24話 イッツ・ア・スペシャルデイ-2

 友芽は弦を掻き鳴らす。飛び出た音符が弾け、発生した空気の歪みが魔物へと向かっていく。それは突進する陽菜に迫っていた枝々にぶつかり、高低様々な音と共に破裂した。その隙に懐へと潜り込んだ少女は、炎を纏う拳を以って木の幹を殴りつける。


 真っ赤な炎が弾け、木の化け物を燃やし尽くさんばかりに噴出される。活き活きとした青葉を焦がす匂いが鼻をつく。しかし、樹木に火が燃え移ることはなかった。よくよく見てみれば、葉に纏わり付いていたはずの火の粉は滑り落ち、縁を舐める程度に留まっているらしい。


「木が火に強いって何なんだよォ!」


 咆哮をあげ、陽菜は何度も木の幹を殴打する。それにやんやとはしゃぐ友芽。そんな緊張感一つない場を諫める莉乃だったが、やがて無駄と悟ったのか、大きく肩を落とした。


 ガーディアンズの面々は、時に精鋭と呼ばれる。数多の能力者が集う桜学園の中から選ばれた、魔物を討伐するに相応しい『能力』と心意気を持った「天才」であるためだ。

 明里のように、リーダーの一存で加入を許可される者もいるようだが、それは例外であるらしい。


 しかし彼女等とて子供である。


 持ち過ぎた力ゆえに狭め、ある者は閉じ込めるしかなかった欲求のために制限を科した世界しか知らない、幼い子供。そのような彼女等が純粋に、そして真剣に重責と向き合えるはずがない。


 それゆえに魔物の討伐は「遊び」の一環であると、部活動と変わりない行為であると。あるいは己の生き甲斐であると認識を歪めつつある。半ば無自覚のうちに、行われた意識の変革のために、少女達の出陣する戦場は、和気あいあいと、危機感の欠けたものばかりとなっていた。


 一頻り幹を殴りつけた陽菜は、一足の下に距離を置く。枝の手が届かない所まで後退すると、水でも払うかのように拳を振った。彼女の小さな手には、微かに赤色が滲んでいた。


「もう、何あれ! やりづらくて仕方ないんですけど!」


「そうかなぁ。動かないし、当て易いよ」


「うーん、それはそうなんですけど……」


 陽菜は頭を掻く。


「なんというか、サンドバッグみたいでやり甲斐がないというか。もうちょっと抵抗してほしいなーっていうアレです」


「抵抗されたら面倒臭いじゃん」


「つまらないじゃないですか、無抵抗なんて。楽しいのが一番ですよ」


「陽菜サンの言う『楽しい』は、ゆめさんにとって地獄なのですが……」


 苦い笑みを浮かべる友芽。二人のやりとりを眺めていた莉乃もまた、細かく頷いていた。


 余程、かつて経験した「地獄」がこたえたのだろう。上澤友芽も水谷莉乃も、揃って実現を望まない「地獄」とは、一体どのようなものなのか。虫の大群を連想した明里は、背筋が寒くなる思いだった。


 愚痴同然の会話の後、陽菜はまたしても果敢に地を蹴った。友芽も弦を掻き、少女の援護を試みる。


 立て続けに打ち込まれる拳は、まるで形式など鑑みない、酷く乱暴で無骨そのものだった。人間であれば、サンドバック状態には耐えられないだろう。しかし無情にも、大木は応じなかった。表情ひとつ変えず、嘲るかの如く、ただ悠然とその場に突っ立っているだけである。


 木の魔物は、今まで明里が見てきたいくつかの魔物と比べても大きな部類に入る。その規模として同列、あるいは一つ下位に挙げられるものと言えば、先日の怪鳥であろう。眉間を貫かれるという、呆気ない最期を迎えた魔物だ。


 しかし、あれと木の魔物とでは、まるで勝手が違う。頭上を飛び回る怪鳥の一方、木の魔物は衝撃に身体を揺らすことも、おののくこともない。それこそ永い年月を経た大木の如く、ずっしりとその場に鎮座していた。


 陽菜と友芽の攻撃など、樹皮を虫が這うようなものだ――そう言わんばかりに。


 突然、明里の腹が揺さぶられる。地面が隆起し、粉塵を噴き上げる。芝生と煉瓦の地面を割り、腹の底を揺さぶる轟音と共に太い根が顔を出したのだ。そして、今まさに飛びかからんとしていた市松陽菜の足を掬い上げた。


 ひっくり返ったスカートから、普段は隠れている黒いスパッツが露わになり、頭の両端に括る髪がだらりと下がる。それでも陽菜は、自分の身なりを恥じらう様子ひとつ見せず、ただ不貞腐れたような表情のまま吊り下がっていた。


