込みを行ったようだ。


『拝啓、〈バスティーユの象〉のみなさま。地下鉄爆破予告事件で『ナポレオン』が逮捕されたという情報があったのですが、それは本当なのでしょうか? 私にはそうは思えません。あれだけ偉業をいくつも成し遂げられた方が、こんなにあっけなく逮捕されてしまうなんて。もし本当だとしたら幻滅です』


 スレッドには即座に同意を示す書き込みが集まっていた。彼らの行動から現れる感情は警察への「嫌悪」、そして〈バスティーユの象〉への「期待」。まだ『ナポレオン』は捕まっていないと、信じるための材料を探している。つまり、私のターゲットである『ナポレオン』本人か、近しい立場の人間ではない。


「偽情報ページにて不正アクセスを検出! サーバーダウンを狙った攻撃です」


 ついに、来た。


 私はツツイに向かって叫んだ。


「侵入防止システムの稼働は少し待ってください! 今アクセス元の逆探知を行います」


「で、ですが……放っておいたら警視庁全体のサーバーに」


 ツツイの声が揺れて、隣に立つ上司の顔を見る。ヨシハラの表情には余裕があった。ツツイを安心させるかのように微笑むと、彼は室内に響く音量で言った。


「大丈夫、一旦ここはユウくんに任せよう。何かあったら課長が責任を取ってくれる」


「また俺かよ!?」


 カキタの声が裏返って反響した。


 私はその間にも解析を続ける。


 攻撃者の行動履歴を逆算……ダメだ、追跡されないように海外の端末を遠隔操作して巧妙にカモフラージュしている。


 一見、攻撃者は「冷静」で「理性的」な人物。


 だが、この反応の速さ、そして取った手段への迷いの無さ……それがかえって攻撃者の「自信」、そして今回の偽情報への「不快感」の強さの表れとも取れる。


 つまり、私がおびき出そうとしたターゲットそのもの。


 あとは攻撃者を特定できればいい。


「ユウくん。君に任せるとは言ったが、あまりのんびりはしていられないぞ」


 ヨシハラが落ち着いた口調でそう言った。


 残された猶予は、侵入防止システムなしでサーバーダウンに耐えうる時間──もって1分。


 愉快犯の場合は自らSNSなどで名乗り出る場合もあるが、現状それに該当する投稿はゼロ。純粋な攻撃意思をもって攻めてきている。


 考えろ、考えろ。


 そうだ、この攻撃に対して私の擬似人格プログラムは「違和感」を訴えている。


 速すぎるのだ。


 偽情報の公表はターゲットにとっては予測不可能なことだったはず。なのになぜこんなに早くに攻撃を実行できた? DoS攻撃委託サイトや、裏掲示板での攻撃参加の呼びかけをできるような余裕はなかったはず。


 あらかじめ攻撃をできる準備が整っていた──ウイルスだ。


 事前にばらまき、何かあった時のためにいつでも攻撃ができる状態を整えていたとしたら。


「ユウくん! もうそろそろ限界だよ!」


 ヨシハラの声が響き、私は処理速度を一段階上げた。負荷はかかるが致し方ない。


 不正アクセスのために乗っ取られている端末のスペック、Webブラウザアクセス履歴を抽出、類似性を検証。共通点を分析──あった。漫画を違法アップロードしているサイトがウイルスの配布元か。


「もう大丈夫です! 不正アクセスを遮断してください!」


 私がそう言うとツツイはホッとしたような顔を浮かべ、高速でキーボードを叩き始めた。これで警視庁のサーバーが落ちてしまう可能性は免れられる。


 後は、ウイルスの配布元から攻撃者を辿る。


 違法漫画サイトのアクセス履歴を、データアップロードをしたものだけにフィルタリング。このサイトは誰でもアップロードできるサービスのようだが、やけにワイズウォッチ経由からのアップロードが多いようだ。PC経由の方がアップロードしやすそうだが、なぜワイズウォッチを使うのか? しかも端末が一つというわけではない。数百以上の端末を経由している。


 理由は不明だが、ウイルスの配布量からして、このワイズウォッチ経由でアップロードされたファイルが一番怪しい。


 対象データをさらにワイズウォッチ経由のものだけにフィルタリング。アクセス履歴について、多方面から分析をかけていくと、やがて共通点が見えてきた。使っている通信元の位置情報がやけに偏っているのだ。とある施設に集中している。


 私は大画面に地図情報を映し出し、特定した施設の位置を示した。


 東京都世田谷区三軒茶屋付近、私立宝星ほうせい学園。


「この学校に、サイバー攻撃を仕掛けてきた人物、つまり『ナポレオン』が逮捕されていないことを知る人物がいるかもしれません」


 騒然となるモニタールーム。『ナポレオン』の手がかりを掴んだことへの賞賛半分、情報の信ぴょう性への疑いが半分といったところ。


 そんな中、すぐ後ろにいたケンスケが呟く声が、やけにはっきりと聞こえた。


「ちょっと待て……ここ、亜衣莉あいりの通っていた学校じゃねぇか……!」


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