∞. エピローグ


***



「……というわけで、箕面みのおは無事意識を取り戻して、今は後遺症の検査中だ。落ち着き次第、彼にも協力を仰いで〈バスティーユの象〉の構成員の洗い出しを始める。君の作ったテロ組織はもう解体間近だね」


 これで少しは落胆するだろうか──そう期待した吉原だったが、アクリル板の向こう側の、全身を包帯で覆われた少年には全く響いていなかった。どこか他人事のような態度で「ふぅん」と呟くだけ。


「それより吉原さん、裁判の手続きはまだなんですか? 早くしてほしいなぁ。死刑か無期懲役か、どっちになるんだろう」


 目を輝かせて言う少年に、吉原は長い溜息を吐いた。


「なんでそんな嬉しそうに聞くんだい」


「だって僕みたいな犯罪者、世の中にもう一度出したらいけないですよ。次は何をするか……自分でもわかりません」


 そう言って彼、中條三葵なかじょうみつきは微笑んだ。


 それは自信によるものなのか、それとも自嘲なのか。


 吉原はまだ、三葵の表情が示す意味を推し量れるほど彼に慣れているわけではなかった。飲み込まれそうになるその無邪気さから目をそらし、ぶっきらぼうにつぶやく。


「期待を裏切るようで悪いけど、君の場合は生い立ちの特殊さや精神状態、そして少年犯罪であることが考慮される。過去の凶悪犯罪の判例でも死刑はもちろん、無期懲役の判決が出ることは滅多になかった。大人しく更生プランでも練っておきなさい」


 吉原の言葉に、三葵はあからさまに肩を落としてうなだれた。


「そんなこと言われても……ここの外に出たって何の面白みもないですよ。僕にはもう居場所がありません。学校はもちろんそうだし、ユウもあの時……」


「君をかばって壊れてしまったからね」


「はい。あんなこと、する必要なかったのに……」


 彼が逮捕されてから今まで何度も同じようなやり取りをしているが、その度に吉原は体力をごっそりと奪われるような感覚を覚えた。もともと吉原が子どもの相手をするのが苦手だということもあるかもしれないが。


 吉原はやれやれと肩をすくめると、背後の扉に向かって「入っておいで」と声をかける。やがて遠慮がちに扉を開けて現れたのは、黒髪を短く切り揃えた少女だった。


「いいざまだね、中條三葵」


 三葵は一瞬困惑したような表情を浮かべていたが、彼女が口を開いたことで歯列矯正の器具が見え、ようやく彼女の正体に気づいたらしい。


小恋ちゃこか……! 驚いたよ、全然印象違うから。どうしたんだい、その髪は……ああそっか、そろそろ就職活動の季節だから?」


 辺見小恋は三葵の問いには答えず、むすっとした表情で吉原に持っていた紙袋を渡した。吉原は紙袋の中身を確認する。中に入っているのはりんごだ。吉原にとって三葵はつかみどころのない少年であったが、唯一理解できたのは彼の食べ物の好みだった。三葵はりんごを差し入れてやると、おもちゃを与えられた子どものように喜ぶ。


 吉原は紙袋の中から一つだけ取り出して、残りは袋ごとそばに控えていたヒューマノイドに預けた。ヒューマノイドは一度吉原側の部屋を出ると、三葵の部屋の方に移動していく。


「吉原さんも『学習』してくれましたね」


 差し入れてやったりんごの紙袋を嬉しそうに抱える少年に、吉原は殴りたくなる衝動を必死に抑えた。


「その手元にあるやつも僕にくださいよ。甘いもの苦手だって前に言っていたじゃないですか」


 三葵は吉原が手に持っているりんごを指して言った。


 だが、吉原は首を横に振る。


「これはあげられないね。君がここを出る日までは」


 そう言って、そのりんごの裏を指で抑えた。よく見ると、それはりんごの形をした機械のようであった。三葵はガラス越しに目を細めてその機械を見つめる。すると、内側がほんのり光って、どこかについているスピーカーから音声が流れた。


『ハロー・ワールド。私は藤沢ユウ。ミツキ、久しぶり』


 三葵の目が丸く見開かれる。


 紛れもなく、ユウの声だったのだ。


「どういう、ことですか……?」


 小恋はふんと鼻を鳴らすと、とげとげしい口調で言った。


「あたしはあんたになんか会いたくもなかったけど、ユウがどうしてもって言うから連れてきたの。だいたい、ヒューマノイドだったってことにもびっくりしたのにさ、まともな弁解なしで『自分が壊れたら組み立てて』って……ユウ、あんたってこんなにわがままだったっけ」


『あはは。ごめんねチャコ。でも、あなたなら私をもう一度つくってくれるって信じてた。いい宿題になったでしょ?』


「全く……」


 文句を垂れる小恋であったが、言葉とは裏腹に、小さな機械仕掛けのりんごを大事そうに腕に抱える。


 唖然とする三葵の表情を見て、吉原はいたずらな笑みを浮かべた。


「ユウくんはクラウド型のAIだからね。適切なボディさえあれば復活できるんだ。君と対峙する直前、彼女は自分のボディが破損するリスクを見越して辺見さんに設計図を送っていたそうだよ。どうだい、少しは塀の外に出るモチベーションが上がったかな?」


「ずるいですよ、こんなの……!」


 自分でけしかけておきながら、吉原は三葵の反応にぎょっとした。


 三葵の眼の端にはうっすらと涙が浮かびあがっていたのだ。全身骨折という大怪我をしてもなお生理的な涙すら見せなかったのに、そんな彼が瞳をうるませている。


 三葵はアクリル板に張り付くようにして、りんごの筐体に視線を向けた。


「ユウ……会いたかった。もし、もう一度君に会えたなら、ずっと聞きたいことがあったんだよ」


『何?』


「君はあの時、僕に向かって何と言ったの?」






 りんご型のデバイスはすぐには答えない。


 一瞬、動作を停止してしまったのかと疑いたくなるような沈黙が流れる。


 やがて内側の光を点滅させ、彼女はスピーカー越しに小さく呟いた。






『さぁ? 〈404 Not Found〉──ヒミツだよ』






*end*


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404の私 乙島紅 @himawa_ri_e

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