「陽菜ちゃん!」


 友芽はギターを弾く。音の衝撃波が木に当たり、割れかけた音を奏でる。


 しかし陽菜を捕らえた枝はびくともしなかった。そして囚われた陽菜もまた、動こうとしなかった。


「陽菜ちゃん、ちょっとは抵抗してよ!」


「そうしたいのは山々なんですけど……なんか急に眠くなっちゃって。ちょっとだけ休んでも、いいですかね?」


「駄目に決まってるじゃん、もー!」


 抗議の声をあげる友芽のことなど、まるで眼中に入っていないとでも言うかのように、陽菜は大口を開ける。このまま放置しておいたら、本当に眠ってしまいそうだ。


 急にどうしたというのだろうか。明里と友芽は顔を見合わせる。しかしどちらも、答えを見出せずにいた。


 しばし首を捻った後、友芽は目を眇めた。


「明里ちゃんはどう、眠い?」


「いえ、今のところは。莉乃ちゃんは――」


 そう窺った莉乃の目は虚ろだった。


 心ここにあらず。そう言わんばかりの表情を浮かべている。明里はの肩を掴んで揺らす。すると少女は、切なげに眉を顰めた。


「莉乃ちゃん?」


 呼び掛けるが、返事はない。代わりに揺れたその身体は、明里の肩へと額を落とす。


「眠いの? ねえ、莉乃ちゃん。しっかりして!」


 ずり落ちる身体。それをを慌てて支えるも、莉乃の膝は力なく地面に落ちてしまう。


 何かがおかしい。ガーディアンズに属する少女の誰よりも真面目で誠実を好む少女が、悪い冗談に乗るはずがないのだ。彼女の異変は、事態の悪化を物語っていた。


 助けを求めるべく友芽に目を向けると、彼女はじっと思案していた。普段は穏やかに笑う横顔が、恐ろしく研ぎ澄まされていた。


「特殊能力を持つ魔物って、貴重なんだよ」


 友芽の唇が言葉を紡ぐ。じっと前を見つめる彼女は、微かに瞳を輝かせた。


「ゆめも、何回かしか見たことない。本当に、ちょっとしか見られないの!」


 期待に弾む声を聞いているうちに、明里は脳が霞むような感覚に陥った。思考が鈍り、目蓋が重くなる。それは授業中に襲ってくる睡魔とよく似ていた。


 弦を弾く音が聞こえる。手慰みに、一本の線を掻く彼女の目は、誰よりも冴え渡り、眠気一つ感じさせない。彼女も明里と同じく居眠り常習犯と聞いているが、今はその限りではないようだ。


「明里ちゃん、見える? あれ」


 そう彼女が示すのは、例の魔物だった。


 意識のない少女を吊り下げて、悠然とそこに突っ立っている、大樹の魔物。よくよく見ると、青々と茂っていた葉の色が、どこか白みがかって見えた。


 それと似た光景を、過去に見たことがある。建物の隙間から覗くなだらかな山。春先になるとそれは鮮やかな新緑を霞め、やがて鼻や目の刺激に悩まされる。明里も、その被害者の一人だった。


 木の魔物には花弁こそ見られないものの、茂る木の葉から花粉のような粉塵が舞っているようだ。どうやらそれが、少女を次々と襲った睡魔の原因らしい。


「花粉っぽいよね。それなら――」


 友芽は呟き、強く弦を弾く。色とりどりの音符が舞い、衝撃波が繰り出される。


 友芽の『能力』とは、簡単に言ってしまえば衝撃派を発生させるものだ。それを用いて、花粉を弾き飛ばそう――そういう魂胆なのだろう。


 しかし現実は非情であった。それが衝突した木の葉と共に粉は散り、無色透明の空気を見せるが、それはすぐに、まるで幻想であったかのように埋もれてしまう。


 何度やっても結果は同じだった。それどころか、悪化した。


 弾かれた白い粉が幹を伝い、地面へ広がる。木に吊り下がった陽菜も、すでに目を瞑っていた。莉乃も動かない。明里もまた、重くなりゆく頭と目蓋に抵抗するだけで精一杯だった。


 その時だった、前触れもなく砂が舞い上がったのは。


 鋭く荒々しい音と共に強い風が肌を叩く。突如として現れた嵐が大樹を腕中に抱き込んだのだ。それは容赦なく木の葉を毟り、ベキベキと枝を折る。それはさながら、金剛力士の抱擁だった。


「ハロー・パッセンジャーズ! イッツ・ア・スペシャルデイ!」


 そんな不思議な言葉が聞こえてくる。


 舞い降りたその人は束ねた髪を大きくうねらせ、短いスカートを翻す。揃えられた長い脚が、砂埃の渦巻く地面にゆっくりと降ろされた。

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