27 再鍛錬

「おはよう、旭。虎珠……くん?」


 日曜の朝、二階の自室から降りてきた二人を見て、旭の母は首をかしげた。

 いつもなら元気に挨拶を返してくる虎珠が、いつになく落ち込んだ様子なのだ。見れば、今朝は両肩のドリルも着けていない。


「何かあった?」

「うん、ちょっとね……」

「虎珠くん、ボロボロになって帰ってきたもんね」

「……うん」


 つい昨日のことである。虎珠だけでなく、電身していた旭も揃って刻冥に返り討ちにされたのだ。


 旭も少なからずショックを受けているが、母に心配させまいと少年なりに平静を取り繕っていた。


「昨日の傷がね、朝になっても直ってなかったからヘコんでるの。いつも一晩で元通りなのに」

「直ってるじゃない」

「あのね、ドリルだけ直ってないんだ」


 旭がドリルと口に出した時、虎珠の大きな頭についた耳がピクリと動いた。

 それでも無言でうつむくままの虎珠を見て、旭は少し困ったような顔をして頭をかいた。


「お父さんに頼んでみたら?」

「お父さんの会社とこに頼むの?」

「そうよ」


 旭の父は岐阜県関市の刃物工房に勤めている。

 関市は刃物を特産とすることで世界的にも有名で、ドイツのゾーリンゲン、イギリスのシェフィールドと共に“3S”と並び称される。

 父の勤務先では主にナイフや包丁などの実用品を製作しているが、社長は伝統的な刀剣職人としても知られていた。


「ドリルも直せるかな?」

「いつかやってた展示会でああいう形のものも作ってたし大丈夫じゃない?」

「そうかな……そうかも! 虎珠、お父さんにお願いしてこよう!」

「おう……そうするか」


 歯切れの悪い返事をする虎珠を引っ張って、旭はまだ寝室で寝ている父を起こしに向かう。

 旭の家を訪れたヘレナがインターホンを鳴らしたのは、ちょうど同じタイミングであった。


 *


「休日にすみません、社長」


 旭の父は、持参した菓子折りを壮年の男性に渡しながら頭を下げた。

 壮年の男――林工業(株)の社長は「気にせんでええよ」と言いながら、穏やかに微笑んだ。

 事務所兼自宅の応接間に通された旭達は、社長と向かい合う格好で横並びになりソファに腰を下ろした。


「それにしても穿地君は相変わらず面白い人脈を持ってるねえ――曉蔵さん関係だろ?」

「やはり、わかりますか。そりゃあ、わかりますよね」


 同行したヘレナと虎珠を見て、林社長は訝る様子もなく会釈した。


あたしはまあいいとして、虎珠ぼうやもあっさり受け入れるモンなんだね」

「曉蔵さんが生きてた頃、喫茶店でときどき話しておったからね。螺卒ラ=ズってのが本当に居たんだって感動しとるよ」


 彼は旭の祖父・穿地曉蔵とは級友であり、曉蔵が研究テーマである地底世界の事柄を夢中になって話すのをしばしば聞いていた。

 それでも、初めて目にしたラ=ズの虎珠を自然体で受け入れられるのは彼の人柄によるものが大きい。


 旭はヘレナと和やかに話す林社長を見て、出かける前に父が「あの人なら大丈夫」と太鼓判を押していたことに合点がいった。


「で――“モノ”は持ってきたかね?」

「えっと、これです。虎珠の肩についてるドリルなんです」


 旭は隣に座った虎珠のドリルを指さした。


「ほう。ちょっと見せてみな。触ってもええか?」

「――ああ」


 ドリルの表面に触れる林の顔つきが、穏やかな老人から“職人”に変わった。

 虎珠は大きな目で少し不安そうに林を見上げている。

 いつになく緊張して見える虎珠の姿に、旭は(お医者さんにかかってるみたいだな)と思った。


「こりゃ、ずいぶんひどく刃こぼれしとるね」

「やっぱ直せねえか?」

「いいや、むろん直せるよ。直せるが、こいつはちょっとしたになるぞ」


 旭の父が一瞬「う……」とうめくような声をあげた。

 “ちょっとした仕事になる”とは、林社長が手ずから刀を打つ際に発する決まり文句であった。


 虎珠が身に着けている戦闘用ドリルのような特殊な物ともなれば片手間で仕上げられるはずもなく、相応の“依頼”として請けるべきものである。

