33話 スローイング手袋-1

 生徒会の仕事も幾らか落ち着いてきた。


 立て続けに訪れた書類の提出ラッシュは終わりを告げ、机の天板は数ヶ月振りに照明を浴びる。山積みの書類を目にしなくてもよい日を迎えられるだなんて、先日までの自分ならば夢にも思わなかっただろう。


 片桐香澄は茶の入った湯呑を手に、ほっと息を吐いた。


「社会に出たら、いつもあんな量の仕事をこなさないといけないのかなぁ」


「まさか。そんな一昔前みたいなこと、私がやらせるわけないじゃない」


 いつからそこにいたのか、早乙女亜紀は炬燵布団から顔を出した。


 昨年度の冬から部屋の一角を占拠している堕落器具。季節外れになるから片付けたいと何度も口にしているのだが、その都度、言葉巧みに言いくるめられ、結局は香澄が折れてしまう。


 あれがある限り、今後も亜紀は炬燵の住民と化し、碌に仕事をしないだろう。そして香澄が、その尻拭いをせざるを得なくなる。香澄の胃腸を労わるためにも、炬燵の回収は必須だった。


「亜紀ちゃん。やっぱり、そろそろ炬燵、仕舞おうよ」


「嫌」


「もう春だし、すぐ夏になっちゃうよ。暑くなるよ。炬燵さんには休んでもらおう?」


「嫌よ」


 そう断言して、亜紀は寝返りを打つ。


「香澄だって炬燵に入っているのに」


「そ、それはここに炬燵があるからで……」


「炬燵がなければ、入りたいとは思わないのかしら。これから先、ずっと椅子に座って、足をぶらぶらさせて、寝そべることもできずに正気を保っていられる自信を、余程お持ちのようね?」


 つらつらと並べられる言葉は、呪詛にも似た圧を纏っていた。香澄は堪らず顔を背けた。


 炬燵があると入りたくなってしまう。これは日本人のさがであろう。昔の人はよくもこんなものを発明してくれたものだ。香澄は密かに、涅槃ねはんの姿勢を取る亜紀を睨め付けた。


 どれだけ説得しても、彼女は微動だにしない。ただ生徒会長としての職務を全うしてほしいだけなのに、どうしてこの気持ちが伝わらないのか。もどかしく感じると同時に、いつも通りだと諦める自分がいた。


「あはは。会長ってば、相変わらずですねぇ」


 ふと、そんな声が聞こえてくる。生徒会会計職、長谷川はせがわみお。彼女は身体を捻りながら、噴水状に束ねた前髪を揺らす。スカートが捲れるのも厭わずに足を組むその様は、女子高生というよりも、自棄となった会社員を思わせる。


 そんな彼女は手元にある携帯ゲーム機から目を外し、くるりと椅子を回した。


「そのままでもいいと思いますけどねぇ、炬燵。ほら、よく言うでしょう。日本人を捕まえたいなら炬燵を用意しろって。そんなジョークが生まれるくらい、私達は炬燵から逃れられないんですよ」


「いやいやいや、それ初耳だし! 置いておいたらますます働かなくなっちゃうよ」


「えー、いいじゃないですか。働かない奴には被験体って仕事を与えられるんですから」


「炬燵をトラップにするのはやめようよ!」


 あははと笑う澪だったが、その目は真剣そのものだった。彼女ならばやりかねない。人目さえなければ、すぐにでも行動に移すと言わんばかりだ。被害者が出る前に、尚更早く炬燵を片付けなければ。


 しかし、と香澄は首を捻る。


 早乙女亜紀を炬燵から引き摺り出す手段が、全く見当たらなかったのである。友人が不在の間に始末するのも手ではあるが、強行した所で、翌日には再び炬燵が出現しているだろう。未練がましい魔の手から逃れるためには、手の届かない位置に炬燵を押し遣る必要がある。


 あれやこれやと思案しつつ、香澄は唸った。


 他の役員に手伝ってもらうのはどうか。これは香澄自身も称賛したくなるくらいに妙案であった。これまでは香澄一人で問題を解決しようとしていた。故に行き詰まり、その結果、後始末に追われていた。しかし、三人寄れば文殊の知恵とも言うように、意見を仰げば何かしらの案が生まれるかもしれない。そうとなれば実行あるのみだ。


「他の子は?」


 助力を望める三人――高橋悠那、九重花凜、二階堂由希は不在である。てっきり三人と仲のよい澪ならば、何かしらの情報を掴んでいると思ったが、


「ゆーにゃんは図書館、りんちょと神先輩は行方不明でーす」


 三人中二人が所在不明という体たらくだった。


「どうしてみんな、仕事しに来ないの……」


「いやぁ、だって、やることないですし」


 そう澪は手元に視線を戻す。


「ウチ等がやらなくても、先輩、一人で片付けちゃうし。むしろお邪魔虫かなーなんて」


「そんなことないよ! お邪魔虫どころか益虫だよ!」


 懸命に訴えても、少女は乾いた笑声を作るばかりで、響いている様子はない。


「次はちゃんと手伝いますから、怒らないでください」


「約束だからね!」


 はいはい、と澪は再び椅子を回す。


 彼女の手には、折り畳み式の携帯ゲーム機が握られていた。発売からもう十年は経つだろうか、すっかり旧型となった機械ではあったが、今尚現役であるらしい。そこからは、ほのぼのとした音楽が流れてくる。


 生徒会室を訪れては、何かしらのゲームをして過ごす彼女であるが、子守歌と聞き違える程にゆったりとした曲調は耳にしたことがない。


「それ、何のゲーム?」


「『せいぶつのもり』ですよ」


「せいぶつの……」


「借金取りに追われて田舎まで逃げてきた主人公の、ハートフルなゲームです。二年の間では結構話題になっているんですよ」


「へえ、そうなんだ。面白そうだね」


「なかなか面白いですよ。イベント豊富ですし、小ネタ満載ですし」


 しかし、ハートフルな内容にしては、時折物騒な音が聞こえてくる。例えるならば、何かを殴りつけるような――。


「ハートフルな物語にしては、なんか怖い音が聞こえるんだけど……」


「ああ、借金取り襲撃イベントです」


「……そっかぁ」


 一体どこから手に入れたのか。訝しく思いつつ、香澄は窓外に目を遣った。

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