1-6. バスティーユの象



 〈バスティーユの象〉。


 2030年、つまり3年前から東京都を中心に活動し始めたテロ組織だ。構成員の数も、活動拠点も一切が謎。唯一はっきりしているのは彼らの活動理念が「社会的な弱者を虐げるものに制裁を与える」ということだけ。


 ちなみに、今回犯人がSNSに投稿した犯行予告にはこう書かれていた。


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 《警告》

 安井食品株式会社 各位


 貴殿らの行いは我々〈バスティーユの象〉の怒りに触れた

 無謀な販売価格低下に伴い、従業員に課せられる過度なノルマ

 従業員同士で監視させ、退職の申し出には恐喝を行う

 れすなわち人徳に反する行為に値する

 ただちに販売価格を改定し、労働基準法に基づき従業員を解放せよ

 さもなくば我々が直接裁きを下す

 これは単なる破壊行為ではない、革命である

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 これに対し、企業側は申し出に応じることはなかった。


 ゆえに犯人はSNS上で自爆テロによる制裁を行うことを宣言し、安井食品が事業所を構える駅で爆破テロを行おうとしたのだ。


「しっかしまた〈バスティーユの象〉か……最近多いな」


 ヨシハラのメッセージを再生し終えた後、ケンスケが呟いた。


 「最近多い」というのは曖昧な概念だ。


 だが実際に捜査記録にアクセスしてみると、そう感じる理由は簡単に説明できる。


「〈バスティーユの象〉が起こした事件は、今年に入ってからだけでも、生活保護不正受給者連続殺傷事件に、新宿区風俗街連続放火事件、それに直近だとロボット関連コンビナート火災事件、議員秘書殺害未遂事件……月に2回くらいのペースということになるね」


「で、そのうち未然に防げたのは今回のと、前回の議員秘書の二件だけ……つまり、俺たちが捜査に関わるようになってからじゃねぇか。それまで警察の奴らは指くわえて犯行を眺めてたってわけか?」


「そういうわけじゃないよ。〈バスティーユの象〉はP-SIMレベル2を偽装してしまうから、通常の捜査方法じゃ犯人を特定できないの」


「はん……技術を無駄なことに使いやがって。P-SIMレベル2の偽装なんてできるんなら、俺のも都合よく書き換えてほしいくらいだ。このクソチップの中身には消したいデータがいくらでも入ってるからよ」


 ケンスケはそう言いながら、P-SIMが搭載された自分のワイズウォッチを睨みつけた。


 P-SIMというのは、マイナンバーカードと従来の通信用SIMカードが一つに集約された小型チップのことだ。


 正式名称は〈Personal Subscriber Identity Module Card〉。


 インターネットの通信を行えるだけでなく、ワイズウォッチを通じてあらゆるデータを記録する機能を持つ。


 導入されたのは13年前の東京五輪の年。オリンピック開催に合わせて通信インフラに革新が起き、何十億人もが同時に多量のデータ通信を行っても回線の混雑を回避できるようになった。それを機に政府は情報格差撤廃のため、これまで個人が任意で購入していたSIMカードを国民全員に一つずつ配布する方針に切り替えたのだという。


 戸籍に基づきマイナンバーカードの機能を有したP-SIMが発行され、代わりに一人が複数SIMカードを保有することは違法となった。


 なぜか? それは個人の情報を一つの媒体に集約するためだ。


 表向きにはあらゆる個人認証手続きの利便化や、その人のステータスや趣味趣向に合った情報をいち早く届けられるようにすることが目的と言われている。


 だが、本命は経歴詐称の防止や犯罪捜査での活用だ。個人情報と通信接続や端末使用記録を組み合わせれば、誰がどこで何をしたのかを事細かに把握できる。


 つまりは、情報監視社会の構築——それを成し遂げるのがP-SIMの中でも「レベル2」に区分される情報のことだ。


 P-SIMに記録される個人情報は3段階に分かれている。


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【レベル0】

 本人が自由に編集できるプロフィール。SNSのプロフィールのようなもの。

 公開設定にしておくと、近隣にいる人なら誰でもワイズウォッチなどP-SIM搭載端末を通じて閲覧できる。

 趣味などを登録する人が多く、近年のコミュニケーションツールの一つとなっている。


【レベル1】

 免許証や経歴データなど、偽装不可能な個人情報。

 P-SIMに対して、専用のスキャニングレーザーを照射することで取得する。ただしこれができるのは国の承認が下りている特定の端末のみで、主に役所や企業の総務部などに配布されている。


