42話 黒の幼女-2
「麗華。さっき見た『女の子』って、どんな子だったの?」
至って冷静な水谷莉乃が疑問を投げ掛ければ、秋月麗華は小首を傾げて、
「黒髪の……そうですわね。わたくし達よりは年下ですわ、少なくとも。じっとこちらを覗き込んでいましたの。そんなにお菓子が欲しかったのでしょうか」
「まさか魔物――とは考えづらいかな、これまでの傾向からして。人間らしかったんでしょう?」
「ええ。人間そのものでしたわ」
これまで目にした魔物は、多くが「化け物」と称して差し支えない容姿をしていた。人間らしい――人間と紛う姿は、一度たりとも目にしたことがない。
それは、明里よりも経験豊富な先輩方も同様であるらしく、「女の子」を魔物と推理する線は早々に消え失せていた。
「……明里が陽菜ちゃんに聞いた話って、どんなのだっけ」
長考に入りつつあった莉乃が顔を上げる。
「小さい子が学校の中をうろついていたって。そういう話だったよ」
市松陽菜より聞いた「小さい子」と、麗華が見たという「女の子」。共通点はあると言えばある。証言のみで判断するならば、六割重なっているとするのが妥当であろう。しかし同一人物であると断定するには、決定打に欠けた。
長らく思案顔を作っていた莉乃。彼女はやっとのことで面を上げると、決心したように立ち上がった。
「り、莉乃ちゃんさん……?」
「先輩、何やってるんですか。確認に行きましょうよ」
「ええ……確認?」
口角を下げ、春佳は顔を顰める。
「嫌だよ、おばけだったらどうするの?」
「おばけなんて非科学的なもの、この世に存在しません」
「魔物を見たり、『能力』使っちゃったりしてるのに……」
「とにかく! 何か手掛かりになるかもしれません。新種の魔物かもしれません。ほら、友芽先輩も頭抱えてないで立ってください。行きますよ!」
いつもよりも精力的でやる気に満ち溢れた莉乃に押され、春佳は大儀そうに腰を持ち上げる。その傍らにいた友芽もまた、春佳に引っ張られるがままに起き上がった。
突如として始まった「小さな子」あるいは「女の子」の捜索。ガーディアンズの集会に出席していた五人の少女は、二つの班に分かれて行動することになった。明里は七瀬春佳と校舎の裏手へ、他三人は正面を捜索するべく散開する。
校舎の裏手には広大なグラウンドがある。現在は放課後――文武両道に努める桜学園に相応しく、数多の女子生徒が走り回っていた。
「ここには流石にいない、ですよね」
グラウンドは、あまりにも人目が多すぎる。二百メートルトラックには当然のことながら物陰はなく、唯一隠れ場所となりそうなのは倉庫や部室棟くらいだ。
「倉庫も部室棟もチェックしましたが、この時間は特に人の出入りが激しいですし、やっぱり隠れ場所としては相応しくなさそうですね」
「だね。……まあ、ここでは、人工物に隠れるのは得策ではないかな。少なくとも、私は絶対に選ばない」
春佳が見据える先、そこには鬱蒼と木々が広がっている。この茂る木々こそ、学園の敷地と山の斜面を隔てる柵――平時であれば決して近付かない鎮守の森である。
「もし隠れるなら、あそこ――かな」
所狭しと並ぶ木々の中には、光が届きにくいだろう。必然的にこちらからの見通しは悪くなる。遮蔽物も十分だ。しかも、いざとなれば麓街に降りることも可能であり、逃げ道も確保されている。隠れ場所としては好条件であった。
尤も、並大抵の身体能力では地の利を生かしきれないだろうが。
「そういえば、春佳先輩。あれって何なんですか?」
春佳の視線を追う明里の目には、天へ向けて聳える柱があった。明里は森を見遣る。
木々の間から伸びるその柱――いや塔と称すべきであろうか。それは、明里が長らく不思議に思っていた建物であった。
装飾はほとんどなく、洋風の洒落た校舎と比べるとかなり浮いて見える姿だ。下手をすれば景観を損ねかねない。誰かが出入りする様子はなく、用途も不明。そうだというのに、なぜか取り壊されることなく、そこに居座り続けている。
ひょっとしたら、自分にしか見えていない塔なのではないかと疑ったこともあったが、それは春佳の言葉によって否定される。
「さあ、何だろうね。私もよく知らないんだ。ずっとあそこに立っているらしいけど……何のための建物なんだろうね」
彼女が言うには、林から生える塔の噂は多く流れているという。
あの塔の中にはエレベーターがあり、麓の街や異能力研究所と繋がっているという話から、あれこそが魔物の発生源であるといった恐ろしいものまで、多種に渡る憶測が飛び交っているようだ。
だが所詮は噂。真偽の程は計り知れないし、検証する程ガーディアンズも暇ではない。管轄外である。いや、あの好奇心旺盛の少女たちならば、時間を割いてでも探索に向かうかもしれない。
不思議は人を引き付ける。
「気になるなぁ」
呟いたその時、木の間を何かが横切った。それは滑るように木々の間を縫いながら、ジグザグに、奥へ奥へと進んでいく。黒く小さな後ろ姿――あっと声を上げて指を差すと、春佳の瞳孔がキュッと縮まった。
「今の、見た?」
「見ました」
明里は頷く。
「女の子……ですかね。小さい子」
「行ってみよう」
その言葉と共に、グラウンドの外周を注意深く進む。影の消えた位置を見失わないよう、細心の注意を払いながら、薄暗い森へと踏み込んだ。
気配が一変する。まるで異世界のようだ。しかし木々の間には人が歩ける程度の道が見て取れる。草木に阻まれていない、細い一本道だ。
つい最近まで人の出入りがあったののか、それとも野生動物の通り道になっているのかは定かではないが、この先にある塔、あれが魔物の巣穴になっているという噂が、若干の信憑性を帯びて来た。
足を木の枝が引っ掻き、スカートを持ち上げる。せめて体育着に着替えてから来ればよかったと明里が後悔をした――その時だった。
「ひあっ!?」
突然、前を歩いていた春佳が悲鳴を上げてしゃがみ込んだ。つられて明里も膝を折る。
「ね、ねえ、今触った? 耳、フッてした?」
「しっ、してないですよ。ないです!」
慌てて否定すると、春佳は気味が悪そうに耳を摩った。しばらく蹲っていたが、やがて気の所為だとでも決着をつけたのだろう。腿を叩いて立ち上がった。
「は、春佳先輩……」
大丈夫ですかと問おうとしたその時、ザアッと木々が揺れた。その様子はまるでこれ以上進むことを拒んでいるかのようだ。
誰かが見ている。観察している。監視している。そう直感が囁いた。
「せ、先輩。これ、やばいんじゃ……」
――ガサリ。
草むらが、大きく動いた。息を飲む明里の一方、春佳はポケットからペンを取り出す。それは瞬く間に変形し、小銃を成した。
この先が噂通りに魔物の巣窟であったとしたら、ここで魔物と遭遇するのはもはや必然であろう。所詮は噂と軽んじて準備を怠った自分達を、今は呪うしかなかった。
「誰だ」
強張った春佳の声が、騒がしい木々の間を反響する。応じる声はない。
どれだけの硬直が続いたのか、気の所為だと笑い飛ばしてしまおうかと迷い始めたその時、一層大きく森が動く。草むらが身体を揺らす。
身構える少女を嘲笑うかのように現れたのは、一人の少女だった。
「ここにいたぁ!」
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