2-12. イージーモード




「おいユウ。着いたぞ。いい加減起きろ」


 ケンスケに揺さぶられ、私の眠っていたプログラムが怠慢な速度で起動し始めた。


 私が今いるのはタクシーの車内で、外の景色は警視庁の駐車場。


 おかしい。さっきまで私は浜辺にいて、ミツキと──


 考えかけて私はぞっとした。


 違う。現実を反芻しろ。


 ミノオが〈バスティーユの象〉の構成員である可能性が高いということがわかって、私は彼を尾行していた。だが途中で彼を見失い、私はチャコに声をかけられ彼女の話を聞いた。その後に404プログラムの起動を感じて、私はチャコに先に帰ってもらい、ケンスケに迎えに来てほしいとメッセージを送った。その後の記録はない。


 ケンスケの話によると、犯行予告の直前になったのでミノオを押さえるよりも警視総監の安全確保を優先しようということになったらしい。それで今、私は警視庁に連れてこられているというわけだ。


 ケンスケに呼びかけられたことで、サンプルファイルの再生は途中で止まってしまったようだ。だがバックグラウンドで404プログラムは起動している。いつでも続きを再生できる状態だ。落ち着いたタイミングでもう一度再生してみよう。


 ファイルの中身は3年前の6月。内容を振り返ってみて──思わずため息が漏れた。


 渋谷で話を聞いた時、チャコはミツキを信じるなと言った。だけどサンプルファイルの主はチャコによっていじめの対象になっていた。


 私は一体、何を信じればいい?


 私はだんだんサンプルファイルに対して「怖い」と感じるようになってきていた。


 サンプルファイルはあくまで他人の記録だ。私のものではない。だけど私の感情を形成するものであることには違いないから、再生すればまるで自分のことかのように感じてしまう。


 宝星学園に通い始めてから、サンプルファイルが再生される頻度が高くなっている。いずれ私が覚醒している時間よりも長い間404プログラムが稼働するなんてこともあるかもしれない。そうなった時、私は自分を制御できるのか?


 だけど無視はできない。サンプルファイルは再生するごとに私の今いる環境とリンクしていく。少しずつ近づいているのだ。宝星学園の人々が抱えている、闇に。


「サンプルファイルだったんだろ? 何か分かったか?」


 ケンスケに尋ねられ、私は首を横に振った。


「いいえ……途中で切れてしまったから詳しくは分からない」


「そうか。ちゃんと内容は俺に伝えろよ。サンプルファイルが鍵なんだ。俺の……いや、の悲願が……」


 ケンスケは息を荒くしながら一人でぶつぶつと呟く。


 私は正直迷っていた。本当にケンスケに内容を伝えるべきなのだろうか? だってこのサンプルファイルの主は、おそらく──






 警視庁の中に入ろうとすると、ヨシハラが出迎えた。


「やぁ、待っていたよ。こうして直接会うのは久しぶりか。学校はどうだい。好きな人の一人や二人はできたかな?」


「世間話はいいです。早速実行犯の捜索を始めましょう」


「はは、もしかしてご機嫌ななめ? そんな感情も搭載されているんだね」


 ヨシハラはやれやれと大げさな身振りで肩をすくめると、私たちをモニタールームまで案内した。準備はすでに整っているようだ。あとはここから接続できる大量のデータから、人工知能が解を導き出すだけ。


 処理を実行するより前に、今一度犯行予告について振り返っておく。


—————————————————

 《警告》

 警視庁 各位



 貴殿らの行いは我々〈バスティーユの象〉の怒りに触れた

 我らが皇帝は不滅である

 にも関わらず、先日の誤情報の発表

 是れすなわち善良な市民及び我々に対する侮辱である

 2033年5月までに警視総監による謝罪会見を開催せよ

 さもなくば我々が直接裁きを下す

 これは単なる破壊行為ではない、革命である

—————————————————


「ヨシハラさん、念のため確認ですが、警視庁はこの要求には応じないことにしたんですよね?」


「ああ。だが激昂した予告犯たちに総監を襲わせるわけにもいかない。だから今回、君には予告犯たちの視点で考えて総監が襲撃される可能性がある場所やタイミングについてシミュレートしてもらいたい。事前に目星がついていれば警護もしやすいからね」


「わかりました。総監の行動予測を組み立てるのに有効なデータはありますか?」


 するとツツイが進み出て一冊の手帳を差し出してきた。


「アナログデータですみません……秘書官からスケジュール帳を借りてきたんですが、これでいけますか?」


 私は手帳の中身を確認する。どうやらその秘書官はかなり几帳面な性格のようだ。予定の時刻、場所、打ち合わせをする相手がきっちりと書き込まれている。筆跡も安定していて文字認識がしやすい。データ解析は元データが綺麗な状態であればあるほど精度が増す。非デジタルデータは取り込みの際に本来の情報を損ないやすいが、これなら問題ないだろう。私はツツイに「十分です」と返した。


