23話 イッツ・ア・スペシャルデイ-1

 ちらりと目をやった窓外には、薄暗い雲が広がっていた。雨の気配はないものの、今後の動きによっては降雨にも、あるいは晴天にも成り得るだろう。


 そんな天気の中、明里は寮の食堂で白米と味噌汁、そして焼き鮭に舌鼓を打っていた。前の席には霧生詩織。いつものように、二人揃った食事だった。

 寮で出される鮭は、どうやら周りに広がる海で取れたものであるらしい。


 淡い橙の柔らかい身は、開く度にじっとりと肉汁を滲ませる。それは実家で食べていたものとは、まるで正反対の質感だ。最初こそ違和感を覚えたものの、今ではこれが普通になってしまった。


 そんな時、明里達が座る席とは異なる机で食事を摂っていた先輩が、慌ただしく動き出した。

 何があったのだろう。箸先を咥えたまま、明里はぼんやりと、詩織の向こうを歩く少女を見守っていた。


 明里は手元にタブレットを置いていなかった。友人との会話と食事に集中するために、部屋に放り出してきたのである。だから、彼女に――ガーディアンズの先輩に何が起こったのか、明里には分からなかった。


「何かあったの、莉乃ちゃん」


 明里のはとこ水谷莉乃。食器の乗ったお盆を抱える彼女は、くるりと振り返って怪訝そうな色を滲ませた。


「魔物が出たんだって」

「ええっ、こんなに早く?」


 早朝に魔物が出現した回数は、さほど多くない。

 魔物の多くは昼間や放課後に現れ、学園守護組織ガーディアンズはそれを主な狩猟の対象とする。だからこそ、油断していた明里は慌てた。


 そそくさと食器の返却に向かう莉乃と、今なお食事を続けるルームメートとを交互に見て、明里は頭の中が沸騰していくような感覚に陥った。このまま莉乃に付いて行くと、友人を置き去りにしなくてはならない。それがどうしても、後ろ髪を引く。


 そんな様子を見かねてか、詩織は墨を垂らしたような目を持ち上げる。その手元では、魚の身が原形を留めないほど細かく砕かれていた。


「仕事?」

「どこかで魔物が出たらしいの」

「……そう。じゃあ、行かないと――なのかな」

「うん、ごめんね。ちょっとだけ行ってくる」

「行ってらっしゃい。気を付けて」


 そう詩織は微笑む。穏やかな表情に明里の焦燥は掻き消え、義務感が勝る。

 この笑顔を、この日常を守らなければ。明里は大きく頷いて、残っていた食事を口の中に詰め込んだ。


「それは食べていくんだね」



 魔物は高等部の校舎からだいぶ離れた位置にあった。

 桜学園の敷地のほぼ中央に位置する、円柱状の建物――その周辺に、魔物出現のポイントが押されていた。


 タブレットを開き、小走りでその位置へ近づく水谷莉乃と、その手元を覗きに戻りつつ先を行く明里。魔物は移動していないらしい。一寸たりとも変わることなく、赤いポイントを建物の傍に光らせている。


 その地点を目指して走っていると、やがて明里の視界に見慣れた姿が飛び込んできた。ガーディアンズの構成員、上澤友芽と市松陽菜である。

 彼女らは揃って一点を見つめていたが、明里達の接近に気が付くと、くるりと振り返った。


「お、来た来た」


 先にその場に到着していたらしい上澤友芽は、大きく手を振る。地面に敷かれた煉瓦の上を駆ける明里は、飛び跳ねつつ応じた。


「よかったよ。ゆめ達だけで退治するのかと……」

「先輩、魔物は?」

「あれだよ、あれ」


 示されたのは木だった。緑の茂る大きな木。表皮はゴツゴツと硬く、暗い色をしている。空に近い先端には青々とした葉を付け、身を揺らすたびに落ち着かない音を奏でる。

 目の前にそびえるそれに、明里はぽかんと口を開けた。


「木、ですか?」

「うん、木」


 動かない魔物は初めてだ。そう友芽は呟く。

 星のマークが大きく描かれた、賑やかなエレキギターを抱える彼女。その手元では、器用に調弦が続けられていた。


 彼女の『能力』は、彼女の持つギターを媒体として発せられる。

 楽器を媒体とする、という点では、友芽は明里と似た『能力』を所有する。そのため彼女は、しばしば明里の指南役として、『能力』の制御に大いに貢献した。彼女がいなければ、毎日のように、麓にある研究所まで足を運ばなければならなかっただろう。それは何としてでも避けたかった。


 さて、どう攻めようか。深く思案する友芽を余所に、市松陽菜は両の拳を打ち合わせた。


「さっさと処理しましょう」

「処理したいのはいいんだけど――」

 少し息を切らせた莉乃は、ぐるりと辺りを見回し、

「どうしていつも、全員揃わないんですかね」


 この場にいるのは明里、友芽、陽菜、莉乃の四人である。正規ガーディアンズメンバーにはあと二人いるはずだが、朝早い所為か、彼女らが姿を現すことはなかった。


 明里はふと思い出す。魔物の討伐時、ガーディアンズの全員が揃うところは見たことがない。少なくとも、明里がガーディアンズとして活動を始めてからは一度たりともなかった。必ずと言ってもよいほど誰かしらが欠ける。

 リーダー格同然の上澤友芽は、それに随分と悩まされているようだ。


 もともと人数の少ない守護組織である。今回のように少数の魔物を相手取るならまだしも、自陣営以上の勢力を持つ敵が現れたら、そして少数では対処の仕様がないほど強大な敵が立ち塞がったらどうするつもりなのか。


 だが、どれだけ悩んでも、彼女にはどうしようもないのだろう。友芽は深い溜息を吐いて肩を落とした。


「だって、はるちゃん、呼びに行っても起きないし、無理に起こしたら殺されそう」

「麗華の奴も全く反応がありませんでした。つーか、九時きっかりに寝ているのに、何で遅刻ギリギリで起き出すんだろう」


 不思議そうな表情を浮かべる陽菜。秋月麗華は、明里の友人とはまるで真逆の生活を送っているらしい。

 友芽は頬を掻く。そしてひきつった笑みを浮かべた。


「いや、ね。部活のようなものだし、欠けるのは仕方ないと思うんだけどね。想定内なんだけど、それにしても、このメンツはちょーっと悪意ありすぎじゃないかな」

「いつもこんな感じじゃないですか?」


 莉乃がそう言うも、友芽は首を振る。


「確かにそうだんだけど、でもさ、あのどでかい化け物を倒すために近接、一応遠距離、回復、援護がそれぞれ一人って……どうなのさ。もう少し攻撃が欲しいなって、ゆめさんは思うんだ」

「バランスよく振り分けようとして、逆に使いづらくなるパターンですね」


 待ちくたびれたのだろうか、陽菜は普段は見たこともない準備運動をしていた。肩を回し、首を回し、足の筋を伸ばす。最後に小さく拳の骨を鳴らすと、


「それより、始めませんか。あと十分三十二秒で会長のお食事の時間なんですけど」

「そうだね。朝練もそろそろ始まるし、ちゃちゃっと終わらせよっか」


 友芽の言葉を合図に、陽菜は力強く地面を蹴る。それに続けと言わんばかりに友芽が声を張り上げた。


「よーし、やるよ!」



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