6
震えながら目を閉じていたけど、なかなか痛みが襲ってこない。
不思議に思って、そろりと閉じていた目を開いてみて。
「ひぃっ!?」
悲鳴が漏れた。
直ぐ目の前に、鋭い牙がびっしりと生えた口を大きく開いたクルコックスがいたからだ。
その口から、ダラリと垂れる涎まではっきりと見えていた。
震えながら体を後ろにずらし、クルコックスから距離を取る。
腕の力が抜けて何度も地面に倒れながら、クルコックスから二メートルほど距離を取る。
「なに……何が起こってるの?」
気付けば、辺りがとても静かだった。
周りを見れば、まるでビデオの停止画面を見ているように全てのものが動きを止めていた。
視線を前に戻すと、私に襲い掛かろうとしていたクルコックスも、空中で口を開いた状態で浮いている。
「あ……ぇ……動いて、ないの?」
良く分からない状況で辺りを見回していると、少し離れた場所で別のクルコックスに襲われている、あの女の子がいるのが見えた。
私は目の前にいるクルコックスに、頼むから動かないでと心の中で願いながら立ち上がり、噛まれて血が流れる足を引き摺りながら女の子の方へと歩いて行く。
「……生きてるよね」
ゆっくりとだが女の子の方へ歩いて行くと、その酷い姿に一瞬吐き気が込み上げて来る。
地面の上に仰向けに倒れる女の子の上に乗りあげているクルコックスは、彼女の右腕を何度も噛んだみたいで、その右腕はくっ付いているのが不思議なくらい噛み切られていた。
顔や上半身を自分の血で真っ赤に染める姿を見て倒れそうになるが、もう片方の無事な手で私と同じように太い木の枝を掴み、クルコックスの口に枝を突っ込んで応戦している女の子の目は、生きることを諦めていないようにクルコックスを睨み付けていた。
「助けなきゃ……」
ぐしぐしと腕で涙が流れる目元を拭い、辺りを見回す。
私達をここまで連れて来た男達がいた方を見ると、何人かこの場所からいなくなっていた。
その他は地面に倒れていたり、他の女の人同様、食われている。
地面に落ちている剣は噛まれたのか途中から折れているし、この場で生きているのは私と女の子とクルコックスくらいだった。
どうしようと考えながら、私はあることを思い付く。
「……動かせればいいけど」
痛む脚を意識しないようにしながら、元の場所へ戻る。
「急に動いたりしないよね?」
ビクビクしながら、私を襲おうとしていた空中に浮かぶクルコックスに手を触れる。
禍々しい赤い瞳と後ろに生えている双頭の蛇を見ないようにしながら、その体に触れてぐっと押すと、思ったよりも簡単に空中に浮く風船のようにクルコックスは動いた。
これならイケる! と思った私は、そのまま押しながら移動して、大きく口を開くクルコックスを女の子を襲うクルコックスの首元近くに置く。
口と首の位置を確認し終えてから、私は女の子の指を木の枝からそっと離し、両脇に腕を入れて女の子の上半身を持ち上げ、そこから少し離れた場所にある大きな岩に移動して身を隠す。
辺りを確認し、この辺りに他のクルコックスがいないと分かってから、女の子を抱えたまま地面に座り、女の子の口を片手で塞いでから『動け』と心の中で呟く。
すると――。
まるで、再生ボタンを押したように時が動き出す。
離れた場所では、まさに私を襲おうとしていたクルコックスが、女の子に跨っていたクルコックスの首に齧り付き、その首を噛み切って殺していたところであった。
さっ、とそれか目を離した瞬間、腕の中にいた女の子が暴れたので、声が漏れないように強く掌で押さえ、音を出さないように気を付ける。
「しー……大丈夫だよ」
「――っ!!」
「大丈夫、大丈夫だから」
動かないように体に力を入れながらも、小声で女の子の耳元で大丈夫と言う言葉を囁き続けると、徐々に興奮状態から治まってきたのか、動かないで肩で大きく息をするくらいになった。
「まだ、喋らないでね」
「…………」
口を押えながらそう囁けば、コクリと頷いたので、口からそっと手を離しながら、岩の陰からクルコックスの方へと視線を向ける。
どうやら、仲間を殺したことに動揺しているのか、死んでいるクルコックスの周りでウロウロしていた。
息を潜めながら見ていると、リーダー格のクルコックスが一吠えすると、クルコックス達は死んでいる人達を咥えると何処かへ去ってしまった。
それでも、暫くじっと動かないでいたんだけど、本当に危険は去ったんだと確信すると、全身の力が抜け落ちて、地面にバタリと女の子を抱えたまま倒れた。
