08 悪鬼螺卒

 成人男性読者諸氏よ。

 中学生の時分に一度は、教室に銃を持った暴漢が乱入してきた設定で空想に耽ったことがあるだろう。


 いま旭と彰吾が置かれている状況はまさにそれであったが、空想と異なるのは彼等には念ずるだけで対象を発火させる魔術や不可視のバリアを展開する能力などないことだ。

 よしんば何らかの手段で大立ち回りを演じたとしても、観客は同級生の女子でなくドリル髭の老人だけ。

 むしろこの場合、ドリル博士と呼ばれている捻利部 界転が「実は私は戦闘用サイボーグなのだよ」と言い出す可能性に賭ける方が幾分か現実的であろう。



は退出願おうか。これからビジネスの話をするのでね」



 裏NASAのエージェントが、片方の口端を吊り上げる。

 彼の持つ拳銃が携帯性を重視した小口径のものであることを確認した彰吾が、自身の肉体で弾丸を受け止める覚悟を決め拳を握りしめた時。


 研究室の床が勢いよく弾けた。

 ちょうど旭たちと裏NASAとの中間である。


「旭、彰吾、ちょっと来てくれ!」


 床の穴から飛び出してきた虎珠は、室内の状況には目もくれず二人を呼んだ。

 背後で銃を構えたまま呆然と口を半開きにするエージェントのことは全く気にとめていない。


「なんだこいつは。ラ=ズと言うヤツなのか!?」

「表でギガス族が暴れてやがる! 濤鏡鬼が抑えてるけどよ、もう一押し足りねぇんだ」

「ラ=ズとコンタクト済みとはな。サンプルとしてご同行願おう」

「この前みたいに、あの体が熱くなるヤツ頼むぜ!」

「ええい、こちらを向かないか地底人!」


 苛立ったエージェントは躊躇なくトリガーを引き。

 ぱん、カン、と二つの音がほぼ同時に響いた。

 虎珠の大きな後頭部に跳ね返された弾丸が研究室の床に転がり、開けられた大穴に落ちていく。


「うるせぇぞ!」


 振り向きざま跳躍アッパー623Pで裏NASAは一撃昏倒K.O.


 虎珠はうろたえる旭の手を引き、大の字になって倒れた外国人を踏み越えて部屋から飛び出した。



 *



 一同は、キャンパスの大通りで殴り合う二人の巨人を見た。


 両者、全高3メートル。


 片方は濤鏡鬼だ。エンジン爆音を唸らせて右腕の巨柱――シールドドリルを振るっている。


 もう片方は、初めて見るラ=ズである。

 巨大な猪の頭に太い四肢がついた奇妙なシルエット。

 両脚は短く、足から人間の手のひらのように五本の指が伸びていた。

 両腕は脚よりも長い。振るわれる先端が玄能げんのうの形をしており、そこから申し訳程度に四本の指が生えていた。

 トラックと猪を合の子にしたメカニカルな巨大獣頭の頂に輝くルビー様半透明の円錐が妙に目を引く。


「オマエ、なかなか、強い、な。オレサマ――この、“金愚ゴング”サマと、殴り合い、やれる! グフーム! 楽しい、ぞ!」


 ゴングと名乗るラ=ズがゴリラめいた愉悦の唸りをくぐもらせる。

 猪の額にあたる部分――格子で区切られた窓のようなスリットの奥で、単眼がボウと光った。


「濤鏡鬼、気合い入れてやるからブチかましてやんなさい!」


 彰吾は数珠型DRLを取り出し合掌。

 親珠に吊るされた螺旋円錐のオブジェクトが淡く発光を始めた。


「旭、俺達も加勢すっぞ!」

「うん! あ……ドリル博士は危ないから逃げてください!」

「非戦闘員の身を案じるとは、なかなかできた少年だ。ああ、勇敢だな。私のことは心配するな、と言いたいところだが……ここは君の勇気を尊重しよう」


 界転が避難していく人の流れに合流したのを確認し、旭も首から提げたDRLに思いを込める。

 虎珠の体が奥底から熱くなる。自らの体内にマグマが滾る感覚に、小さなラ=ズは闘志をたかぶらせる!


「行くぜェ……!」


「いかせねェーよ!」


 背後から聴こえてきたのは、勇ましい高揚に水をさす下卑た響きをはらむ声。

 虎珠と旭が振り返ると、先ほどあしらった裏NASAのエージェントが立っていた。

 表情を隠していたサングラスを外した顔には、見る者に嫌悪感を抱かせる薄ら笑いが貼り付いている。


「しつこいな、テメェ。いま忙しいんだ。もっ一回かい寝とけ……」

「しつこい? オイオイオイだろーォ? あぁ、そうか。このと知り合いなのかーァ」

「虎珠、なんかおかしいよこの人……!」

「だなッ!」


 虎珠は、どちらかと言えば石橋に当たって砕く性分であった。

 ゆえに、妙な気配を感じて即ドリルによる先制攻撃を敢行!

