4話 目覚めと魔物-1

 気が付くと、目の前には真っ白い天井が広がっていた。

 どうして自分はこんなところにいるのだろう。あれからどうなったのだろう――そんな疑問が、固まった脳を擽る。

 ろくな解答も出せずに、ただぼんやりとしていると、どこかで戸の開く音が聞こえた。

 カーテンの向こうからのようだ。ベッドを囲む白桃色のそれに、うっすらと人

影が映る。そっと開けられる布。そこから覗いたのは、はとこ・水谷莉乃みずたにりのだった。


「目が覚めた?」


 そう尋ねる彼女は手際よくカーテンまとめ、壁際に寄せていく。


「調子はどう。変なところは?」

「特にないけど……私、どうしてここに。詩織はどこ?」

「詩織――ああ、もしかして一緒にいた子? あの子なら寮に戻るって」


 その言葉に、思わず明里は息を吐いた。自力で寮に戻れる程度には元気であるらしい。安堵する一方で、少し寂しくもあった。


「もうちょっと心配してくれたっていいのに」

「いやいや。心配はしてたよ、物凄く。でも、それと同じくらい帰りたそうにしていたよ」

「やっぱり……」

「なーんて、そんなことは冗談なんだけど。詩織ちゃんには明里の着替えを取りに行ってもらったの。だから、そんなに落ち込まなくても――って、聞いてる?」


 着替えと聞いて思い出すのは、あの着ぐるみのような服だった。アニメのキャラクターの衣装を模した、バナナ型の部屋着。あれを持って来られてしまったら、傍らの縁者から苦笑を投げつけられるだろう。

 いくら親戚とはいえ、明里の趣味を公開することには、多少なりとも抵抗感を抱いた。


「どうしよう」


 思わずこぼれ出た言葉に、莉乃がぎょっとした様子で振り返る。


「どうしたの? まさか落とし物をしてきたとか」

「そうじゃなくて……」

「調子悪い?」

「そうでもなくて」

「あ、もしかしてお腹空いた? おにぎりあるけど食べる?」

「わーい、食べるー!」


 思い返してみれば、あの犬に遭遇してしまったお蔭で、何も口にしていないのだ。現在が何時であるかは不明だが、自分の身体は確実に空腹を訴えていた。

 透明なラップに包まれたおにぎりが、莉乃の手から渡される。ふっくらとした肌色から、明里は嬉々としてそれを受け取った。


 中身は何だろうか――ゆっくりとラップを剥ぐ。手首を返して、ヒントになるようなものを探すが、それらしい影はない。蛍光灯から降り注ぐ柔らかな光に照らしても、結果は同じだった。水谷莉乃のことだから、おそらくは健康面を重視したものであろうが、やはり中身の予想は立たない。

 明里は大口を開けて、それにかぶりつく。口に入れた途端、米の甘味が口内に広がり、疲れ切った心身へと染み渡る。なぜか目頭が熱くなった。霞む視界を隠すように、夢中になって米を口の中へ詰め込む。


「そんなにがっつくと窒息するよ」


 呆れた様子で梨乃は言う。それでも明里は勢いを緩めることはなかった。

 かさかさと、ラップの擦れる音だけが聞こえる。あれから掛けられる声はなく、明里自身も、何も発することはなかった。


 おにぎりの半分を胃に入れた頃、静寂を割くように、がらりと扉が開けられた。


「一年生ちゃん、起きた?」


 そう室内を窺うのは、例の少女だった。血糊を浴びて笑っていた少女。しかし、こちらを覗く顔に凶悪な笑みはなく、控えめな微笑が広がっているだけである。あれと同一人物であるとは思えなかった。

 明るい色の髪を揺らしながら、彼女はゆったりと室内へ入ってくる。わずかに濡れた髪や、ほんのりと紅のさす頬を見る限り、湯浴みでもしてきたのだろう。身にまとっているものも制服ではなく、動き易そうな体育着だ。


 その後ろから見慣れた頭が覗く。霧生詩織だった。彼女もまた制服を脱ぎ、部屋着に着替えている。そして手には体育着らしい布の塊が乗っていた。

 明里はほっと胸をなでおろす。


「詩織、よかった――元気そうで」

「明里も食欲はあるようでよかったよ」


 と言ってから、彼女は手元に視線を落とす。体育着と明里の持つおにぎりとを交互に見やると、明里の足元に体育着を置いた。


「これ、着替え。クローゼット、勝手に探らせてもらったよ」

「うん、ありがとう!」


 急いで残りのおにぎりを食べてしまうと、明里はラップをぐるぐるとまとめ、枕元へ置いた。保健室であるらしいこの部屋の隅に、ごみ箱と思しき円柱状の入れ物を見つけたが、そこまで移動をするのは億劫である。

 視界の端で、莉乃が枕元に手を伸ばすところが見えた。その手はラップを掴み、それを広げると、丁寧に折り畳み始めた。


「そういえば」


 と切り出したのは、例の明るい色の髪をした少女である。彼女はすぐ隣のベッドへと腰を下ろす。


「あの犬、どこで知り合ったの?」


 あの犬とは、商店街で出会った「あの犬」の事であろう。白く美しい毛並に空洞の目。思い出すだけでもぞっとした。


「どこって――あの、パフェが美味しいって噂の店の前かなぁ」


 ちらりと詩織の方へ目線をやると、彼女は頷く。そして付け加えた。


「高等部側から入って二つ目の角を曲がったところにあるレストランの前です」

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