31話 図書守と-3

「茶、淹れ直そうか」


 沈んだ空気を一新するかのように、並木先生は立ち上がる。それに傍らの詩織が、空となりかけたカップを差し出した。


「お願いします。――明里は?」


 その瞳は変わらなかった。


 能力者に降り掛かり得る話を耳にしても、動揺一つしていない。なぜここまで憂いずにいられるのか。明里は疑問に思いつつ、首を振った。


「大丈夫。まだ半分残ってるもん」


 そうか、と気を悪くした様子なく応じる先生は、カウンターの奥へと戻って行く。その動きはどこか機械人形じみていた。足を引き摺り、あるいは庇うように身体が傾いている。


 つい最近負傷でもしたのだろうか。そのような人物をお茶汲みに向かわせるなど、罪悪感を覚えずにはいられなかった。


「明里」


 不意に詩織は口を開く。生クリームをたっぷり乗せたパフェ以上に甘く、優しい声だった。


「大丈夫だよ、明里。不安そうな顔しないで。コントロールの練習だって、いつも頑張ってるんだから。気にすることはないよ」


 友人に心配される程、自分は不安そうな顔をしていただろうか。明里は頬に手を当てて、口角を押し上げた。


「そうだね。うん。努力は報われるって……きっとそうだよね」


 能力者は、自分の力に殺され得る。喉元に食らい付かんと、鋭い歯牙を持つ獣が草の間に伏せっている。学校で推奨される、『能力』の制御訓練を行っても、その事実は揺るぎない。単に発生率を低めるというだけだ。


 だがもしも――もしもこの世に慈悲があるならば、努力には結果で返してもらいたい。それが切なる願いだった。


 はたと、一人の少女が脳裏を過る。髪を一つに纏め、へらり気の抜けた笑みを浮かべる友人。地下小夏の親友だった、あの少女。


「暁美ちゃん……幡田暁美ちゃん。そうだよ、あの子はどうなるの? コントロールの訓練、まだ受けてないって」


 彼女は『能力』の覚醒を経ていながら、制御の訓練を行っていないと聞いた。再三送られて来る訓練推奨のお知らせメールも無視し、現状を楽観視していた――筈だ。


 友人の自死を経験し、すっかり閉じ籠ってしまった幡田暁美の状況は、今尚変わってはいないだろう。もし本当にそうだとすれば、近いうちに彼女もまた『能力』に殺されかねない。


「私達が焦ったって、何も変わらないでしょ」


「でも――」


「彼女は死なないよ。少なくとも、あの子と同じ道を辿ることはない」


「……どうして、そんなことが言えるの?」


「さて、どうしてだろう。これも『能力』のお蔭だったりして」


 そう言う詩織の目元は笑っていた。しかし瞳の奥底に宿る凄然とした光は誤魔化しようがなかった。


 この顔は見た事がある。悪戯を後に控え、腹の中では得体の知れぬ思案を巡らせている時の顔だ。怪しくも頼もしい友人の姿――しかしそれを素直に受け取ってよいものか。明里の中の誰かが、そう引き留める。


 どれだけ慰めの声を掛けられても、再び友人が消えてしまう気がしてならなかった。幡田暁美やガーディアンズのメンバー。そして、いずれは霧生詩織も、自分の前からいなくなってしまうのではないか。『能力』に潰されて、明里が見送ることもできず、猫のように忽然と。


「詩織は、まだ訓練してないの?」


「自分の『能力』が何かも分かってないからね」


「そっか、開花がまだなんだ」


 そうだとすれば、まだ猶予はある。明里はそっと息を吐いた。


「開花したら、一緒に研究所行こうね」


「誰かさんの心配性が移ったみたい」


 くすりと詩織は笑む。笑い事ではない。そう憤って見せる明里に、友人はさらに破顔した。


「分かったよ。何か分かったら、また伝える。隠し事はしないよ」


「約束だからね!」


 机の上に放置されたガラス細工に陽が落ち、細やかな光を散らす。胸元のネックレスが熱く振動する。


 もっと強くならなければ。


 学年としては最も下ではあるが、これからは、同学年にとって能力者の先輩にも成り得るのだ。もう二度と、『能力』に殺される生徒を出したくない。明里は決意を新たにした。


   □   □


 短毛の絨毯が敷かれた廊下を歩きつつ、明里は大きく身体を伸ばす。ぶら下げたお風呂セットが背を叩いた。


「先生の話、面白かったね」


「ねー」


「家族の中で、先生とお兄さんだけが能力者だったって話、ちょっと笑っちゃった」


「ああ、どこで種を仕込んで来たんだってやつね」


 放課後に行われた司書との会談は、下校時間になるまで続いた。その会話の内容は、最初から最後まで愉快なものとは言い難かったが、学園守護組織ガーディアンズとして、また一能力者として気持ちを引き締めるよい機会となった。


 最初こそ菓子目当てで訪れた図書館だったが、何やかんやでよい出会いを得てしまった。明里は一人歩微笑む。


 自室へ向けて賑やかな廊下を進んでいると、明里の視線は、いつしか一つの扉に吸い込まれた。明里等の部屋から二部屋ほど離れた所にある個室。ぴたりと閉じられた扉からは、音も光も、人の気配も漏れて来ない。


 周囲の音が、消える。


「……明里?」


 詩織が不思議そうに覗きこんで来る。寂寥感が波のように押し寄せる。それを表に出さないよう、いつもの口調を努めて明里は口角を曲げた。


「ここね、暁美ちゃんとシカちゃんの部屋なの」



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