25話 イッツ・ア・スペシャルデイ-3

 空から舞い降りたのは、見覚えのある少女だった。


 友人の死亡が発見された、あの忌々しい日。明里の元を訪ねてきた少女――二階堂由希。大人びた顔面には、強気で明るい笑みが浮かんでいた。


「二階堂由希、ただいま参上! ピンチの時に颯爽と駆けつけるのって、チョー格好よくない?」


「由希ちゃん、助かったよ」

 友芽は表情を緩め、ギターを降ろした。

「ちょっとあの魔物、切り刻んでくれない?」


「オッケー、任せて!」


 と言ったところで、由希は顔を歪める。しぱしぱと瞬き、やがて目を覆った。


「タンマ。目に砂が」


「ほらぁ、こんなに派手にかますから――って、痛い! ゆめも砂入った……」


 揃って目を擦り始めた二人を余所に、ようやく砂嵐は鎮まりを見せる。


 花粉と思しき粉はすっかり吹き飛び、大木の本体は、以前とは似ても似つかないほど貧相な姿をしていた。葉もなければ枝もない。一回りも二回りも肉を削がれた魔物は、雨に濡れた子犬のように震えていた。


 その根元には、依然として休息に浸る市松陽菜。あれだけ砂嵐に吹かれ、落ちた木の葉の抵抗を受けてもなおなお眠っているのか、丸まった背が穏やかに上下していた。


 その一方、莉乃は、明里が肩を揺り起こすと同時に意識を取り戻したようだ。恨めしそうな唸りをあげ、柔らかい髪を振った。


「あれ……二階堂先輩。どうしてここに?」


「よっす、よっす。ヘルパー二階堂先輩だよっ!」


 予期せぬ砂の反乱から、ようやく立ち直ったらしい。長い睫毛を涙に濡らしつつ、由希は力強く親指を立てた。


「よーし。じゃあ、お仕事始めちゃうぞ。手出しは無用! 大船に乗った気持ちでいて頂戴」


「頼もしいよー! 由希ちゃんファイトー!」


 友芽の楽しそうな声援を受け、二階堂由希は大地を踏みしめる。そして胸の前で腕を交差させ、


「ウインド・ブレード!」


 ばっと両腕が開かれる。それと共に空気の歪みが三日月形の刃となって、僅かばかり残った魔物の枝を、そして幹を削いでいく。魔物は手を出すことなく、ただ自分の身体が削られていく様を見詰めていた。


 収束は、そう遠くはなかった。


 刻まれた木片がぽろぽろと地面に落ちる。そのうちの一つが当たったのか、陽菜は飛び起きた。眠気の残滓漂う団栗眼はすぐに状況を把握したのか、素早く体勢を低くして、明里達を捉えた。


「何が起こって――って、二階堂先輩? どうしてここにいるんです。いや、そんなことより、今何時ですか?」


 そんなことって酷い、と抗議の声をあげる由希。それを全く気にする様子もなく、友芽は自らの腕に巻き付けた小さな時計に目を落とした。


「今は七時三十分過ぎ……だね」


「うわ、もうそんな時間。先、失礼します!」


 慌ただしく起き上がった陽菜は、制服を汚す砂を払い落としながら、寮の方へと駆けていった。さんざんサンドバックにしていた魔物には目もくれない。


 清々しいほどに無視された魔物には、同情を覚えざるを得なかった。


「相変わらず忙しいなぁ、陽菜ちゃんは」


 莉乃はくすくすとする。その近くで、友芽もまた肩を竦めた。


「そういう条件で入ったらしいからねぇ、ガーディアンズ。こればっかりは口出せないよ」


 市松陽菜は、学園守護組織ガーディアンズに属すると同時に、自らの意志を以って生徒会長――この桜学園の生徒を代表する少女に付き添っている。その由来は、明里には分からない。だが、浅からぬ因縁があることは確かだった。


 去りゆく小さな背を見送り、明里の視線は魔物へと戻る。


 魔物はすっかり姿を消していた。地面の上には木片が転がり、切り株すら残っていない。転がる木片だけが、つい先程まで大木と対峙していたことを物語っていた。


「さっきのあれ、何だったの?」


「魔物だよ。大きな木の形をした魔物」


「そんなしょぼそうな奴に苦戦してたの? ウケる」


 由希は、ププ、とわざとらしく吹き出す。それに対して友芽は、


「陽菜ちゃんが捕まって、莉乃ちゃんが寝ちゃって、ゆめの『能力』も碌に効かないしで……。もー、参っちゃったよ」


「一年生は?」


 突然向けられた矛先に、思わず肩が跳ねる。どこか訝し気な視線を送ってくる由希は、じろじろと明里を見ると、あっと声をあげた。


「もしかして、この前の一年生ちゃん?」


「は、はい。そうだと思います。えっと――」


 続ける言葉を迷っていると、由希はふいと視線を逸らす。急に興味を失ってしまったかのようだ。あまりにもあからさまな豹変振りに、明里は少しひやりとした。


 気に障るようなことでもしただろうか。積み重なった荷物を開き、記憶を確認していくが、いくら考えても、目前のような態度を取られる覚えはなかった。


 ざわつく胸を押さえつけ、明里はぎゅっと拳を握りしめる。


「あの……あの後、詩織とも会えましたか?」


「霧生詩織ちゃん?」


 彼女は明里を見てはくれなかった。直視することなく、まるで逃れるかのように、沈んだ瞳を余所へやってしまう。しかし話に応じる気はあるようで、


「会えたよ。話しもできた」


「由希ちゃん、今日は珍しく静かだね」


 どこか剣呑とした雰囲気を見かねてか、友芽が口を挟んだ。


「静かというか、不安定というか。まるで――はるちゃんを見ているみたい」


「そうかな。いつものスーパーゴッドな由希様だけど?」


「その調子なら、いつもの由希ちゃんだね」


 カラカラと笑う友芽。それに合わせて由希も肩を揺らした。目に淀む暗闇は、綺麗さっぱり消え失せていた。


 あれは見間違いだった。そう結論づけようとしたが、騒めき立つ胸はごまかしようがなかった。


 静寂の戻った校庭に、電子音が鳴り響く。何度も何度も、それは繰り返し鳴る。またしても魔物が出現したのかと、慌てて自分のタブレットを取り出すが、どこを見ても警告文は確認できない。


 音源は由希の小型タブレットのようだ。スカートのポケットから現れた薄い板を取り出して、長い指の先で操作しても、それが止むことはなかった。


「あんにゃろ……またスタンプ爆撃しやがって」


 由希は柳眉の間に皺を作る。由希の手元を覗き込んだ友芽は何を見つけたのか、ププといつぞやの由希のように噴き出した。


「また後輩に弄られてるの?」


「弄られてないやい。くっそー、先輩を馬鹿にしたらいけないんだぞ」


 由希の指がタブレットを叩く。液晶パネルと爪との間で小さな音が鳴った。


「通知、切っておけば?」


「やり方分かんない」


 そんなやり取りが目の前で繰り広げられているうちに、校門を生徒と思しき影がくぐるところが確認できた。時刻は七時四十分を過ぎようとしている。そろそろ運動部や朝の早い生徒が活動を始める時間帯だ。


「はーい、じゃあ、そろそろ解散しよっか。お疲れ様ー!」


「お疲れ様でした!」


 口々に言い、少女達は散って行く。


 由希と友芽、莉乃のそれぞれが教室へ向かう中、明里は一旦、寮に戻らねばならなかった。筆箱も教科書も、すべて自室に置いて来てしまったのである。次回以降はきちんと用意をしてからガーディアンズの元へ顔を出そう。そう道中を急いだ。


 しかしどれだけ急いでも、胸の荒波は消えない。まるで蜘蛛の巣のように、明里を捕らえて離さない。


 またよくないことが起きるのではないか。そんな予感が明里の足を急がせた。

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