 一般的な現代刀の価格は少なく見積もっても数十万円。

 林工業(株)には社員割引の制度は存在していない。


 にわかに硬直した旭の父の顔を横目にして、ヘレナは苦笑しつつ口を挟むことにした。


「そうそう、彰吾が“林さんにお願いできるんならウチ名義で発注するから請求は回してネ”っってたよ」

「なら見積もりは川鋼寺にまわしとくでね」

「おねがいします、社長さん! よかったね、虎珠。ドリル直るって!」

「ああ――!」


 ホゥと胸をなでおろす父の横で、旭と虎珠は無邪気に喜び合う。


「さて。せっかくのを、にやるわけにはいかないねェ――」


 二人を、特に虎珠を見るヘレナは、思案するように独り呟いた。


 *


「林社長からさっそく連絡がきたわ。打ち直しから砥ぎまで含めて一ヶ月見てくれ、って」


 川鋼寺へ報告に行くと、到着するなり彰吾が告げた。


「一ヶ月ってえと、朝晩を三十回か」

「刀鍛冶にドリルを打たせるんだもの。ものすごく短期間よ、これ」

「そういうモンなら、こっちも腰を据えて待つさ。ドリルが直ったら、それまでのイライラも含めて刻冥にお礼参りだ!」

「いつもの調子に戻ったね、虎珠」


 息巻く虎珠に、ヘレナはため息を一つ。

 次いで、きわめて淡々とした様子で冷や水を浴びせた。


「無理だろうね」


「……ンだと?」

「今の坊やじゃ、ドリルが直ったところで刻冥にかないやしないよ」

「あ゛ぁ!?」

「どうしてヘレナさんはそう思うの?」


 ヘレナにつかみかかりそうな虎珠を抑えて、旭が訪ねた。

 良い質問をするね、と、ラ=ズのヘレナ・ブラヴァツキーは黒髪をかきあげた。


「はっきり言うよ。今の坊やは戦い方がてんでのさ。パワーとスピードを本能のまま、ぶつけているだけ。だから“ドリル返し”みたいな術理ワザを使われれば一方的にあしらわれる」

「ドリル返しって、僕たちが刻冥にやられたアレだよね。技だったんだね」

「ああ。向かってきた相手のドリルに自身のドリルを噛み合わせて“威力”を吸収し、反転させる。当身あてみ投げに近いドリル戦闘技術さ」


 素直に感心している旭の横で、虎珠は「へっ」と鼻で笑い。


「タネが分かればそれで充分だろ。向こうが小細工を仕掛けてくるより速くドリルをブチ込めば良い」

「――やれやれ、呆れただ」


 ヘレナは大げさに肩をすくめて見せた。

 虎珠に対し挑発の意図を含んだものであることは、彰吾だけでなく旭にも理解できた。


「やるなら屋外オモテでやんなさいよ、アンタたち」

「……だとよ」

「そうだね。それじゃ、身の程を思い知らせてやるよ、坊や」


 言うが早いか、両者は寺の庭先に飛び出した。

 虎珠は敷き詰められた玉砂をじゃす、と鳴らして踏みしめ、対するヘレナは靴のヒールから少しの音も立てず対峙した。


人間型このままで相手してやるよ。かかってきてごらん」

「舐めやがって――――ッ!」


 足元の砂利が弾け、虎珠が前方へ跳躍。

 ドリルのついていない拳を握り締め、一直線にヘレナを目がけ飛び込む!


 ラ=ズの膂力脚力は見かけの大きさを遥かに上回る。

 この時虎珠が発揮した突撃は、乗用車が時速80kmで追突するに等しいものであった。


 ヘレナの鳩尾に虎珠の拳頭が迫る!


 そして!


 腰に手をあてて悠然と佇む黒髪の美女を前にして、橙色の砲弾はU字の軌道を描いた!

 今しがた蹴った地面に虎珠、着弾! 玉砂利が飛沫のごとく舞い上がった!


「なんだ――これ―――――?」


 虎珠はわが身に起きたばかりの奇妙な感覚を、何度も反芻しては首をひねった。


「俺、何んだ……?」


 ヘレナに近づいた瞬間、虎珠は自分の身体が見えないレールに乗せられたかのように感じた。

 気が付いた時には、まっすぐ跳躍したはずの自分があらぬ方向へのである。


 仰向けのまま呆然とする虎珠を見下ろして、ヘレナは声を投げた。



「これがあたし螺旋奥義ドリルアーツ――――魔破斗摩マハトマだよ!」


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