 白人男の懐に一瞬で踏み込み、右手に装備したドリルを回転させずに突き出す。


 ――しかし、岩盤をも易々と砕くドリルは男の両手に掴まれた。


「オホホーィあっぶねえなーァ!」

「さてはラ=ズだなテメェ!?」

「だよーォ!」


 裏NASAの男は虎珠のドリルを受け止めたまま、細長く先が二股に分かれた舌を出し。

 旭と虎珠の目の前で、男の全身の輪郭が歪み形を変える。


 変化を終え、虎珠と同じ全高一メートルの矮躯――ノマル族のラ=ズが姿を現した。


 胴と頭の区別は曖昧。両端とつま先がいびつなかぎ型をした全体のシルエットと、中央にはまった赤い玉が道化ピエロの面を想起させる。

 それでいて、両肩と頭部は毒蛇のあぎとのようであり、ホースのように長くうねる両腕と尻尾には毒々しい縞模様が浮かび。

 大きく開かれた頭部蛇顎の内側では、縦長の瞳孔をもつ蛇眼が怪しく光っている。


「このトリデは、俺たち蛇羅蛇羅ジャラジャラ 一味がもらうぜーェ!」

ィ? あのデカブツとつるんで何かしようってんだな!?」


 ドリルを掴むジャラジャラなるラ=ズに、虎珠は短い足で蹴りを放ち間合いを離した。


「おーォ痛え」


 わざとらしく手首を振りながら、ジャラジャラは両眼を怪しく光らせる。


「オメェらだって、そうだろ? 地上で一旗あげようってハラだろーォ? 手が早くて感心するぜ、こんなデケェトリデを作ってよ。ま、今から俺らがそっくりそのまま頂いちまうがなーァ!」


「虎珠、こいつ何か勘違いしてるよ!?」

「だな。ブッ叩いて目ぇ醒まさせよう」


 虎珠が両のドリルを廻し、地面に突き立てる。

 小さな体は瞬時に地中へ穿行して――敵を足下から強襲!


 対するジャラジャラ、突き上げてきたドリル攻撃をするりと交わし。


「シュ!」


 歯の隙間から呼気を漏らすかのような音が蛇頭のあぎとから聞こえた。


 そして。


 ジャラジャラとすれ違って着地した虎珠に異変が起きた!

 健在な敵が背後に居るというのに、虎珠は橙色の体を小刻みに震わせるだけで振り返りもしないのだ。

 いや、のだ!

 どれだけ四肢に力を込めても、虎珠の体は動かない!


「ち、く、しょ……!」


 虎珠のかろうじて動く瞳が憎々しげに凝視するのは、自身の関節に刺さった無数の針――針のようなドリルである。

 ジャラジャラの蛇頭からすれ違いざまに放たれたであった。


「俺ァでなーァ、こうして獲物てきに身動きをとらせなくしてから仕留めるのよ!」


 下卑た含み笑いと共にジャラジャラが虎珠に歩み寄る。


「虎珠ッ! ど、どうしよう……がんばって、がんばって!」

「旭、悪いけど濤鏡鬼こっちはもう少しかかりそう。DRLにありったけきあいをこめてなさい!」

「やってるんだけど――やってるのに!」


 少年は自分の目尻に涙が浮かんでいるのにも気づかず、DRLを握りしめる。

 それでも目の前の事態は。友の窮地は打開できず。


 ジャラジャラの両肩にそなわる一対の蛇頭が外れ、太いホース状の腕先に装着される。

 鎌首もたげた毒蛇りょうての牙型ドリル。

 尖端からラ=ズの経絡かいろを麻痺させる毒液が滴り落ち。



 毒牙が虎珠に突き立つ瞬間――黒い煙幕が視界を覆った!



「あっ、ケロピンが……ひどいことになってる……」


 煙幕が晴れて旭の目に飛び込んできたのは、大蛇の牙によって無惨に引き裂かれたカエルの人形。

 薬局の店先でよく見かける、大きな人形マスコットである。


「何ィーィ!?」


 ジャラジャラの両眼が驚愕と狼狽に開かれ、旭を――いつの間にか旭の隣に居る虎珠を見た!

 一拍遅れて虎珠に気付いた旭は、更に驚き声をあげる。


 虎珠の隣に、もう一人ラ=ズが立っていたのだ。


 濃い紫色のボディは全高1メートル。

 昆虫の腹を思わせる形状の大きな頭、背中からバッタのような後肢が折り畳まれている。

 前腕は振り袖を大きな塊にした格好で、袂にあたる部分に細い棒状のドリルを装着マウントしている。

 体の各部に施された鋲や刃の装飾が無機質マシーンめいた独特の気配を漂わせ。


 ――さながらの佇まいをした彼の手には、虎珠から引き抜いた含み針が握られていた。


「お前は、の」

「忍者のラ=ズ! 変わり身の術だよね今の! やっぱり忍者型なんだよね!?」


 興奮を隠さない旭に対し、紫のラ=ズは無言で頷いた。


「また借りができちまった、な」


 体の自由わ取り戻した虎珠に、無言で頷いた。


「オメェ、邪魔しようってのかーァ!?」


 苛立つジャラジャラにも、無言で頷いた。



「アンタ“嵐剣丸らんけんまる”じゃない! ねぇ、加勢してくれるの!?」



 ――――無言で頷いた。


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