03 僧侶・蜜択(みったく)

 旭にとって川鋼寺せんこうじは、物心ついた時からの遊び場である。


 小さいころは祖父が毎日のように連れて行ってくれたし、今は通学路から少々脇道へそれるだけで気軽に立ち寄れる。


 いつも通り自転車を大きな門の前に停めてから、旭は少し深めに息を吸い込んだ。


蜜択みったく和尚さーん!」


 まだ声変わりをしていない少年の声が、寺院に響く。


 数秒待つ。


 誰も来ない。


 旭はもう一度、息を吸い込む。

 今度は大きく深呼吸をするように。


ほり 彰吾しょうごさーん!」


 彼らにとってなじみがある方の名前で呼んでみると、門の向こうから人影がゆっくりと近づいてきた。


「聞こえてるわよ。ったく、曲がりなりにもココはお寺なんだから、もうちょっと静かにしなさい」


 女のような口調だが、声は低い。現れたのは僧衣に身を包んだ男である。

 2メートルはあろう長身を衣の上からでもわかる分厚い筋肉が覆い、厳つい岩肌の山脈を思わせる。

 凹凸がはっきりした堀の深い顔の造作は、眉に至るまで剃髪していることもあり僧侶らしからぬ威圧感が滲んでいた。


「彰吾さんっ、聞いてよ! すごいよ! たいへんなんだ!」

「いつも以上にテンション高いわねアンタ」

「あのね、あのね、えっとね……何から話そう!?」

「ひとまずお堂へいらっしゃい。あと、こないだから言ってるけどね。旭は五年生になったんだから、もうちょっと落ち着きなさい」


 風貌通りの少し低い声でたしなめられ、旭は素直に頷いた。

 少年の様子を見て、彰吾――蜜択僧侶は口元をわずかにゆるめてから背を向け。



「アンタも、隠れてなくて良いわよ」



 大きな背中越しに、地中に潜む者に声をかけた。


 旭の足元から数歩分離れた地面がモコリと隆起し、二本のドリルがゆっくりと姿を現す。


「……何者ナニモンだ、お前」


 虎珠は地面から這い出しながら、自分の二倍はある体躯を見上げた。



「――だから自己紹介タイムでしょ」



 *


「ここは、“地上の世界”よ」


 堂の床に腰を下ろすなり、彰吾は虎珠に告げた。


「地上だと」

「話くらいは聞いたことあるんじゃない?」

「ああ……取るに足らねえをな」


 座布団に短い足で胡坐をかいた虎珠の目つきが険しくなる。

 彰吾と虎珠の間になにか共通の知識があることを察し、旭は首を傾げた。


「どうして地上だー! 地上……だと? なんて言ってるの? 虎珠はどこから来たの?」


「ここが地上ってんなら、俺は地底の世界から来たことになる」

「ふぇ?」


「――そうね、こうなってしまったんだもの。旭にもきちんと説明しておかなきゃならないわね」


 きょとんとした目の旭、短い腕を組み大きな瞳を向けてくる虎珠。

 見上げてくる二人に小さくうなずいてから、彰吾は口を開いた。


「“地球空洞説”って知っているかしら? 私たち人類が暮らしている地面の下に、もう一つの世界が広がっているという説よ」

「え、地球の中身はマントルとか核とかになってるんじゃないの? 図鑑にはそう書いてあったよ」

「そうね。一般的には地底世界があるなんて考えられていない。じっさい、地面をどれだけ掘り進もうが観測できないわ」


「だが、螺卒おれはここに居るぜ」

「そう、その通り。地底世界は実在するわ。そして螺卒ラ=ズ――地底世界の住人も、見ての通り実在るのよ」


 旭は断言する彰吾と、どこか得意げな虎珠を見比べる。

 少年の顔には少しの間クエスチョンマークが浮かんでいたが、やがて“事実”を受け入れるに至りみるみるうちに明るくなった。



「すごいや! 本当なんだ! 地面の下には、本当にもう一つの世界があるんだね!」



「地底世界と地上とは、何らかの“境界かべ”のようなものに隔てられているわ。だから普通は観測できないんだけど、まれにそのカベが薄くなることがあるの」

「じゃあ、俺が地上こっちへ出て来ちまったのは薄くなったカベとやらをで破ったからか」


 言いながら、虎珠は自分の肩に備わったドリルを小突く。


「物理的な壁があるかどうかは分からないけどね。て言うかアンタ当事者でしょ、心当たりないの?」

「あ? あん時は、濤鏡鬼と戦闘ケンカしてて、急に地震が起きたんでマグマを避けるために地面に潜ってだな……んで、ああ、そう言や一瞬、天地が逆さまになったような感じがしたな」


