13話 炎の少女-2
「さて、みなさん」
改まった風に、並木修一は演台に手を乗せる。汚れ一つない純白のホワイトボードを背に、真っ直ぐとした視線を生徒に注ぐ。
まるで受験に挑む学生のように真剣で、しかしどこか滑稽な表情だった。
「ここからが本題です。ここからが、本日みなさんに一番お伝えしたい内容です。今までの研究から、私達の持つ『能力』も、扱い手の制御を離れる事がある、ということが分かっています。それを一般的に“暴走”と表します」
くるりと身を返し、並木は青色のペンを手に取る。
揺れる線を操り、ようやくホワイトボードに人のような形と丸を描いた。そしてバランスの崩れた人型から歪な丸へ向けて、一つの矢印を書き加える。
「『能力』の多くは限定的です。対象に触れる、念ずる、声を発する――発動の条件は様々ですが、その効果は特定のモノにしか与えられません。では例として、『結晶化させる能力』を挙げてみましょう」
並木は一息吐く。
「その人は、『触れた場所を結晶化させる能力』を持っていました。彼の手が触れた場所には、紫色の美しい結晶がいつも輝いていました。しかし、彼はそれを嫌がっていました。生活に支障が出るんですから、当たり前ですよね」
その男は笑う。可笑しそうで、しかし同時に、どこか懐かしそうな表情だった。
「どうしても結晶化を止める事が出来なかったその人は、手袋をして生活をするようになりました。もちろん手袋の中はとんでもない事になりましたが、それでも、素手で生活するよりはマシでした。しかしそんな努力も空しく、症状が顕著に現れるようになってからしばらく経つと、彼は“暴走”しました」
そこまで言い切ったその時、不意に前の方で手が挙がった。「おや」と太い眉を持ち上げた男は、話しを止めて少女を示す。
「どうなさいましたか?」
「質問なんですけど、桜学園の男子バージョンも、確かありましたよね。あそこには通ってなかったんですか?」
「ああ、そうでしたね。よい質問をありがとうございます。実は、通っていたんです。通っていても、“暴走”したんです」
平然と言う並木。
桜学園の男子バージョン――おそらくは男子校であろう学園の存在に、明里は驚愕する。だがその一方で、それに通っていてもなお発生した“暴走”の実例に、背筋が凍り付いた。
能力者を育成する機関に籍を置く事は、“暴走”の予防策には成り得ない。何かしらの行動を起こさなければ、並木の語る「彼」に倣うしかないのだ。
そして今、件の哀れな犠牲者に友人が従おうとしている。開花しているという『能力』を放置し、メールもすべて無視している友人が。
きちんと聞いているだろうか。嫌な予感を胸に抱きつつ、その方向を見る。
案の定、少女は眠っていた。机に突っ伏し、穏やかに背を上下させる呑気な少女。それは全く顔を上げようとしない。代わりに、それより一つ手前に座する地下小夏と目が合った。
彼女も気付いたのだろう。幡田暁美が酷く危険な位置に立っているという事に。
「今から二十年前の当時、『能力』の研究は今ほど進んでいませんでした。もちろん“暴走”の研究もです。経験から『能力』が扱い手の制御を離れる事がある、という事は分かっていましたが、その発生率は個々の技量に因るとされていたのです。今では考えられない事ですが」
すべての能力者に平等に降り掛かる“暴走”。それは人を超えた力を持つがゆえの代償なのだろうか。
後悔の念が滲み出る。どうして桜学園に来てしまったのか、なぜ能力者として生まれたのか。自らが持つという力は開花していないが、それでも恨めしいような感情が胸の内に渦を巻く。
降り立つ沈黙。現実を突き付けられた少女達は、もう何も囁こうとはしなかった。
厳しく
「“暴走”の例は他にも見られます。自らの肉体を燃やし尽くした者、身体の半分を失くした者。夢から帰って来られなくなった者――など。異変を感じたら、まずコントロールの訓練をしなければならない。それを疎かにしていると、非常に危険です。自分の力に殺される可能性だって十二分に存在するのです。特にたびたびメールを受け取っている人。よくないですよ」
