16話 ガーディアンズ-2

 上級生の少女に連れて来られたのは、人気のない空間だった。


 教室棟二階端――何にも使われていない、単なる物置部屋とばかり思っていた一室の外装は、他教室とは別様であった。

 何よりも、壁の一部を占拠する曇ガラスが存在しないのである。廊下側から中の様子を覗き見る事はできない。そのため、余計に不安を煽る。


 異なる外観。薄暗い廊下。明里の脳裏には漫画で見かけた最悪の展開が過った。


 シメられる。流れたのはその五文字だった。

 高校は中学校と比べて上下関係が厳しい所であると聞いている。「協力してほしい」という甘い言葉は、明里をおびき出すためのエサだったのか。


 ゾッと背筋を冷たいものが走る。しかし明里の不安が伝わるはずもなく、友芽は平然と戸を引いた。

 戸の先には鉄パイプを持ち、煙をくゆらす上級生がいるはずだ。そう思い込み、やって来るであろう罵声や怒声に、明里はぎゅっと耳を押さえ、きつく目を閉じる。


「どうしたの、早くおいでよ」


 友芽の声が聞こえてくる。ただそれだけで、予想していたもの達は一切なく、それどころか甘く芳ばしい空気が鼻腔を擽った。

 明里は恐る恐る目蓋を持ち上げた。目の前に広がった光景に、はっと息を飲む。


 木板であるはずの床には長毛の絨毯が敷かれている。滑らかな曲線を描くソファーの枠には、柔らかそうなクッションがはめ込まれ、そのソファーの前には、上品な猫足の机が据えられていた。

 壁際には小さな調理場と食器棚。その向かいの壁にはアンティーク調の本棚が鎮座している。とても学校の備品だけで再現できるようなものではない。


 唯一学校らしさを残している箇所と言えば薄桃色の質素な扉だけで、それ以外は高級ホテルの一室を彷彿とさせる。

 もちろん明里はそれに宿泊した事はなかったが、少なくとも、平凡な一般家庭に育った人間がこの目で一生のうちに拝めるものではない――そう思わせる光景だった。


 廊下と教室との差異に、一瞬の目眩を覚える。そうとは知らない友芽は、呆気に取られる少女を押す。


「ほらほら、入って!」


 部屋の中には四人の少女がいた。その顔ぶれの中には明里のや、商店街で助けてくれた名前も知らぬ少女の姿もある。一度も目にしたことがない顔は、たった一つきりだった。


「あ、ゆめちゃん、お帰り」


 と、明るい髪の少女は言う。

 その控えめな微笑からは、やはり商店街で出会ったそれと同一人物であるとは思えなかった。


 その言葉に、皆が一斉にこちらを見る。

 「ただいま」と呑気に言う友芽。それを、明らかに歓迎していない人がいた。明里のはとこ、水谷莉乃である。

 ソファーから腰を浮かせた彼女はキッと眉尻を吊り上げ、声を張り上げる。


「友芽先輩、どうして――話が違いますよ!」

「いやぁ、ごめんごめん」

「あれだけ言ったのに……」

「でもでも、ゆめちゃんは手遅れだと思います!」


 そんなことを言いながら、友芽はギターケースを下ろす。大切そうに壁に立て掛け、きちんと壁に寄りかかっていることを確認すると、やがて猫足の机に置かれたクッキーを拾い上げた。


「それに――まあ、何というか。放っておいてもこの子は自分から巻き込まれに来ると思うよ。しばらく見ていたけど、そんな感じ。だったらこっちから取り込んで、安全に巻き込まれてもらった方がいいと思わない?」

「思うわけないです」


 莉乃は眉をひそめる。しかめ面のまま、下唇を突き出した。

 いったい何を危惧しているというのか。明里は状況をつかめずにいた。


 そんな明里を気に留めることなく、友芽は明里をさらに招き入れる。促されるままにワイン色の絨毯を踏みつけ、柔らかい椅子に腰を降ろした。


 はらはらと、どこか心配そうな莉乃が目に入る。彼女が狼狽える様子は、なかなか愉快だった。


 辺りに視線を漂わせる明里の前に紅茶がやって来た。それを差し出した少女は前髪を短く切りそろえた少女。それはにこりと微笑む。


「砂糖は机に置いてありますから、自由に使ってくださいまし」

「は、はい。ありがとうございます……」


 頭を下げる明里であったが、困惑は拭えない。忙しなく視線を転がし、膝を擦り合わせる。


 去りゆく少女――紅茶を持って来た彼女の胸元には青色のリボンが揺れていた。

 青いリボンは二年生の象徴である。

 この部屋には、前髪の短い少女と水谷莉乃の合わせて二人の二年生がいるらしい。一方の黄色のリボン――三年生もまた同席していた。友芽と、商店街で出会った少女である。

 見渡すばかりに広がる上級生の面々に、明里の身体が強張っていた。害を与えるようには見えなかったが、特有の緊張は拭えない。


「へへへ、驚いたでしょ。ここがガーディアンズの拠点なんだよ!」


 両腕を広げる屈託のない笑顔。その表情は、まるで秘密基地を見つけた子供のように誇らしげだった。

 その一方で、彼女の後ろでは苦い笑みが浮かんでいる。友芽と同じ色のリボンで飾った生徒、商店街で出会ったあの少女だった。


「全部麗華ちゃんが用意してくれたんだけどね」


 それに応じて、前髪の短い少女が笑う。彼女が「麗華ちゃん」であるらしかった。


「そんな大層な事はしておりませんわ。ところで友芽先輩。その子――連れて来てどうするおつもりですか?」

「どうしよっか。どうやって食べる?」


 明里は目を丸めた。慌てて首を振り、手を突き出す。


「た、食べても美味しくないですよ! お肉、全然ないもん!」

「それは嫌味かな?」


 じっとりと、表情に不穏の気配を滲ませる友芽。じりじりと迫って来る彼女に、明里は後退りをした。何が少女の逆鱗に触れたのか、慌てふためく明里だったが、やがてそれに割って入る人がいた。

 明里の血縁にある少女、水谷莉乃。彼女は、噛み付かんばかりに上級生を睨みつける。


「もういいでしょう。明里はガーディアンズには入りません。だから、もう帰してあげてください。あと、友芽先輩が太ってきたのはお菓子の食べ過ぎの所為なので、他人の言葉に怒るより自分の食生活を改善した方がいいと思います」

「ぐっ、正論……! いやいや、そうじゃなくて。いい、莉乃ちゃん。私がこの子を初めて見た時、ビビッと来たんだよ。話を聞いて、さらにビビビッと来た」

「何が言いたいんですか」

「怒らないで聞いて! この子、凄く綺麗な演奏をするって聞くじゃん。是非、我がガーディアンズのBGM担当に――」

「はあ?」

「ごめんってば、嘘嘘。だから、そんなに怒らないで!」


 詰め寄る莉乃に慌てる友芽。どちらが年上なのか、まるであべこべである。


 ふと思い返す。友芽は協力してくれと明里を連れ出したのである。そして連れてこられたのは、ガーディアンズと名乗る組織の拠点。莉乃の台詞を含めても、明里の予感は確信に近いだろう。

 まさか――そう、明里の身体が震えた。


「私の見立てでは、明里ちゃんはゆめと同じ“音”系の『能力』を持っていると思います。確実にそうだとは言い難いけど、中身も分からないけど、でも、もしかしたら結構使えるんじゃないかって、ゆめさん、思いました」

 彼女は一息置く。

「ので、“一応”リーダー権限で、明里ちゃんをガーディアンズに引き入れようと思います!」

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