閑話

「おや、いらっしゃい」



 とある部屋へ一人の生徒が入ると、中で何かの作業をしていたのか、椅子に座っていたその・・・は、入って来た人物へ向けて振り向きながら笑い掛けた。

 椅子に座りながら体を回し、扉の前に佇んでいる生徒へ向けて、中に入って部屋の中央に置かれているソファーへ座るように言ってから立ち上がる。

 ゆっくり歩きながら、生徒が座るソファーの後ろ側へ周り、背凭れの上に両手を置くと上半身を生徒の方へと傾けた。



「それで? 私がこの前話した事は……考えてくれたのかな?」



 優しく、そっと囁きかけるように生徒の耳元で話し掛けると、その生徒は悩むように俯く。

 そんな姿を眺めながら、その人はニンマリと口元を歪めた。



 この生徒が陥落するのも、あと少しだと。



「確かに、思い悩むよね……この国を捨てて、違う国の軍人になるなんて」

 分かるよ、と言いながらその人は背凭れから片手を離し、胸元に手を入れると内ポケットから折り畳んだ紙を取り出して、それを生徒へと渡す。

 紙を見て眉を顰める生徒に中を見るように言いながら、その人は背凭れから手を離して元の位置へと戻った。

 鼻歌を歌いながら歩く姿は、生徒の表情とは打って変わり、とても楽しそうである。

 椅子に座り直した瞬間、生徒が読んでいた紙がぐしゃりと握り締められた。

 それを見て、心の中で笑いながら、その人は至極残念そうに語り掛ける。



「今回は残念な結果になったね。本当は、もう君で決まりかけてたんだけど……ほら、新しく入って来る子達がいるでしょ? その子達の能力が珍しく、能力値も高いだろうという事で、君が選ばれるはずだった『選出』は一旦見直す事が会議で決定したんだよ」



 ただ、学園に入って来たばかりだから、彼女達が直ぐに『選出』される事は無いとは思うけどね――と呟く言葉は、俯いて怒りに震える生徒の耳には入っていないようだ。

「本当に有り得ない話だよね……君みたいな優秀な能力者を選ばないなんて」

 生徒を見ると、前回話した時よりも心が揺れているように見える。

 もう一押しか……。

「そうそう、今日の会議で教官達が話し合っていたんだけど、やっぱり野戦訓練の魔獣は初級になりそうだよ。残念だよね、中級魔獣くらいなら君一人でも戦えるのに。学園の教官や野戦訓練の結果を見るであろう『軍』の上層部の方々達に、君の素晴らしさを見せ付ける機会が潰されたに等しいよね」



 ――今はまだ小さな不満でも。



「君は……それでいいの? 本当に? 能力以外取り柄のないクラスメイトや、突然入って来た生徒に、君が色々と苦労して漸く手に入れた今の立場を奪われるなんて……許せるの?」

「…………っ」

「違うよね?」



 ――元々、野心家なこの生徒のことだ。煽ればどうなる?



「私と共に行けば……君を、直ぐにあちら《・・・》の軍人として登録する事を約束するよ。私の任務はこの国での諜報活動の他に、優秀な生徒を極秘に勧誘するのも含まれているからね」

「…………」

「この前、私が話した時に君が簡単に頷かったのは、『選出』があったんだと思うけど……それも無くなった。だから、こうしたらどう?」

 考える暇を与えないよう、口早に捲し立てる。



 君のその能力や戦闘力……それを君のクラスの奴らに存分に見せ付け、失った者の大きさを知らしめてから、あちらの国へと行こうじゃないか。



 甘い言葉という毒が、徐々に生徒の意識へと浸透していく。

 それはじわりじわりと深い所まで届き、生徒の心を刺激し、憎しみや怒りの感情を助長させる。

 紙を握り締めていた手を緩め、ぐしゃぐしゃになった紙を床に投げ捨てた生徒が、ゆっくりと顔を上げる。



 そこには、今までの迷いが一切消えた顔があった。



 目の奥に広がる闇を見たその人は、作業をしていた机の上から一枚の紙を取り出すと、生徒の前へと置く。

 それは、生徒が自分の国を捨てて他国の軍人になる事を誓わせる『契約書』であった。

 国の管理を掻い潜るのは至難の業だが、絶対に出来ない訳ではないし、それを可能にする能力者がこちら側にはいる。

 そう説明すれば、契約書を見詰めていた生徒は迷いもなく紙を手に取り、サインをした。

「これで、契約は完了。この国が管理している君の能力者としての情報は、野戦訓練が終わり次第書き換える《・・・・・》予定になっているから。……そうそう、この頃不審な動きをする生徒がいるんだよね。もしかしたら、『監視者』の可能性もあるから、野戦訓練が開始されるまで、最新の注意を払って欲しい」

 生徒に注意するように言いつつ、契約書に生徒の名前が書かれているのを確認してから紙を畳み、白衣の内ポケットへと仕舞う。

 それを見届けた生徒は立ち上がると、今日は担当教官に早く呼ばれているからと言って部屋から出て行こうとする。

「あぁ、そうそう! 野戦訓練の前に渡したい物もあるから、その前にここへ寄ってね」

 その後ろ姿に慌てて声を掛けると、生徒は分かったと頷いてから、今度こそ本当に部屋から出て行った。

 パタリと閉まる扉を見詰ながら、生徒を上手く誘い出せた事と、復讐の手筈・・・・・が整った事に薄っすらと笑む。




 これで、あいつの悔しがる顔を見る事が出来る――と。

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