その言葉が聞こえていたのか、びくりと暁美の肩が揺れる。唇の端から涎を垂らした彼女は、まるで鳩が豆鉄砲でも食らったかのように目を白黒とさせていた。
見るからに挙動不審の暁美には目もくれず、並木は思い出したように背後へと目を向ける。その顔は、図式化してみたはよいが、どう処理しようか迷っているようにも見えた。
ようやく彼はホワイトボードへと向き直り、またしてもペンを手にする。先程の絵の隣に人と、再び矢印を書く。矢印は人と何もない空間を示していた。
「先程も言いましたが、“暴走”とは『能力』が扱い手の支配から離れることです。そして、その“暴走”は自分のみに留まらない可能性があります。他者に影響を与え兼ねません。能力者が――凡人とは異なる力を持つ能力者が、凡人と同じ権利を得るためにも、また、他能力者の権利を奪わないためにも、『能力』の制御は我々にとって非常に大きな課題なのです」
その目は、生徒の一人ひとりを撫でるように見つめる。念を押しているのだろうか。その目は恐ろしく澄んでいた。前列からその後ろ、さらにその後ろへと、視線が流れてくる。
探るような視線はやがて明里を、あるいはその周辺を捉えた。
どのくらいの時間が経ったのか、周りがざわつき始めた。話を止めた男を不審に思い始めたのだろう。しかし、そんな事はお構いなしに、男は依然として視線を外さない。その視線に動くこともままならず、明里はじっと身体を固めていた。
やがて並木はふと笑う。何やら見付けたと言わんばかりの悪戯気な笑みだった。
「皆さんは有能ですね。とても上手い人がいる。――さて。では、コントロールの訓練についても、少しお話ししましょうか」
ざわつく生徒など気にも留めず、話を進める男。その話の中に、先の演説ほどの熱は見られなかった。至って冷静に、慣れた様子で話を続ける。
彼はただ一人に目をくれようとはしなかった。誰を観察する事もなく、ただひたすらに口を動かす。
明里の視線とも一度も交わる事なく、およそ三十分が経過した。
ふと、視界が暗くなる。電気は点いている。そうだというのに、室内の明るさが一段階下がったように思えた。背筋をなぞる冷たい指。足にまとわり付く冷気。ぞわぞわと悪寒が走り抜ける。
耳元で悲鳴があがった。その声に、人々の視線が集まる。
地下小夏だった。か細く鋭い悲鳴をあげ、彼女は立ち上がっていた。赤いフレームの奥で、丸い瞳が恐怖に揺れる。跳ね上がる座面にスカートが引っ掛かるのも厭わずに、小夏は後退った。その視線は明里――いや、その後ろを見つめていた。
霧生詩織。明里の親友である。
小夏と詩織、二つの顔を見比べる明里。相対する二人の少女に挟まれた明里は、妙な緊張と羞恥に思考を絡め取られた。
「どうしたの、地下さん――」
困惑した詩織の声が、そう呼び掛ける。
小夏はじっとしていた。その唇が言葉を紡ぐことはなく、見張った目ばかりが、彼女の感情を物語る。
その時、また悲鳴が上がった。今度は窓の方からだった。立て続けに金切り声がそこら中からあがり、部屋は煩いほどの声に満たされる。
目があった。血走った目――針のような瞳孔と金色の虹彩。猿のようにのっぺりとした毛深い頭が、まるで品定めでもするかのように、ガラス窓に張り付いている。
ぎょろりと動く、見開かれた眼。動けずにいる少女を捉えたそれは、にたりと目元を歪めた。
「窓から離れろ!」
並木は叫ぶ。すぐさま白衣を翻して駆け出すが、遅かった。
大きな手の一閃により窓ガラスは砕け散り、逃げ遅れた女子生徒に降り掛かる。猫の手が生徒の腰を掴む。悲鳴を上げる少女。その反応を楽しむかのように、その獣は少女を乱暴に窓外へと引き摺り出した。
伸ばす並木の手。だが彼の指先は少女の靴を掠めただけで、取り返すには至らない。
怪物は大きな翼を羽ばたかせ、空高く舞い上がった。
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