30話 図書守と-2
「先生は、最近自殺した生徒がいることをご存知ですか?」
「今その話をするのか?」
半分の顔が呆れた色を映す。
回答を渋っているようだ。折角の休み時間にまで鬱屈とした話を交わしたくない――彼からは、そのような意図が読み取れた。次に来るのは拒絶の言葉であろう。明里は友人を止めようと口を開きかけた。
「ああ、知ってるさ。逆に、知らない奴なんていないだろ」
言葉を成すよりも先に男が紡いだのは、対話を進めるかのような台詞だった。
「んで、それがどうしたって?」
「先生の見解を教えていただけませんか」
「……探偵ごっこか?」
唸る先生。その様子は、魔物と対峙した際の冷徹を彷彿とさせた。
友人は何を考えてこのような質問を投げ掛けるのだろう。明里は不思議でならなかった。隣を窺うも、横顔からは何も読み取れない。じっと真っ直ぐに、先生を見据えている。ただそれだけだ。
間が空いた。先生は目を瞑る。その静寂がやけに長く感じられた。
「見解と言われてもな……。オレは調査書を読んでないし、何がどうしてそうなったのかも分かんねぇけど、『自殺』でも納得はできるわな。だけど、『事件』である可能性もゼロではない。その程度しか言えねぇな」
「調査書って公開されるものなんですか」
詩織の質問に無言を以って応じた先生は、こつりと小さな音を立ててマグカップを置いた。
「どうしてそんなことを訊く」
「訊いてはいけませんでしたか?」
「見かけ通り、あんた、面倒臭そうな奴だな」
「そんな偏見を持っていたら、女の子に嫌われますよ」
「オレのは偏見じゃねぇ。人を見る目だよ」
そう言うと、先生は覆われていない方の目を示す。瞳は疑り深く、こちらを睨んでいた。
キリキリと緊張の糸が巻かれる。徐々に張っていくそれが、首を締めていく。明里は逃れたい一心でマグカップ――熱々の茶が注がれた器に唇を付けた。
「熱っ」
「淹れたばかりなのに急ぐから……」
「うう、成宮明里、一生の不覚」
「一生の不覚、ちゃち過ぎない?」
詩織は呆れた様子を見せる。しかしそれと引き換えに、行き渡りつつあった緊張は晴れたようだ。友人は少しの間考え込む素振りを見せた。
「……先生。私が見解を訊いた理由は、どうして地下さんが死ななくてはならなかったのかを知りたいからです。彼女は明里の友達だった。私も、仲良くなりたかった。それなのに、どうして自殺なんか……それが、不思議で」
友人と視線が交わる。相変わらず暗い色に沈んでいたが、平生よりも確かな温もりを湛えているように見えた。
明里が知る限り、霧生詩織と地下小夏の接触は入学式の翌日――共に昼食を摂り、共に研究所へ向かった、その日のみであった。それ以外の時間では、地下小夏は幡田暁美を伴っていたし、詩織は明里に連れ添っていた。
深い間柄になかった筈なのに、ここまで気に掛けているとは驚きだった。
「自殺した理由を知りたい。友人のために、か。随分と友達思いなんだなぁ」
感心、感心と、先生は顎を摩る。しかしその目から疑るような色は消えていなかった。
「そんなに気になるなら、生徒会や調査チームを訪ねてみりゃァいい。まあ、そう簡単には教えてもらえないだろうな。誰か知り合いでもいるなら話は別だろうけど」
生徒会、もしくは調査チームの知り合い。それから連想されるのは、生徒会庶務職の少女だった。二階堂由希。学園中の生徒の模範となるべき組織の一員だというのに、これでもかと制服を着崩した少女だ。
一度目の対面は廊下、地下小夏の死亡が発見された時に聞き込みに来た。
二度目は木の魔物襲撃時、助っ人として颯爽と現れた。
明里が二階堂由希と関わりを持ったのは、ただ二度限りの機会だけだ。互いの顔を見知っている程度の関係である。その程度では、いくら頭を下げたとしても、目的の情報など教えてもらえないだろう。
地下小夏の自殺に関しては、全て解明されたとは言い難い。死因や飛び降りた地点までの経路等は調査が進んでいる――と言われているものの、なぜ自殺にまで追い詰められたのかまでは不明である。明里が最も欲する情報が、未だ厚い暗雲に埋もれていた。
「全く、慣れないモンだな」
先生は重い息を吐き出す。
「『能力』に殺された口、なのかもな。珍しいことじゃない。オレ達は能力者。自分の力に殺されても、何ら不思議はない。これは人間には早すぎるんだ。お前らも殺されないように、きちんと対策しないとダメだぞ」
自分の力に殺される。その言葉は、研究所において耳にした『能力』の暴走と酷似していた。
『能力』が扱い手の制御から外れること――暴走。それは突出した「力」を持つがゆえの特権である。
異能力研究所における“暴走”の話の件は、自らが持ち合わせる『能力』の制御訓練の重要さを説くための材料にすぎなかった。誇張された実話、もしくは作られた脅し文句であろう。そう、どこか白い目で見つめる自分がいた。
しかし友人、地下小夏の自殺が『能力』の“暴走”と関わっているとしたら。
万が一にも、自分がそれに陥る可能性があるとしたら。
目前の男が紡ぐ言葉が、一つ、また一つと言い様のない不安となって明里の身体に突き刺さる。
いつかは牙を剥くかもしれない獣が内に潜んでいる。自分だけではない。傍らの友人にも先生にも、そしてこの学園に通う全ての生徒にも。
どうして自分は、これほどリスキーな旅路を歩んでいるのだろう。
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