43話 黒の幼女-3

「ここにいたぁ! もう、だめだよぉ、驚かせちゃ」


 胸の上で青いリボンが踊る。繁みから歩み出る少女の足取りは、まるで千鳥足だった。配慮するならば、踊っているような、と称すべきであろうか。


 彼女の顔には見覚えがあった。毎朝のように校門の前に並んでいた少女。生徒会執行部の一員である少女――明里の記憶通り、その左腕には「副会長」と書かれた腕章が収まっている。


「あっ、あなたは……」


 笑みを浮かべたまま、ゆっくりと距離が詰まる。しかしその目は、こちらを捉えていなかった。


 勝手に出歩いちゃ駄目、驚かせるのはよくない。まるで弟妹の悪戯を諫めるように、腰に手を当てている。視線の先には何もない――強いていうならば、木の枝しかない。


「九重花凜ちゃん、だよね。生徒会の」


 気を持ち直したのか、春佳が呼び掛ける。それを経てようやくこちらの存在を思い出したのか、少女――九重花凜は唇の下から八重歯を覗かせた。


「そ~だよぉ」


 春佳が上級生であることに気づいていないのか、それとも気にしていないのか、敬語を用いる様子はない。


「えっと、知ってるよ~。ガーディアンズのはるちゃん……とぉ」


 ゆらり、と赤子のような指が明里を示す。


「うんと……誰だっけ?」


「成宮明里です」


「あかりん!」


 パッと、太陽のような笑みが弾ける。辺りの照度が一段階上がったような気がした。


「二人とも、何しに来たの?」


「そうだった」


 本来の目的を思い出したのだろう。春佳の目に活気が戻る。


「女の子を探しているの。小さくて、黒い髪の毛の……知らない?」


「小さい子ならいっぱいいるよ?」


 きょとんとした様子で花凜は首を傾げる。だがすぐに姿勢を戻すと、


「でも、黒くて小さい女の子は見たことないかなぁ」


「そうなの? さっき、ここを通ったと思ったんだけど」


 色よくない返答に、春佳は考え込んでしまう。


 グラウンドから塔まで、然程さほど距離はない。短く見積もって三十メートル程である。いくら鬱蒼としているとはいえ、見失うとは考え難い。


 余程の俊足の持ち主か、あるいはこの森の地形に精通していなければ、年端もいかない小さな女の子が高校生を撒くことは容易ではないだろう。


「そっか、見てないかぁ」


 明らかに落胆した様子で春佳は肩を落とす。情報がここに来て断たれたのだ、それも無理はない。


「ところで、花凜ちゃんはどうしてここに?」


「お手伝いしてたんだよ。あっちにある建物の近くに、お花を植えてたの」


 そう彼女が指差す先には、例の塔があった。木の葉の隙間からちらりと覗くそれは、森の外から見た時よりもずっと大きく、ずっと高く見える。


 桜学園は、かつて政府総出で打ち出された緑化計画の鱗片を、今なお受け継いでいる。


 緑化計画は地球温暖化に瀕した際、ヒートアイランド現象の緩和のために推進された計画だが、今となっては生活環境の向上という側面が強い。少なくとも、絶海の孤島に位置する桜学園においてはそうだった。


 屋上はさながら庭園の様相を呈しているし、商店街にも積極的に樹木や草花が植えられている。明里の住まう地域では文明と自然との区別が激しかったため、それらの融合が妙に印象に残ったことを覚えている。


「あっ、そうだ。かすみんなら何か知ってるかも!」


 不意に少女が踵を返す。


 九重花凜。

 飄々ひょうひょうとしているようでありながら、獣道を行く足取りは確固としていた。スカートを小枝に引っ掛けることも、木の葉に髪を乱すこともない。草木が道を開けている、そう解しても全く不自然はない。


 やがて闇が薄くなり、強い光が差し込む。


 塔の根元、そこは、さながら塔が落下してきた余波であるかのように、ぽっかりと天井が開いていた。雲一つない、しかし微かに色をせ始める空。降り注ぐ光を受ける空間一面に花畑が広がっていた。


