41話 黒の幼女-1

 今日もまた、いつものように茶会が催されていた。淑やかな色合いの茶器が広がり、机の中央には芳ばしく香る焼き菓子が並べられている。この光景も、もはや見慣れたものとなっていた。


 授業を終え、消耗しきった放課後に、決まった空き教室に集まる。別段何をする訳でもなく駄弁を交わし、菓子や茶を貪る。


 そのお蔭で先輩との親交も深くなり、明里は多くの見聞を得た。『能力』に関する情報や桜学園にまつわる噂。さらに、この学園と似た趣旨を持って建設された他教育機関の話など、この場にいなければ知り得なかった事柄ばかりである。


 しかしその茶会も、今や存亡の淵に立たされている――噂好きの生徒の間には、そのような話が流れてた。


 ガーディアンズがガーディアンズとして成立した所以である魔物が、めっきり姿を現さなくなったのである。


 魔物がいなくなれば、ガーディアンズは晴れて「お払い箱」だ。そうなれば、こうして教室を占拠する理由も、ゴテゴテと飾り付けて私有化する権利もない。


 噂と切り捨てるには、あまりにも現実味を帯びている。明里は冷ややかな焦りを覚えていた。


「これ、美味しいね! 麗華ちゃんが作ったの?」


 焼き菓子を手に、上澤友芽は歓声を上げる。すると秋月麗華は優雅に微笑んで、


「今日は莉乃ちゃんと一緒に作ったんですよ。莉乃ちゃん、薄力粉を振るう度に溢すんですもの。お蔭でキッチンが真っ白に――」


「麗華! 言わなくてもいいでしょ、それ!」


 水谷莉乃は頬を赤らめ、麗華はクスクスと肩を震わせた。


 明里の危惧の一方、先輩達はまるで変わらず、さも当然の権利であるかのように茶会を催していた。


 魔物の有無など関係ない。我々は楽しいから、こうして集まっているのだ。理由を問えば、そのように返されそうだ。心配するに及ばないのだろう。そうと分かっていながら、明里の中には漠然とした不安が横たわっていた。


「あの……みんな」


 その中で、明里は口を開いた。


 ガーディアンズに属する二年生、市松陽菜。それより託された言葉を、談笑の場に投げ掛ける。反応は様々であったが、中でも過敏に反応したのが、明里のはとこ水谷莉乃だった。


「明里、授業サボったの?」


「サボってない、サボってない! 授業に出るタイミングを見失っただけ!」


「どうやったらタイミングなんて見失うの」


 まるで尋問でもするかのように、莉乃は明里を睨めつける。激しい言葉は一つたりとも発せられてはいない。そうだというのに、それが却って恐ろしい。明里は慌てて頭を下げた。


「もし、その話が本当だとしたら不思議だよね」


 明里に助け船を出すかの如く、上澤友芽が口を開く。どこかで痛めたのか、カップを持ち上げる指には絆創膏が巻かれていた。


「小さい子がいたんでしょう、学校に。校内を自由に歩き回るなんて、先生の子供でも許されないだろうし……」


「迷子とも考えにくいよね。麓の街からはかなり離れている。商店街からだって小さい子が一人で来るには遠い」


 七瀬春佳は付け加え、唸る。


 桜学園高等部敷地内を、小さな女の子がうろついている。情報の提供者である市松陽菜は、そう語った。


 彼女が言うには、少女の身長は低く、小学生以下の様相と直観したそうだ。近くに保護者らしき大人は見当たらず、その子供は陽菜の視線に気が付くと、脱兎の如く逃げ出したという。


 迷子であるならば、市松陽菜に気付いた時点で助けを求めに来るだろう。だが逃げたとなれば、幼女にもそれなりの事情があったと考えられる。厄介な事を聞いてしまった――そう言わんばかりに、友芽は溜息を吐いた。


「魔物もいないし、ゆっくりできると思ったけど……そう簡単にはいかないみたいだね」


「ですが先輩。『小さい女の子』のことは、先生方に任せればよいのではありませんか? それはわたくし達の管轄外ですもの」


 秋月麗華は眉根を下げる。


 彼女の言うことも尤もである。元来ガーディアンズは、魔物に対抗するべく設置され、維持されてきた。その任は今もなお変わらない。裏を返せば、それ以外をガーディアンズの任務として敷く必要はないのだ。


 その論に沿うならば、例の女の子を無視しでも咎められない。だがガーディアンズには、よくも悪くも御節介な面々が揃っている。正論を以って場の冷静を保とうとした麗華も、その例外ではないらしい。少しばかり黙り込むと、「でも、気になりますわね」と呟いた。


 沈黙が訪れる。しかしそれは手詰まりを予感させるものではなかった。緊張感、それも出方を窺うような、計略然とした沈黙だった。


「気になるね」


「気になるね」


 そう最上学年の少女らが口々に言う。そうかと思えば、友芽と春佳はいても立ってもいられないとばかりに身体を揺らし始めた。すぐにでも立ち上がり、部屋を飛び出してしまいそうである。


 その中でただ一人、麗華がゆらりと手を挙げた。挙手にしては控えめに、かと思えばゆっくりと振る。次いで朗らかな笑みを零した。


 奇怪としたその様に、春佳や友芽の意識が集まる。成り行きを見守っていた明里や莉乃の視線も、優雅な彼女に注がれた。


「どうかなさいましたか?」


「それはこっちの台詞だよ」


 ことんと首を傾げた麗華に、莉乃は呆れ気味に言う。


「さっき何に対して手を振っていたの?」


「何って――ほら、そこにいらっしゃる」


 と、麗華は向かいを示す。曇り一つない、磨かれた窓。その方向には、麗華が手を振るような物も、笑みを溢したくなるような物も見当たらなかった。またしても麗華は首を捻った。


「おかしいですわね。さっきまでそこにいたのに……」


「一体何を見ていたの?」


 不可解の濃かった視線が、次第に懐疑へと塗り替えられる。麗華慌てた様子で手を振ると、


「本当にいたのです! 本当にそこの窓から、こちらを覗いていたのですわ。女の子が!」


 明里は、麗華の指が示す窓へ歩み寄った。初夏の気配を醸す外へ身を乗り出し、辺りを見回した。


 そこには誰もいなかった。誰かが乗っていられるような出っ張りもなければ、集会所のある二階までよじ登って来られるような梯子やロープもない。


 大樹との戦闘時、空から舞い降りた少女の如く、飛翔の『能力』を持つ者であれば話は別だが、その例外を除けば外からこちらを覗き見ることなど到底できそうになかった。


「誰もいませんよ?」


 そう先輩らの方を顧みると、その顔色は瞬く間に青くなっていく。先程までの意気揚々とした様はどこへ行ったのか、友芽と春佳は二人揃って身体を震わせた。


「あ、あのさ、言いたくはないんだけど……」


「いい、はるちゃん。言わなくていい!」


 友芽は首を振り、耳を押さえる。


「オバケを見たとか、絶対信じないんだから! はらたま、きよたま!」


「友芽先輩。自爆してますよ」


 莉乃はカップを持ち上げる。呆れ顔のまま一息ついた。

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