10 きれいな こわい おねえさん

「納得いきません!」


 川鋼寺せんこうじを訪れてすぐ本堂の方から聞こえてきた声に、旭は思わず歩を止めた。

 よく通る凛とした若い女の声。抑揚をおさえた声音は怒りをはらんでいる。


 表に駐車してあった黒い軽自動車の主であろうか、重要な来客だったら邪魔になるな、何よりちょっと怖い――そんなことを思いながら立ち止まる旭をよそに、虎珠とらたまが何のためらいもなく小さくジャンプしてインターホンを押した。


「おーい彰吾―。来たぞー」


 まだ心の準備ができていない旭の手を引き、虎珠はズカズカと本堂へ上がる。

 そこには、巨漢の蜜択和尚しょうごと、先の声の主であろう女が向かい合って正座していた。


 ――きれいなお姉さんだ、と、旭は思った。


 声の印象よりも若い、大人と少女が混ざり合った顔立ち。

 長く艶のある黒髪をつむじより少し後ろで束ねている。服装はノースリーブのシャツにジーンズに細い銀色フレームのメガネと、飾り気のない格好である。

 だが背筋を伸ばした体の輪郭が豊かに起伏する曲線を描き、存在感を際立たせていた。


 女は虎珠を見ても動じることなく、形の良い眉をわずかにひそめて見せ。次に旭を一瞥してすぐ彰吾の方へ向き直り。


「こちらは?」

「報告したラ=ズの虎珠と、穿地 旭よ」


 飄々と答える彰吾に女はため息をつく。

 こみ上げてくる怒りを抑えていることは明らかで、直接責められているわけではない旭だけがギクリとした。


「部外者の――それもこんな子供にDRLディー・アール・エルを持たせたままにして、あまつさえ山防人やまさきもりのことを話したんですね?」

曉蔵ぎょうぞうさんの孫ヨ。関係者みたいなものじゃない」

拠点てらを任されてる者が判断に私情を挟まないで」

「情と理を殊更に切り離そうとする方がナンセンスだと思わない?」

「屁理屈を――」


「おいネーちゃん。あんたも山防人なのか」


 割って入った虎珠を旭は二度見。

 意に介さぬ小さなラ=ズは続けて女に問う。


「ラ=ズやDRLのことなら、少なくとも俺はこれ以上ない関係者カンケーシャだ。とりあえず自己紹介だろ」


「――綿貫つらぬき 夕季ゆき。山防人・高山支部の支部長よ」

「こないだまでの件を包み隠さず報告した正直なアタシを叱りに来た、怖―いヨ」


 茶々を入れてくる彰吾を睨む夕季に、旭は怯えた。


「……旭くん、ね」

「は、はいっ」

「キミに怒ったりするつもりはないから。今日は何の用事で川鋼寺ここへ?」

「あの、えっと、虎珠たちと最初に会った裏山に……もしかしたらミィ・フラグメントゥムも埋まってるかもって言ってて……それで今日、一緒に掘りに行こうって、約束してて……」

「ミィ・フラグメントゥムを掘り出す――蜜択和尚。そんな事までやらせるつもりだったの?」


 夕季の目つきがいっそう険しくなる。顔をうつむくと、眼鏡のレンズが白く光った。


「ひぃっ、ゴメンなさい! 僕が言い出したんです! 少しでも人間とラ=ズの皆が仲良くなる手伝いがしたくって」

「……君は良い子ね。だけど、は私たちが――」


「そうだ、せっかくだから旭と夕季で行ってみたら? この子が信頼できるかどうか、自分の目で確かめてきなさいヨ」


 我ながら名案だわ、と勝手に話をまとめようとする彰吾。

 夕季は眼鏡のブリッジに中指をあてながら数秒考えてから、無言のまま頷いた。



 *



 旭は柄にもなく緊張していた。


 自分のすぐ隣で大人の女性が一緒になってシャベルで穴を掘っているからだ。

 夕季は二十歳になったばかり。世間的には若い娘と呼ばれても通るが、小学生の旭にとっては「大人のお姉さん」である。しかも第一印象のせいで頭に「怖い」がくっついている。


「あ……なんか出てきた」


 旭は夕季に、濁った半透明の石を手渡す。

 夕季は眼鏡のフレームに手をやり、旭を見た。

 彼女の視線は一瞬だけ手の中の石に触れたが、すぐに旭の顔に注がれて。


「えっと、どう、ですか?」


 少年は萎縮した。

 彰吾に食って掛かっていた時とは違い、感情らしきものを一切表に出さない夕季の顔。

 日本刀の刀身を思わせる冷たい美しさは、うかつに触れることをためらわせた。


(――怒ってるのかな?)


