31 水面下のたたかい(前)

「下呂へ行くわよ」


 特訓を終えた虎珠とヘレナ、それを迎えに来た旭、ついてきたノクスはいっせいに彰吾の方を見た。

 川鋼寺の応接間はすっかり一同のたまり場と化している。


「ヘレナ――と呼ぶべきかしら? 山防人の研究班があなたの話を聞きたがっているワ。今後の共同戦線こともあるし、目通りと報告を兼ねてこちらから出向こうってワケ」

「話を、ねえ? まさかあたしをバラバラに解体して調べよう、なんて言い出しはしないだろうね?」


 ヘレナはいつも通りの飄々とした様子で茶をすすった。

 彰吾は輪袈裟に親指を引っかけひと撫でしてから、首を振った。


「文字通り、助言が欲しいってコト。主導権はそちらにあるわよ。嫌なら断ってくれてもかまわない――」

さ、うけるとも。それに下呂ゲロって所は温泉地だ。ふふ、業務報告おしごとだけで行って帰ってくるなんて事はないだろうね?」

「それくらいの接待はさせてもらうわよ。て言うか、元々そのつもり。慰安旅行も兼ねて小旅行に招待するわ。旭、ノクス、アンタたちもね」


 彰吾が彫りの深い眼窩で旭たちに微笑む。

 ノクスと虎珠はとつぜんの話にきょとんとしているが、旭だけは嬉しそうにうなずいた。


「へへ、今年はいつも以上に楽しみだな」

「旭、そのゲロってとこにはいつも行ってんのか」

「うん。毎年、このくらいの時期になると彰吾さんとお爺ちゃん、僕でね。去年は二人で行ったんだけど、今年はすごくにぎやかになりそう!」


「……温泉」

「ノクス、もしかして温泉はじめて?」

「うん。銭湯セントーにも行ったことない……みんなで一緒にお風呂……すこし恥ずかしい、かも」


 ノクスは普段にまして小さな声で言った。

 白い頬を赤らめながら、伏し目がちに旭の方をちらちらと見ている。

 その様子にヘレナは察して口を挟んだ。


「ちなみに男女は別だよ、お嬢ちゃん」

「……えっ?」

「えっ」


 数秒ぼうぜんとしたノクスの顔が更に赤くなる。

 旭の方も、つられてなのか何かを想像したのか耳まで顔を赤くする。

 少女と少年の反応にヘレナは破顔、二人をまとめて抱きしめた。


「いやあ、可愛い可愛い! なんなら、みんな一緒に入っちまおうかね?」


 腕の中でノクスはもがくが、不可思議な術理によって逃れることはできずもみくちゃにされる。


 最近はこういった目に遭うことがすっかり日常化した旭は、半ば無抵抗で「寒くなってきたからヘレナさんの手があったかいなあ」などと思っていた。


 ――その時、少年の背筋にぞくり、と寒気がして。


「ひぃ!?」


 背後を見て、少年は引きつった悲鳴をあげた。


 ――応接間の入り口に、無言の綿貫つらぬき 夕季ゆきが、無表情で、立っていた。



「――――下呂へは、私も同行します」



 静かな声音に、ぬらりとした刃のような殺気が滲んでいた。

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