 その中央に、不似合いな塔がそびえている。入口らしい場所も見当たらず、装飾すら皆無に等しい。花畑を裂くように渡された煉瓦の橋が唯一、塔の異物感を和らげていた。


「かっすみ~ん!」


 異空間と称するに相応しい場所には、一人の少女がいた。座り込み、咲き誇る花を弄っている。花凜がその背に呼びかけると、少女ははとした様子で身体を捻った。


「花凜ちゃん、どこに行ってたの? 危ないから一人で出歩かないでって言ったのに……」


「えへへ、ごめんなさい」


 反省した様子もなく笑う花凜に、少女は困ったように目尻を下げる。どれだけ言っても無駄と諦めているのかもしれない。手に付着した土を軽く払って、立ち上がった。


 切り揃えられた髪が肩口で揺れる。花凜のものとは異なる、ひどく穏やかな微笑を浮かべると、


「春佳ちゃん、どうしたの? こんなところまで」


「探し物をしていたら花凜ちゃんに出会って。それで連れて来てもらったんだ」


「探し物?」


 少女は首を傾げる。彼女の胸元では、春佳と同じ黄色のリボンが揺れていた。同学年――三年生同士のため、多少の面識はあるのだろう。初対面と思しき不調和は見られなかった。


「小さい女の子。見たことない?」


 ピンと来ていないようだった、春佳はこれまでに得た情報も加えて伝えるが、進展の様子はない。ほどよく手入れされた眉は、みるみるうちに曇っていった。


「ごめんね、力になれなくて。見たことないかも。だけど……その子、一人だったんでしょう? 魔物に襲われたりお腹を空かせたりしていないか、とても心配」


「だね」


「生徒会のみんなにも訊いてみるね。迷子なら、早く御両親を見つけてあげなくちゃ」


 生徒会執行部には、学園中ありとあらゆる情報が集まる。そのような組織に話が伝われば、多少の前進は望めるだろう。情報の開示による損は、双方共にない。ならば協力に後ろ向きである必要もない。


 明里の視線に気づいたのか、生徒会の少女と話し込んでいた春佳は指をそろえて少女を示すと、


「生徒会の片桐香澄かたぎり かすみちゃんだよ」


 と紹介してくれた。彼女――片桐香澄の腕には、確かに腕章が見て取れる。副会長と刻まれた青い帯だ。


「副会長? 片桐さんも副会長なんですか?」


 九重花凜、そして片桐香澄。二人の腕には同じ「副会長」の腕章が取り付けられている。


「引き継ぎの関係でね。それに、うちの生徒会は副会長の仕事が妙に多いから、二人擁立することになってるの」


 となると、桜学園高等部の生徒会執行部は、計六名から成立するらしい。基本的な職である会長、会計、書記、庶務に各一名ずつ、副会長に二名の計六名。生徒会役員になるつもりのない明里にとっては、全くの無関係と言ってもよい情報ではあるが、少しだけ賢くなったような気がした。


「で、こっちが成宮明里ちゃん。ガーディアンズの後輩なの」


「この前言ってた新人さんだね。なんか想像と違うなぁ。頼もしいって聞いてたから、ゴリラっぽい人を勧誘したのかと思ってた」


「支援系ゴリラかぁ……」


 知らぬところで「頼もしい」と評価されていただなんて――と感慨にふける暇もなく、ゴリラが脳裏を掠める。


「ところで香澄ちゃん」

 春佳は問う。

「どうしてここに花を植えてるの? 人なんて、ほとんど来なそうなのに」


「どうしてと言われても……」


 彼女の足元には、いくつもの花の苗が並んでいた。どうやら植え替え作業の真っ最中であったらしい。わざわざ香澄が手を加えずとも、この空間には十分すぎる程の植物が存在する。むしろこれ以上住民が増えようものなら、飽和して不具合を起こしそうだ。


「……寂しかったから、かなぁ。それに、ここには出入りがあるみたいだし、綺麗にしておいたら喜んでくれるかなって」


「出入り――人の?」


「多分。グラウンドを使っている運動部さんからも話があったし、実際に私も入って行く姿を見たから。あっ、さっき言ってた女の子じゃないと思うんだけどね? 『女の子』よりも大きかったし。多分、別の誰かが出入りしてるんだと思う。……駄目だったかな?」


「いやいや、そんなことないよ! そんなことないけど、でも、どうしてこんな所に人が……」


「分からない。だけど、ここは静かで素敵だから、来たくなるのも分かるなぁ」


 そう朗らかに笑う香澄の傍らで、「花凜も好きだよ」と少女が無邪気に跳ねる。


 確かにここは静かである。運動部の威勢のよい声も聞こえなければ、ここが学園の敷地内であるという実感もわかない。木々に囲まれた空間だけが、日常からぽっかりと切り離されてしまったかのようだ。


 塔を見上げていると、ふと、あの抜けた声が疑問を発する。


「ねえ、かすみん。この建物って何なの?」


「私もよく分からないんだけど……放送施設、らしいよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る