5話 目覚めと魔物-2

「最初に出てきたのはネズミでした。次に犬が出てきたんです。ネズミと遊んでいたら急に飛び出してきて……。多分、ネズミは食べられてしまったんだと思います。逃げたら、犬が追ってきました」


 ネズミは食べられた。その情報を明里が目にすることはなかったが、彼女が言うからにはそうなのだろう。犬の胸を濡らしていた赤い滝は、ひょっとしたらネズミのものだったのかもしれない。


「ネズミと犬か」

 少女は顎に手を当てる。

「ネズミを食べた犬が追ってきた、って事でいいんだよね」

「そうなります」

「それなら……ネズミが邪魔だったのかな」


 詩織の表情に、驚愕とも緊張とも、あるいはもっと別の感情とも取れる何かがよぎった。彼女の真意を読み取ることはできない。だが、これまでに見たことがないほど引き締まった事は確かだった。


「よくそんな事が思いつきましたね」

 そう言って、莉乃は小さく折り畳まれたラップを膝の上に置いた。

「ネズミが邪魔だった、だなんて」

「想像力だけが取り柄だからね」


 少女は照れくさそうに頬を掻く。それに莉乃は問う。


「ついでに、どうしてそのような考えに至ったのか、教えていただけますか?」

「簡単なことだよ。ネズミを使者と仮定する。危険を伝えるべく派遣された使者とする。それを拒んだのが危険そのもの、あるいはその手先――あの犬ってことだよ」

「なるほど、それはおもしろいストーリーですね」

「でしょう。ネズミは身体が小さいからね。使者にはもってこいなんだよ」


 確かにあの小柄な身体ならば、拳よりも小さな穴にだって、入って行く事が出来るだろう。

 道はそこら中にある。空を切る電線、屋根を伝う雨どい、淀んだ下水道――多くの物が道へと成り得る。何にも見られずにそれらの道を十二分に活用できる動物は、ネズミ以外に思いつかなかった。


 もしも明里が緊迫した最中、誰かに緊急の事を伝えるとなれば、やはり人間よりもネズミ等の小動物に手紙を付けて遣わすだろう。

 もちろんそれは、言葉の通じない動物を使役することが可能である、という前提があっての事だ。そうでなくては、動物に手紙をつけるどころか、掴まえることもままならない。


 仮定のストーリーを披露し、満足気な少女であったが、やがて彼女は一転して神妙な面持ちを作る。そして首を捻った。


「でもね、莉乃ちゃん。私には、あれが生き物のようには見えなかったよ」

「一瞬で肉塊と化していましたからね」

「それもそうなんだけど。……やっぱり、魔物っぽい気配を感じたよ」

「それは同感です。身なりこそ平凡な犬でしたが、中身は魔物と見て間違いはないでしょう」


 つまり。そう唇に乗せながら、莉乃はこちらを見る。明里を、詩織を、訝しげに見やった。


「この二人のどちらか――あるいは二人とも、『能力』の開花が近いか、すでに開花させている可能性が高いのではないかと」


 明里ははと息を飲んだ。

 この桜学園は『能力』、すなわち、入学式において学園長が口にしていた「素晴らしい素質」を持つ少女の集まる学園である。

 例え潜在的であったとしても、人智を超えた力を持つ少女を保護し、育成するするために置かれた施設――それが桜学園だ。つまりそれは、ここにいる少女達も、何かしらをという事を示している。水谷莉乃も、未だ名の知れぬ少女も、霧生詩織も。そして成宮明里自身も。


 唯一にして二つとない個性。桜学園に籍を置く限り、学園の敷地で生活をする限り、至る所で耳にする『能力』という単語。馴染みのないものではない。しかし、莉乃の口から発せられた言葉には、明里も静止を掛けざるを得なかった。


「ちょっと待って」

 次から次へと転がるように展開していく話を止め、明里は自らのこめかみに手を当てる。

「その、魔物ってやつと『能力』って、何か関係があるの? そもそも魔物って何。あの犬がそうなの?」


「多分そうだね。あの犬が魔物」

 少女が応じる。

「魔物っていうのは、数年前からこの学園に現れ始めたっていう変な奴で……私たちも詳しくは知らないんだよね。ただ、魔物が襲うのは決まって『能力』に目覚めている人か、近いうちに『能力』に目覚める人だけなんだって。今ではもう、誰かが襲われる前にちゃちゃっと退治しちゃう事が多いんだけど、たまーに今日みたいな事があったりするから、困っちゃうよね」


 そう笑みを浮かべる少女に、莉乃は眉尻を持ち上げる。


「笑い事じゃありませんよ。前にもこんな事あったじゃないですか。二度目ですよ、二度目!」

「それは本当に申し訳なかったと思ってる。でもさ、考えてみてよ。あんなに広い敷地で魔物を追いかけまわすんだよ? 無理ゲーも甚だしいと思う」

「無理ゲーじゃないから、先生に任されたんじゃないですか」


 莉乃の言葉に、少女は肩を落とした。先生は私達を買い被り過ぎだ。そうぼやきながら。

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