【レベル2】

 その人がP-SIMを手にして以来の全ての行動を記録した絶対非公開情報。本人であっても編集不可。

 記録されるのはインターネット通信記録、位置情報、メッセンジャーの記録、発言の音声記録、周囲の匂いを検知する臭気センサーの記録、そして投影型ディスプレイ起動時の映像記録など。

 生体認証キーで厳重に管理されており、本人以外が閲覧することはできない。ただし容疑者や前科者の記録に関しては、警察官の端末からいつでも閲覧可能である。

 また、ここに少しでも違法性のある行動が記録されると自動で警察本部にアラートを上げる仕組みになっている。


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 P-SIMが普及したことにより、犯罪捜査の検挙率は格段に上がった。それに、常に行動を記録されているということ自体が、犯罪に手を染めようとする人々の抑止力にもなっていた。


 だが、〈バスティーユの象〉だけは例外だった。


 彼らは編集不可能なはずのP-SIMレベル2にバグを起こし、意図的に警察にアラートが届かないようにしてしまうのだ。


 おかげで彼らの犯行を未然に防ぐのは極めて難しく、今回のように犯行予告があったとしても人力だけでは特定するまでに時間がかかってしまって間に合わない。


 だから私が動員されたのだ。


 P-SIMレベル2に頼らず、外部データを高速解析して一刻も早く犯人を特定するために。


「けど、これって結局『いたちごっこ』なんだよな。いくらお前が実行犯を捕まえても、テロ組織はまた次の実行犯を仕立てればいいだけだ」


「そうだね。だから〈バスティーユの象〉のリーダー、『ナポレオン』の手がかりが欲しいのだけど……」


「吉原の話じゃ、今回逮捕した犯人も『ナポレオン』との面識は無いんだってな」


「ええ。前回も、そのまた前も。これまで逮捕された実行犯全員が『ナポレオン』には直接会ったことがなくて、彼とやりとりしたメッセンジャーの記録も全て消去されてる」


「つまり、振り出しに戻る、か」


 『ナポレオン』、あるいは『皇帝』——それが〈バスティーユの象〉のリーダーの呼び名だ。


 その呼び名以外、素性は一切不明。大手企業に勤めるサラリーマンだとか、年端もいかない子どもだとか、あるいは金持ちの老人だとか、色んな説が飛び交っているが、結局のところ誰一人『ナポレオン』が何者なのか知らない。


 ただひとつ分かっているのは、P-SIMレベル2の偽装は『ナポレオン』じゃないとできないということだ。


 これまで逮捕された犯人たちの供述によると、彼ら自身はP-SIMレベル2の偽装方法を知らないし、同じ〈バスティーユの象〉の構成員でも全員が偽装できているわけではない。『ナポレオン』と何かしらのやりとりをして初めて、レベル2にバグが発生するというのだ。


 ヨシハラ曰く、逮捕した実行犯たちを取り調べしていると、このことだけはやけに意気揚々と話すのだという。


 『ナポレオン』は組織の中でも謎に包まれた人物。普段は幹部クラスが主導していて、組織に所属しているだけでは『ナポレオン』が実在するのか自体疑いたくなることもあるのだという。そんな中、『ナポレオン』に制裁実行を任され、彼と犯行計画について直接やりとりしたというのは末端の構成員にとっては誇らしいことなのだ。


「そうは言っても、実行犯ってのは一番捕まりやすいポジションだろ? 良いように使い捨てられてるだけじゃねぇか。んで、『ナポレオン』は直接手を下さず高みの見物……ったく、嫌なだ」


「男性かどうかは、分からないよ」


「うるせぇ! たとえだよ、たとえ! とにかく、そいつを引っ張り出さないことにはテロは終わらないんだろ? なんとかしておびき出す方法は……」


 その時、私はふとサンプルファイルの中で聞いた言葉を思い出した。ウィルというアメリカ人の少年が言っていた、あまり日常では使われない単語。


「……『デコイ』」


「あ?」


 ケンスケが怪訝そうな顔で私の方を振り返る。


 だが、説明している時間はない。


 この作戦を使うタイミングがあるとしたら、警察が〈バスティーユの象〉の構成員を逮捕したことをまだ公表していない、今しかない。


「『ナポレオン』に近づく方法が分かったかもしれない。ケンスケ、今すぐヨシハラさんに連絡を取って」



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