 *


(あああああああああああ可愛いィィィィィィィィィィ!)


 おずおずと上目遣いで自分を見上げてくる旭を凝視し、夕季は今すぐ少年を撫で回したい衝動を辛うじて抑えていた。


「これはただの石ね」

「そうですか……」


(川鋼寺の和尚もたまには良いこと言うわね! いやぁ役得だわ、小がく生の男の子に付きっきりだなんて! あー、なんかもう機密漏洩とかミィ・フラグメントゥムとかどうでも良くなってきちゃった。ずっとこのシチュ堪能してたい。いやいやそれはちょっと問題ね。よく考えなきゃ。ここから更に発展した状況へ持っていくには周到な計画を――)


 脳内で邪な妄想を駆け巡らせながらも、表情は相変わらずの鉄面皮ポーカーフェイス

 物心ついたときから培ってきた、彼女の特技である。


「なあユキ、ドリル使っていい?」


 旭と二人きり気分を味わうため視界に入れないようにしていた虎珠の声で、夕季は現実に引き戻された。

 虎珠は握らされたスコップを不満げにブラブラと揺らしている。

 橙色のボディは必要以上に土で汚れており、頭が大きく手足が極端に短い彼にとって人間の道具はかなり扱いにくい代物であることをうかがわせた。


「駄目。原石が砕けてしまうわ」


 冷酷に言い放つ夕季に舌打ちをしながらも、虎珠は不承不承といった様子でスコップを握り直し作業に戻る。


 と、今度は旭が唐突に「わぁ!?」と悲鳴をあげた。


「どうかした?」

「むむむ、むむむむむ!」


 少年は掘っていた穴を指さしている。

 見れば、全長15センチほどな大きなムカデが放り出したスコップにまとわりついていた。


「旭くん、虫が苦手なのね」


 夕季はおもむろにムカデに手を伸ばし、人差し指と中指の先で胴体をつまんで遠くへ放り捨てた。


「夕季さんすごい……平気なの?」

「ええ。こういうの、慣れてるから」


 旭の眼差しに尊敬の念を気取り、夕季の脳内は更に盛り上がった。


(よーしよしよし……! いいわよ……こうして頼れる大人のオネーサンを演出して、まずは憧れの対象になる。そしていつしか少年は気付くの。自分が抱いている気持ちがただの憧れじゃないことに。だけどその気持ちの正体が分からないから私に相談して! そこで……ウフフフ……「今からお姉さんが教えてあげる」って寸法でゥェヘヘヘヘヘヘヘヘヘ!!!)


 ――綿貫つらぬき 夕季ゆきは、弱冠二十歳にして山防人の有力支部を任される才女である。


 いたいけな少年を題材おかずにして夜想曲的妄想を全力で捗らせる今もなお、周囲への警戒は一切怠っていない。


 それゆえに、茂みから一頭の熊が現れるやすぐに旭を抱き寄せて手近な大木の影に身を隠すことができた。


「あの熊、興奮してるわ。刺激すると危険。旭くん、物音を立てないように。虎珠もね」


 夕季の咄嗟の動きについてきた虎珠と、彼女の豊かな胸に顔を押し付けられている旭は共に頷き。

 相変わらずの鉄面皮で熊を注視して、夕季は。


(よっしゃあああああああああ! チャンス到来ィィィィィィツ! 危険からかばう勢いで合法的ハグ! ウフフフフフフあったかぁい……少年の体温がスゥーっと背骨まで浸透して……これは……夏☆気配……‼)


 更に捗らせていた。


 沈着冷静な山防人としての思考と、ランドセルの防犯ブザーを鳴らされる部類の思考とが完全に並行。

 とはいえ、片方の思考はあまりに盛り上り過ぎていた。そろそろ自制心にも影響をおよぼすレベルで、よこしまな考えはぐんぐん頭をもたげ。



 ――――熊の腹に丸い穴がぽっかり開いているのに気付き、彼女の思考は一気に“山防人もう片方”へと統一された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る