2-4. ネクストミッション



 ミツキと別れて下北沢の家に戻ってきた後、私は彼が言った事件について調べていた。


 〈隣人同盟ゾウの会〉。


 かつて、渋谷の一角を拠点としていた新興宗教団体だ。


 「与えよ、さらば与えられん」という助け合いの精神を理念としており、初めのうちは社会的弱者を教団に引き入れて資金援助をする代わりに、彼らが就職なり起業なりで立ち直ったタイミングでリターンを支払わせるという構造で成り立っていたらしい。


 だが、それが破綻したのは2020年頃。東京五輪後の不況の影響で、援助が必要な信者数が急増。人数が増えたことにより、一人当たりの支援金を薄くせざるをえず、信者たちの自立が遠のき、いつまでもリターンが戻ってこない悪循環へと陥った。


 困窮した教団であったが、せっかく取り込んだ信者たちを突き放すわけにもいかず、苦難を逃れるために密かに手を出したのが裏社会ビジネスだった。資金援助をしても自立できない信者たちを使って違法薬物取引や売春斡旋業に手を染め、弱者が弱者から搾取するような、そんな組織になっていったのだという。


 〈ゾウの会〉の悪行は当然警察の目に留まり、2025年には教祖のオウ・カイセイら中核人物が逮捕され、教団は解散を余儀なくされた。


 だが彼らは再び世間を騒がせる。5年後の2030年にオウが脱獄し、自らを検挙した警察官を殺害する事件を起こしたのだ。


 そしてその2ヶ月後、今度はオウが何者かによって殺される。それが、例の空き地になっていた場所で起きた、渋谷区〈ゾウの会〉教祖殺害事件。


 オウを殺害した犯人が捕まることはなかった。容疑者とされていた人物が自殺し、そこで一度捜査が途絶えたのだ。


 だが、その後匿名掲示板に行われた書き込みによって、この事件は終わりではなく始まりであったことが明らかになる。


『王は私が殺した。これからは〈バスティーユの象〉が弱き者を守る社会を作る』


 それからというもの、〈バスティーユの象〉と名乗るテロ組織が台頭し始め、今日こんにちに至る。そしてオウ・カイセイを殺し、匿名掲示板に書き込みを行った人物こそが、私たちの探している『ナポレオン』だ。






 二階のケンスケの寝室の方で彼が起きてくる音がして、いつの間にか一晩過ぎていたことに気づいた。


 寝ぼけまなこのケンスケがリビングにやってきて、私の方を見て目を細める。


「……その服どうしたんだ?」


「買ったの。似合うかな」


「知らん。ヒューマノイドに似合うもクソもあるかよ」


 ケンスケは吐き捨てるように言うと、「余計なことに金を使いやがって……」などとぶつぶつ呟きながら、洗面所の方へと行ってしまった。


 一瞬、『擬似人格プログラム』に「怒り」の感情が芽生えたが、ケンスケの言うことも一理あるのですぐに鎮火した。


 確かにどうかしている。ヒューマノイドが身なりに気を遣うことが一体何になるというのだろう。学校にいたせいで、周りの生徒たちの感情に触発されたのかもしれない。


 ケンスケが顔を洗っている間に朝食の準備をしていると、ワイズウォッチの着信音が鳴った。ヨシハラだ。


『ああ、ユウくんか。藤沢さんは?』


「起きてますよ。何かあったんですか」


 ヨシハラの表情には普段の余裕がなかった。何か大事な要件があって連絡してきたのは明白だ。


『実は……〈バスティーユの象〉が新たな犯行予告を出したんだ。奴ら、ついに警察に対して正面から敵意をぶつけてきたよ』


 ヨシハラがそう言うとともに、投影式ディスプレイに捜査本部に届いた予告状が映し出された。


—————————————————

 《警告》

 警視庁 各位


 貴殿らの行いは我々〈バスティーユの象〉の怒りに触れた

 我らが皇帝は不滅である

 にも関わらず、先日の誤情報の発表

 是れすなわち善良な市民及び我々に対する侮辱である

 2033年5月までに警視総監による謝罪会見を開催せよ

 さもなくば我々が直接裁きを下す

 これは単なる破壊行為ではない、革命である

—————————————————


『おそらく、警視総監を表舞台に立たせた上で暗殺でもたくらんでいるんだろう。当然、こちらはテロ組織の要求に応じるつもりはない』


 ヨシハラの口調は普段よりも声音の高低のぶれが激しくなっている。そこに現れているのは「苛立ち」の感情だ。


 いきさつを詳しく聞いてみると、警視総監が標的にされたことでカキタが上層部に呼び出されて質問攻めにあっているのだという。サイバー犯罪対策課が行ったデコイ作戦が、テロ組織を無駄に刺激したのではないかと疑われているのだ。


 実際、予告状の内容を見る限りそれは事実であるし、私の潜入捜査で新たな手がかりが見つかったわけでもない。


 今のところカキタがのらりくらりとかわして責任問題に発展せずに済んでいるものの、サイバー犯罪対策課は上層部から勝手な行動をしないよう監視されているため、表立って捜査を進めることができないらしい。


「つまり、私が潜入捜査で成果を出すか、今回の予告を出した犯人を特定すれば何も問題はないですよね?」


『そう、話が早くて助かるよ。こちらからの支援ができなくて申し訳ないが……。ただ、犯行予告の内容からして、予告犯は先日のデコイに反応した人物と一致する可能性が高い。つまり君が一番犯人に近い場所にいるかもしれないんだ。犯行予告を出したことで構成員の動きが活発になることも考えられる。少しでも怪しいそぶりをした人物は尾行して動向を探ってくれ』


「分かりました。何か分かったら連絡します」


 通話が切れた後、私はリビングのソファの上で膝を抱えるようにして座っていた。


 ヨシハラに対してああは言ったものの、潜入捜査を進展させるための糸口は未だ見つかっていない。


 ウイルスファイルをアップロードするのに使っている通信経路は一つ。だけどアップロードしている端末は複数。ウイルスの仕組まれている漫画の内容も確認してみたけれど、少年漫画から成人漫画までジャンルはバラバラで統一性は見られない。


 学校に潜んでいる構成員は複数人いるということなのだろうか。それとも——


「おい、まだ出なくていいのか?」


 洗面所から出てきたケンスケの声でハッとした。もう家を出なければ一限目に間に合わなくなる。すぐに鞄をとって玄関へと向かう。


「……あまりのめり込みすぎるなよ」


 見送りにきたケンスケがぼそりと言った。


「うん、わかってる」


 私が宝星学園に通う目的は、学園の中に潜む〈バスティーユの象〉の構成員を見つけること。


 学校に通うこと自体が目的じゃない。クラスメートと談笑したり、勉強や運動で切磋琢磨しあうのは、手段であって目的じゃない。


 だけど……ミツキが空き地の前で見せた、あの悲しげな顔がどうしてもメモリに焼き付いて離れなかった。「知りたい」と思ってしまっている。彼があの表情を浮かべた理由を。


 これは私自身の感情?


 それとも……あらかじめ搭載されたサンプルファイルの誰かの感情?


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