そんな私の上から、女の子は右腕の肩近くを押さえながらゆっくりと起き上がり、私を見下ろす。
複雑そうなその表情は、どう言ったらいいのか迷っているようにも見える。
「あなた……あのお婆さんと同じ能力を持っていたの?」
「……分からない」
私は首を振る。
あの老人は私が能力持ちだと言っていたけど、何の能力かは教えてくれなかった。
どうして急に能力が使えるようになったのかも分からない。
途方に暮れる私を見下ろしながら、女の子は一度深呼吸してから、その事は後で話そうと言う。
「まずは、ここから離れないと。血が流れ過ぎたから、その血の匂いに引き寄せられた他の魔獣が出て来るかもしれないしね」
「でも、どうやって? こんなに怪我が酷いと動けないよ」
「……まぁ、それは任せてよ」
そう言うと、無事だった方の手を、私の怪我をした脚の上に近付ける。
何をするのかと疑問に思いながら大人しく見ていると、女の子の掌から薄紫色の光が溢れ出す。
傷口の上に掌を翳すと、薄紫色の光は細長く私の傷付いた脚に巻き付いていく。
光が何重にも巻き付き、一際光り輝いたと思ったら一瞬の内にその光は消えてしまう。
そして、その後には傷の一つも無い綺麗な肌が現れていた。
「……嘘」
呆然としながら自分の脚を眺めていると、女の子は自分の腕にも同じように光を纏わせると傷を治していた。
「言いたいことはお互い沢山あるはずだけど、本当にここは危険だから、早く離れましょ」
治った腕を左右に振ってからそう言うと、立ち上がりながらスカートの裾やお尻に付いた土を手で払ってから歩き出す。
慌てて私も立ち上がって後を追い掛ける。
「で、でもどうやってここから離れるの? ここがどこか分からないけど、街に行くにはかなり歩くんじゃないの?」
「馬鹿ね、歩くわけないじゃん。こんなに薄暗くなっているんだから、馬に乗って行くのよ」
「馬って……あの獣に殺されたんじゃ……」
「あんたって本当に何も知らないのね」
呆れたような感じでそう言いながらも、歩きながら説明してくれた。
どうも、あのクルコックスと言う魔獣は人間を襲う生き物ではあるが、それ以外はあんな外見をしている割に自分よりも小さな動物しか食べないらしい。
なので、あの場では私達が襲われていても、クルコックスよりも大きな馬は襲われることは無いんだって。
少しだけ歩き、荷馬車の近くへ行く。
そこには、荷馬車から離された二頭の馬と男達が乗っていた数頭の馬が太い木の幹に縄で繋がれていた。
どうやら、野営をする時に荷馬車から離してもらえていたみたいだけど……本当に馬は襲われていなかったんだ。
ただ、襲撃されて興奮しているのか鼻息を荒くして首を振ったり、足踏みをしている。
「ねぇ、馬は乗れる?」
「乗るって言うより、見たこともない」
「はぁ!? 今まで一体どんな生活をしてきたのよ」
驚いた表情で振り向くも、近くに置いてある乗馬用の鞍と厚手の布を見つけ出すと、比較的落ち着いている馬を連れ出す。
先に布を背中に被せた後に鞍を載せ、腹帯で鞍と馬の胴体を手際よく固定していた。
馬の首をポンポンと叩いてから、私に振り向いて馬に一人で乗れるのかと聞いてきたら、素直に乗れないと首を振る。
女の子に手伝ってもらいながら、なんとか馬の上に乗ることが出来たんだけど、馬の背中って……思っていたよりもかなり高い。
馬の上で固まっていると、その間に女の子は繋がれていた他の馬の縄を解いてあげているところだった。
最後の馬の縄を解いた後に私が乗る馬の所へやって来ると、いとも容易く馬の上に乗り上がる。
私の前に座った後、いつの間にか太い布みたいな紐を持っていた女の子が、その紐を自分と私の体に巻き付けて結ぶ。
「いい? これからある程度の速さで駆ける予定だから、落ちないようにしっかり私に捕まっていてね。一応紐でお互いを固定したけど、心許ないからさ」
「う……うん、分かった。でも、これからどこに行くの?」
「ここには何回か薬草を取りに来た事がある場所なんだよね。最近は魔獣が多くなってきたって言うから来なくなってたんだけど……ここから少し離れた場所に私が生まれた町があるから、そこに行こうと思う」
「わ、分かった」
「それじゃあ、行くよ!」
「うわわわ!?」
女の子が手綱を打つと、私達が乗る馬は勢いよく走り出す。
これが、後に親友になるシンディーとの出会いとなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます