22話 明けた日のこと-4
桜学園に通うすべての生徒が集まる寮。昼間は閑散としたそこも、学校が終わると少女達の賑やかな声に包まれる。
暗くなりかけた窓に薄緑色の布が引かれた。根元から布の先まできっちりとカーテンを閉めたルームメート霧生詩織は、大きく身体を伸ばした。
体調が悪いと言って学校を休んだ彼女だったが、明里が部屋に帰ってくると、いつものように本を片手に出迎えた。顔色もよく、早朝に訴えた頭痛の様子も見られない。仮病ではないかと疑うほどである。
「詩織、ちゃんと寝てた?」
「え? ああ、うん。ちゃんと寝てたよ」
「……嘘っぽい」
「失礼だなぁ。私が嘘を吐いたこと、ある?」
鮮やかな微笑を浮かべる友人。だが、それに惑わされてはならない。彼女が嘘を吐いたことがないわけがないのである。彼女と出会ってからおよそ二か月。どれだけ彼女の嘘に振り回されてきたことか。
「まあ、元気ならいっか。――そうそう、今日ね、ガーディアンズの先輩から興味深い話を聞いたよ」
「へえ、どんなの?」
「お茶とお菓子の話。いっぱい貰えるんだって!」
昼間に得た有益な情報。用はないからと遠ざけていた図書館は、話を聞く限り、明里にとって楽園も同然の場所であるらしい。明里の脳裏からは、睨みを効かせる男性のことなどすっかり消えていた。
窓際から移動してきた詩織は、ベッドに腰を降ろす。明里もまた自分のベッドに飛び込んだ。
「図書館で貰えるそうなんだけど、詩織って図書館行ったことある?」
詩織はよく本を持っている。そして休み時間や放課後には、人知れず姿を眩ませることが多い。
姿が見えない間、てっきり図書館へ行っているものとばかり思っていたが、どうやらそうではないようだ。友人は首を振ると、
「気になってはいたけど、機会がなくてね。行ったことはないよ」
「意外。てっきり入り浸っているのかと……。じゃあ、その本は? どこで手に入れてるの?」
「前から持っているものとか、商店街で買ったものとか。あとは友達に借りたり……かな」
指を折りつつ応じる詩織。明里は目を丸めた。
「詩織って、友達いたの?」
「失敬な」
詩織は眉をひそめてみせる。その顔に凄みはない。
驚きだった。まさか友人が、自分の目の届かないところで人間関係を築いているとは――正確には、築けているとは。
明里から見ても、詩織は無愛想な人物である。自分から話しかけることは殆どないし、かといって、話を振っても必要以上に応じることはない。よほど親密でなければ笑顔を見せるようなことも、冗談を言って笑わせるようなこともしない。
そんな詩織に友人ができたとなれば、それは非常に喜ばしいことである。
「成長したねぇ、詩織ちゃん」
涙を拭う仕草をしつつそんなことを言ってみると、「馬鹿にしてるでしょ」と呆れた声がやってくる。
すると詩織は枕元に置かれた本の中から、鳥の絵が描かれた表紙を取り上げる。この表紙はよく目にする。詩織がよく眺めている本だ。
カラスとフクロウが出てくる絵本。多くがひらがなで構成された、子供に向けた本だ。小難しい書物ばかりを読んでいる詩織には似合わない内容だったことを覚えている。
こうして本を手に取ったからには饒舌な時間は終わりかと、明里は肩を落とす。しかしそんな予想と反して、詩織は本をめくることなく、膝の上に本を置いた。
傷一つない綺麗な手が表紙を撫でる。表紙を飾るフクロウが、翼を広げてそれを受けていた。
「一か月も経てば、友達の一人や二人もできるよ」
「そうだよね……」
脳裏をあの少女が過った。先日、自ら身を投げた少女。何かに追われ、それから逃げるように命を絶った少女。
入学してから早々に友人がいなくなるだなんて、予想もしていなかった。友人達と楽しい学園生活が始まる――そう思っていた。しかし眼鏡の友人のみでは飽き足らず、今やもう一人、故人の親友もまた、明里の前から消えようとしている。それが恐ろしくて仕方ない。
自責の念か、それとも不安だろうか。ずきずきと、胸の内が痛んだ。
その時、小さな電子音が鳴った。詩織のタブレットが音を立てたようだ。立ち上がった彼女は机の上から板を取り上げる。
「あ、ご飯の時間だ」
「ご飯!」
午後六時頃から始まる食事の時間。
自室に戻っていた生徒も商店街に遊びに出掛けていた少女も、学校に残って部活や委員会に勤しんでいた同胞も、すべてが寮に設置された食堂に集う。その様子は昼休みにおける学校の食堂以上の賑わいを見せる。
限られた席を取るべく走る先輩らの姿を見て固まった入学当初が懐かしい。
「詩織、早く行こう! ご飯、食べられなくなっちゃう!」
「そんなに慌てなくても……だいたい、食堂は九時まで開いてるんだから、お風呂に入った後でも――」
「ご飯行く! ご飯行こう!」
「明里は本当にご飯が好きだね」
詩織は肩を揺らす。それに明里は大きく頷いた。
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