 あとは見ての通りだ、と言ってから、虎珠は一拍おいて彰吾に問いただした。


「どうして俺たちの事をそこまで知ってる」

「彰吾さんは住職になるためにすごく勉強したんだよ。今も毎日勉強してて、ものすごく物知りなんだ」


「そういう問題じゃねぇよ、旭。聞いてる限り、地上の常識じゃあ俺達ラ=ズは知られてない――いや、居ないことになってんだろ。じゃあ、どうしてアンタは知っている」


「……用心深いのね?」

「ケンカ売る相手を間違えないよう、心がけてるんでな」


 ため息をひとつ吐いて、彰吾は肩からかけた輪袈裟をひと撫でした。

 旭は見馴れた彼の仕草から、彰吾がこれから大事な話をすることを察した。


「――山防人やまさきもり。古来より大地をり、護る者たち」


「それがアンタの正体か」

「ええ。時折迷い込むラ=ズの中には、危険なヤツも居る。そういう連中を昔の人間は“鬼”なんて呼んで恐れたのよ。だから、人界に害をなすラ=ズを人知れず退けるために境界が薄い土地を山防人が護ってきたのよ」

「鬼ってラ=ズだったの!?」

「きっと昔の人にはドリルが角に見えたんでしょうね。ラ=ズには必ずドリルがついてるから」

「へぁー、じゃあ虎珠は全体的に黄色いから黄鬼ってことかー」

「おい待て旭、話よく聞いてたかお前。鬼ってのはニンゲンにケンカ売るラ=ズのことだろ。俺はンなことするつもりは無えぞ――――こっちが売られない限りはな」


 虎珠は今度こそはっきりと彰吾を睨む。

 一メートルほどの小さな体が、底知れない威圧感プレッシャーを放っている。


「アタシたちも同意見だから安心なさい。ラ=ズにも色んなヤツが居ることくらい分かってるわ。この子と友達になったアンタを敵だなんて思ってないわヨ」


「……は? 友達?」

「……え? 僕たち友達だよね?」


 毒気を抜かれ首をかしげる虎珠に、旭も同じく首をかしげる。


「友達でしょ? “証”が立ってるもの」


 言って、彰吾は旭の服を――右ポケットの中で淡く光り続けているオブジェクトを指差した。


「これ?」

「そう、それよ」

「彰吾さんはコレが何か知ってるんだね」


「それは“DRLディー・アール・エル”。暁蔵さんと山防人そしきが協力して造り上げた次元連動装置Dimension Rooting Loaderよ」

「お爺ちゃんが!?」

「どういうシロモノなんだ」


「できるだけ簡単に説明するわね。まず大前提なんだけど、ラ=ズは通常、地上の世界にはそう長く留まることができないわ。もと居た次元が持つ引力のようなものによって、地底世界に引き戻されてしまうの」

「あのとき濤鏡鬼が潜っていっちまったのはそのせいか……じゃあ、俺はどうして」

「あなたは地上世界とを持てたから平気でいられるの」


「――なるほど、旭が持ってるDRLソレの効果ってのは」

「ご明察。DRLは地上の人間とラ=ズとの間に“パス”を繋ぐことができるの」


「大したもんだな、地上のニンゲンってのはよ。おい旭、今の話ちゃんとついてきてるか?」


 虎珠からの問いに、旭は黙って頷く。

 彼が右手にしっかりとDRLを握りしめているのを見て、虎珠は少年の理解力に安心した。


「旭。そのDRLはあなたの為に暁蔵さんが遺したものよ。生前、何度も私に念を押していたわ。あなたがタイムカプセルのことを忘れていたら必ず教えてやってくれってね」


「お爺ちゃんが、遺してくれた……!」


 柔らかな掌で輝くDRLがじわりと滲んで見えてくる。

 ――僕は男なんだ――旭が自分自身に言い聞かせて瞳が潤むのをこらえようとした時。



 グラグラと音がするほどの地震が一同を揺さぶった!



「ヴルルルルルルルルル!」



 揺れが収まると共に、堂の外から獣の雄叫びとも機械の鳴動ともつかぬ轟音が聴こえる。


 表へ飛び出した三人は、そびえるように立つ巨大な影を見た。


 それは全高3メートルの巨体。

 額から一本の角を生やした――ラ=ズに違いなかった!


「あのラ=ズは……!」


「あいつは! 濤鏡鬼かッ!?」



「アレは――――じゃない!!」


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