21話 明けた日のこと-3
重々しくもどこか呆気ない音が校庭に響く。何度も何度も空気を叩く。
銃口から立ち上る白煙が、穏やかな風に掻き消える。一文字に結ばれた唇がもどかしげに動き、やがて鋭い舌打ちがこぼれた。
その音を耳にした明里は、抱えていた頭を解放して視線を持ち上げた。
窓枠の中、一寸たりとも変わりない位置に男は立っていた。冷え切った瞳で、じっとこちらを見下ろしている。
よく見ると、先生の前には平たい板が広がっていた。目を凝らさなければ視認できないほど薄く、高い透明度を持つ壁。
軽く石を投げつけただけでも壊れてしまいそうな壁だったが、それにはもちろん、先生の身体にも目立つ傷はない。そして、放たれたであろう弾丸も、命中したであろうそれらも、どこにも見当たらなかった。射出されてすぐに消滅してしまったかのようだ。
薄い防御壁が崩れる。小さな光を無数にちらつかせながら、地面へと降り注ぐ。その様子は、北の方で稀に見られるという自然現象によく似ていた。
「おい、七瀬。急にスイッチを入れるな」
そう唸る先生に、春佳は目を瞬かせた。まるで、今まで何をやっていたのか分からないとでも言うかのように先生を仰ぎ見る。そして慌てた様子で手の中にある銃を消した。
手の中に残ったのは一本のペン――どうやら明里と同じく、特定の物を変化させ、それを『能力』の媒介としているらしい。
ころころと態度を変える春佳を見、先生はキリと口角を上げた。
「『能力』はともかく、問題はスイッチの切り替えだな」
「うう、自覚してます」
「それなら努力しろ。あと放課後、罰掃除な」
「職権乱用、怠惰教師!」
「しかるべき処置だ。むしろ、この程度で済むことをありがたく思え」
それだけ言うと、先生は今度こそ窓を閉める。
今回も活躍できなかった。消えゆく人影を見送りつつ、明里はそっと息を吐いた。
学園守護組織ガーディアンズに加わってからというもの、魔物の討伐時には、常に現場に行くようにしている。しかし、そこで戦力として数えられることはなかった。それは己の無力さゆえであり、同時に先輩の優しさからであったかもしれない。だが明里にとって、それが歯痒くて仕方なかった。
早く『能力』を制御できるようにならなければ。逸る気持ちを押さえつけ、明里はようやく先輩らの方へ身体を向けた。
「お疲れ様です」
「おう、お疲れー」
無邪気に陽菜は応じる。彼女はすでに炎を散らしていた。明里よりも小さな肢体を包む制服にも、頭の両側面で結ばれた髪にも乱れ一つない。
その背後で魔物が
それに、校舎の傷も消えればいいのに、と春佳のぼやきが重なった。
「相変わらず安定しないですねー」
陽菜は笑う。口角を吊り上げ、拳を
だが、春佳がそれに乗ることはなく、ただ首を振ると、
「本当に困ったよ。どうしたらいいんだろう」
「トランキライザーでもキメてみます?」
「何それ、かっこいい。どこで手に入る?」
「さあ。精神病院とかじゃないですかね」
「えっ」
固まる春佳。それに陽菜は陽気な声を上げた。
三年生の象徴である黄色のリボンを身に着けた春佳に、二年生の象徴である青のリボンで飾った陽菜。彼女らの間には、いかにして七瀬春佳の「スイッチ」を制御するか――それが話題として挙がっていた。それもやがて移行し、ついには春佳に課せられた図書館の罰掃除の話になる。
それに明里は思い出す。そういえば、と会話に割り込んだ。
「さっき話していた男の人って誰ですか? 先生って呼んでましたけど」
「あれは図書館の先生だよ」
春佳は応じ、小さく肩を竦めた。
「並木先生っていうんだけどね、俺は最強だったんだ――とか、よくそんなことを言ってる、ちょっと痛い先生。口は悪いけど、なんやかんやでいい先生だから、今度会いに行ってみるといいよ」
「いい先生……?」
「あ、今疑ったでしょ」
「疑いますよ。だって、あんなに怒鳴ってたし……」
「確かに怒鳴ってたねぇ」
春佳は苦笑を浮かべる。
「でも、あれが普通なんだ」
普通、と明里は反芻する。
荒々しい怒声が響く図書館は、さぞ賑やかなのだろう。だが、いくら春佳のフォローがあったとしても、それで恐怖は拭えない。
悪いのは明里たち――正確には七瀬春佳なのだが、一種の殺意が込められたそれを目の当たりにして「怖くない先生」と判断できるはずがなかった。
「あの先生は、『能力』についてもよく知っているから、行き詰まった時には頼りにするといいよ。かくいう私も、よくお世話になってるんだ」
「いいですよね、図書館」
話に割り込んできた陽菜は、楽しそうに笑う。頭の両側で括られた髪が大きくうねった。
「ソファーで眠り放題だし、さぼっても文句言われないし」
「座ってるだけで、お茶とかお菓子も出てくるよね」
お菓子が出ると聞いては行かざるを得ない。いずれ霧生詩織や幡田暁美を連れて出かけてみよう――明里は期待に胸を膨らませて飛び跳ねた。
その時、静寂を取り戻しつつあった校庭にチャイムが鳴り響いた。昼休みの終わりを告げる音だ。
授業が始まってしまう。そう楽しげな悲鳴をあげた春佳や陽菜は、我先にと校舎の方へと駆けて行く。明里もそれに続いた。
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