 景気づけなのか、ヨシハラが私の肩を叩く。


「ユウくん。今回も期待しているよ」


「はい。それでは始めます」


 ケンスケがコントロールパネルで私の処理速度を上げるのを確認し、私は指先のデータスキャニングレーザーを起動した。


 まずは警視総監のスケジュールデータを読み取り、行動予測を立てる。レーザーに当たった箇所から秘書官の几帳面な文字情報が私の中に入ってくる。自然言語データベースと照合し、デジタルデータへと変換。そして同時にパターン解析を開始。


 時系列でシミュレーションしてみよう。犯行予告では5月までに謝罪会見を開くよう要求している。つまり要求に応じない場合、予告犯は自分たちの「怒り」を示すためにも、なるべく早いタイミングで警視総監を直接狙った行動を起こしたいはずだ。時期としては5月頭か──便宜上、「5月頭」を「5月1日から7日の期間」と仮定。1年前の同時期のスケジュールデータを参照……ヒット。夫人と国内の温泉旅行に出かけている。警視総監の経歴情報と照合。


「5月2日……奥さんとの結婚記念日なんですね」


 するとモニタールームの隅で見守っていたカキタが「あー、そういえば!」と声をあげる。


「総監、毎年ゴールデンウィークは奥さんと旅行に行くんだよ! 年甲斐もなくSNSでのろけたっぷりに奥さんとの写真アップしててなぁ。総監が休んでる分仕事が倍以上になる副総監の愚痴を喫煙所で聞かされるのが、俺たち管理職の毎年のお決まりなんだよ」


「なるほど……SNS投稿であれば、予告犯もその情報を知ることができますよね」


 くだんのSNSのページにアクセスする。確かに去年の5月2日に旅行の様子をアップしている。


 このページにアクセスしているトラフィックの感情は? 『擬似人格プログラム』の稼働率を上げる。警視総監のSNSだ、目に見えるコメントは前向きな感情を示しているものばかりだが……全トラフィックの行動パターンから現れている感情は「不快」「苛立ち」「軽蔑」などのマイナス感情が約70%を占める。


 予告犯の視点で思考パターンを整理。


 5月頭になっても警視庁は要求に応じない。その可能性は事前に推測できるはずだ。ならば今のうちから対策を練っていてもおかしくない。襲撃の日取りはどうするか……狙うとしたら、平日よりも警備が薄れる夫婦水入らずの旅行のタイミングだろう。


 襲撃日を5月2日と仮定。


 現時点で準備をしているとしたら、トラフィックから特定することも可能だろうか?


「念のため、去年の5月2日の投稿に対し、最近のアクセスがあるかどうか検証します」


 アクセス解析情報の開示を要求──SNSサーバーからの許可確認。


 ページへのアクセスはほとんどが去年の5月のものだが、わずかながらごく最近のアクセスを発見。


 トラフィック元を検索する……ヒット。


「IPアドレスを判別できるものは、宝星学園、旅行会社、タクシー会社、他は地域がまばらなワイズウォッチからのアクセスですね」


 ヨシハラはふむと口に手を当てて考え込む。


「宝星学園のトラフィックは僕たちがずっと追っている〈バスティーユの象〉の構成員のものだろう。他は何だ……?」


「あっ、もしかして宣伝目的じゃないですか? うちなら安くツアー組みますよって案内するための!」


 ツツイがそう言うと、カキタはぽんと手を叩く。


「そうか! それも一理あるかもしれん! 総監は安全のために普段から公共交通機関は使わないんだよ。旅行の時は基本的にチャーター便を使う。このタクシー会社はそういう要人向けのサービスをやってる会社なのかもしれんな」


 確かに秘書官の手帳には、緊急連絡先一覧の一つにそのタクシー会社の名前が記載されていた。PRが成功したということだろう。


 ちなみに総監の旅行先は毎年群馬県の草津温泉。賑やかな観光地だ。地図データに登録されているストリートビューから見ても、朝から夜まで人通りに溢れていて賑やかな街。


 実行犯の視点から考えてみれば、街中で襲撃するよりも密室……例えば移動中の車内とか、宿泊施設の室内とか、その方が成功確率が高い。


「まずはこのタクシー会社にドライバーとして登録している人間をP-SIMレベル1情報から洗い出します」


 警視庁権限でP-SIMデータベースに接続……リスト抽出完了。


 要人のチャーター便を請け負うには、それなりに運転手として経験を積んでいる必要がある。タクシー会社が公表している資格条件から推定して社内に100人以下の規模だろう。私は条件に該当するドライバーの顔写真をモニタールームの前方大画面に表示させた。


