2章 必勝!ムーブメント
19話 明けた日のこと-1
学園は大騒ぎだった。
何分変化に乏しい学園である。その話題は風に吹かれた綿毛のように、あるいは胞子のように、ぱっと敷地全体へ広がった。やがて根も葉もない噂がまとわりつき、桜学園高等部のもとに、そして明里の耳へと戻ってきた。
仕方のないことだ。そう頭では分かっていても、友人の死を、オカルティックに面白おかしく語られるのは、どうしても腹立たしい。
教室に残された空っぽの席。それはまるで、健気に持ち主を待っているかのようだった。時間さえ経てば戻ってくるのだと、机の持ち主は休んでいるだけなのだと、そう錯覚しそうになる。
故人・
今度は暁美がいなくなってしまうのではないか――そんな恐怖が足首を掴む。
友人が底のない闇に飲み込まれていく。次から次へと消えていく。最悪の連鎖ばかりが脳に焼き付いて離れない。ひょっとしたら、いずれはルームメートも消えてしまうのではないか。母と同じように、忽然と姿を消すのではないか。
脳裏に映る安らかな死に顔。横たわる肉体への恐怖、絶望。それが蘇った。さながらゾンビのごとく。
□ □
「地下小夏さん、最近の様子はどうだった?」
そう問うてきたのは、生徒会役員である。生徒会庶務職、
長い髪を後頭部で一つにまとめ、耳のあたりから尻尾へかけて、赤のメッシュを入れている。腕章がなければ生徒会役員と判断し難いほど、彼女の制服は着崩しに着崩されていた。
好奇心とも億劫とも取れる妙な表情を浮かべた彼女は、じっと明里を見下ろす。他にも幾人かに聞き込みをしたのだろうか、手には紙の束があった。裏面には強い筆圧が滲んでおり、所々に穴も開いているように見えた。
なぜ下敷きを用意しなかったのだろう。集中力の切れた頭は、ぼんやりとそんな事を考えた。
「小夏ちゃんは、最近寝てないって言ってました。怖いって言っていたんですけど、ようやく眠れるって、安心した様子だったのに」
言葉がまとまらない。自分でも混乱しているのだと分かる。いや、整理したくないのかもしれない。乱雑に記憶の中に散りばめて、直視しないようにしているのではないか――そんな疑念さえも抱く。
二階堂由希は紙面にボールペンを走らせる。明里の言葉を記録し終えると、彼女は「ふむ」と頷く。
「それで、無事眠れたの?」
「そうみたいです。眠れるかもって横になって、その後、私が子守唄を演奏したんです。フルートで。そうしたら寝られそうだって」
「それはいつのこと?」
「小夏ちゃんがいなくなる前だから……三日前、五月九日の夜です」
あれから三日経っている。生きている地下小夏を最後に見た日から、人に聞かせるためにフルートを演奏してから、もう幾日かが経過している。
あっという間だった。
由希は爪先で廊下を叩く。何を考えているのか、彼女は顎にペンの尻を当てる。
「その後、キミはどうしたの。部屋に戻った?」
「はい、戻りました。ベッドを使っていいよとは言われてたんですけど、私、枕が変わると眠れなくて」
「てことは、その後にダイブした……と」
地下小夏の死因は脳挫傷であった。
五月十日の早朝、中庭に倒れているところを発見された。後にその場から直線上、屋上のフェンスの内側に靴と遺書が見つかった。自殺だった。
どうして彼女が身を投げなければいけなかったのか、それは未だに解明されていない。遺言書にも謝罪と「死にたくない」とが並ぶばかりで、原因究明の手掛かりにはなりそうになかった――そう聞いている。
ひょっとしたら、彼女の言っていた「闇」が絡んでいるのだろうか。夢の中で小夏を追っていた「闇」がついに彼女を捕らえたというのか。どうしてもっと話を聞けなかったのだろう。結果を急がず、もっと話を聞いていれば未来は変わったかもしれないのに。
ざわざわと、ちくちくと、全身が震える。周囲の騒音も、いつの間にか遠くに聞こえていた。
「あー、そんなに自分を責めない方がいいよ」
由希はボールペンを鳴らしつつ、窺うように言う。思わず顔を上げた。
「すごく残念な事件だけど、今はやることがある。『死にたくない』子がどうして死ななきゃならなかったのか――それを突き止める義務がゆき達にはあるし、二度とこんな事が起きないよう努力する責任がキミ達にはある。振り返るのもいいけどね、立ち止まるのはよろしくないと思うよ」
二度、その人は叩く。ボールペンの尻で、明里の頭を優しく叩く。それは慰めているようにも戒めているようにも取れる。
どれにせよ、先に進むより他ないという事は確かであった。同じことを二度と起こしてしまえば、地下小夏の魂もうかばれない。
楔を背負って生きていくしかないのだ。形のないプレッシャーが、ずっしりと肩に乗り掛かったような気がした。
「で、あともう一つ訊きたいんだけどさ」
由希はかちりとボールペンを鳴らす。
「
霧生と聞いて思い出すのは、明里の友人、霧生詩織だった。
明里は素直に応じる。
「今日は休みです」
「休み――」
「体調を崩したみたいで」
「ふうん」
由希は大きく息を吐く。
事付でもあれば伝えておく、と明里は言うも、目前の彼女は尾を左右に振るばかりだ。
「また出直すよ」
由希は短く感謝を述べる。そしてきっぱりと踵を返した。
この後に予定でも詰まっているのだろうか。スカートから伸びる長い脚は、小走り気味に廊下の角へと消えていった。
生徒会。生徒会長を初めとした、総勢六名から成る組織。彼女らは、学校の行事を執り行うと同時に、一般で言うところの“警察”に準じた活動もしている。
いわゆる治外法権に当たるこの敷地に、本土の警察官が踏み込んでくる事は殆どない。それどころか、皆無に等しい。だからこそ、桜学園の敷地内における悪事は先生と生徒、あるいはそれより上の存在により裁かれる。
今回の事件を「悪事」と称するには、いささか悪に薄いが、このような出来事も調査の対象に入るらしい。ここ数日で、どこまで解明されているのだろうか。
二階堂由希の言う通り、立ち止まっている場合ではない。しかし、どうしても先に進む気にはなれない。地下小夏と最後に会話をした――かもしれない人間として、やはり、もやもやとした罪悪感が纏わりつく。
こんな時、霧生詩織ならば何と声を掛けてくれただろうか。
家族同然の彼女――ひょっとしたら、何も言わずに、ただ寄り添っていてくれるだけかもしれない。すべてを飲み込む光のごとく、あるいは闇のごとく、じっと受け入れてくれるかもしれない。
明里は息をついた。
次の授業を確認しようと教室に戻り、カバンの中のタブレットを取り出す。授業に関連する情報がまとめられた画面を流し、時間割表を眺める。次の授業は古典文学のようだった。明里は思わず嫌な表情を浮かべる。
すると、不意に画面の上部を赤い文字列が流れた。チカチカと点滅し、帯を流し、危機感を煽る文字列。魔物出現の合図である。
場所は図書館棟付近――決して近いとは言えない地点だ。一度玄関まで降り、靴を履いて駆け付けるとなると、五分とまではいかないものの、数分は要するだろう。
明里は急いで教室を飛び出した。
不安も無力感も、もうそこにはなかった。やるべきことだけが、脳の一面に赤々と点滅している。
なぜだろうか。その慌ただしさが、危機感が、今や心の拠り所となりつつあった。
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