「なるほど。もし車内で襲撃されるとしたら、この中の誰かが実行犯になる可能性が高いってことか」


「そうです。ここから更に条件を強め、候補を絞っていきます」


 予約状況から5月頭に予約が入っていないドライバーを除外……70人。


 予約期間が複数日に渡っていないドライバーを除外……40人。


 警視総監レベルの要人を乗せた経験のないドライバーを除外……30人。


「よし、ここまで絞れれば十分だろう。あとは警備に連絡を」


「いえ、もう少し続けましょう。今からこの30人の顔写真を都内要所の防犯カメラ約250台からそれぞれ洗い出します。そうすれば彼らが直近で怪しい行動をとっていないか確認できます。処理容量は……約648テラバイトと想定」


 ツツイが「ひっ」と声をあげる。それはそうだ。テラバイトはキロバイトの4乗。並大抵のPCでは処理できる容量ではない。ヨシハラは冷静にインフラを管理しているチームに声をかけ、通信システムに影響が出ないか確認する。ゴーサイン。


「それでは──行きます」


 私はデータの海に飛び込んだ。雑多な映像情報が光速で私の頭を駆け巡る。その中から大画面に映っている30人の顔情報と一致するものを拾い上げていく。ほとんどはタクシードライバーらしく車内にいる映像だった。だが、オフの時間の過ごし方はそれぞれだ。パチンコ屋の前で並んでいるものもいれば、美人な女性と高級ホテルに入っていく者も。


 ある男の情報の処理に取りかかろうとして、私はふとプログラムを一時停止した。見覚えのある顔だ。それも割と最近。自分自身のメモリを探る。


「私……この男を渋谷で一度見かけています」


 その場にいる全員が驚いた表情で私を見る。


 記録データをリフレインする。渋谷の駅近くとは思えない、寂れた通り。朽ちたビル。そこから出てきた金髪の男。髪の色は偽装のために一時的にスプレーか何かで染めたのだろう。髪の色を除けば彼の顔は大画面に映っている運転手の顔と完全一致する。


 私は念のため、あの時見かけたもう一人の強面の男の顔情報を防犯カメラデータから漁った。金髪の男に比べてかなりヒット数は少ないが、渋谷駅付近と上野駅周辺のバス停の防犯カメラに映り込んでいた。


「ここは、草津行きの高速バスが出ているバス停じゃないかな」


 映像を見てヨシハラが呟く。


 都内の防犯カメラに映っているデータが少ないということは、彼は本来東京の人間ではなく、おそらく草津を拠点にしているということになる。


「私は総監の旅行に関係がありそうな人物をすでにあの場所で見かけていた……? なら、あの時ビルの前にいたミノオ先生は一体何を……?」


 疑問を口に出しながらも、私の分析学習プログラムは絶えず論理の組み立てを続ける。


 宝星学園に潜む〈バスティーユの象〉の構成員はミノオ。これは渋谷で彼を追っていた時点でほとんど確実だったことだ。そして彼が今回の犯行予告にも絡んでいるとしたら? 警察が要求に応じないであろうことを見越して、実行犯をピックアップ。だがこれまでに逮捕した実行犯たちの供述からして、彼らは事件当日まで互いの顔を知らない可能性がある。ならどうやって犯行の成功確率を上げる? ミノオはあそこで実行犯候補たちがちゃんと召集に応じるか確認していた? だとしたらあのビルの中には一体何がある?


「P-SIMデータベースより、顔情報から二人の個人情報を特定しました! どちらもユウさんがおっしゃる通り、先日渋谷の某所を訪れており、そこで凶器を受け取っているようです」


 ツツイがモニタールーム全体に響く声で言った。大画面の映像は彼女の見ている画面に切り替えられた。私がピックアップした二人のP-SIMレベル2が表示されている。ドライバーの方は予測通り5月2日に総監の送迎を担当する運転手で、強面の男の方は総監が宿泊予定のホテルの警備員だ。


「にしてもやけに特定が早いね。レベル2の不正操作についてはちゃんと考慮したのかい?」


 ヨシハラが尋ねると、ツツイは自信なさげに答えた。


「それが……何度もチェックしたのですが、今回の件ではそもそも不正操作が行われていないようです」


「なんだって?」


 ヨシハラは食い入るように前方のディスプレイを眺めた。確かにディスプレイに羅列された個人情報は綺麗に時系列に並んでいて、前後で辻褄が合わない行は一つもない。


 私はモリシマやカブラギと話した内容を思い出す。


「もしかしたら……今回の件はナポレオンに見放されたのかもしれません」


 室内がざわめく。だが今の段階ではあくまで仮説だ。これを検証するには本人たちに詳しく話を聞くしかない。ヨシハラは私の顔を見て頷くと、よく通る声で言った。


「対策本部と連携してドライバー・警備員の両名に任意同行を求め事情聴取を行う! なんにせよ〈バスティーユの象〉に近づくチャンスだ、絶対に逃すな!」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る