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 振動が激しい荷馬車の中で、私は膝を抱えて丸くなりながら震えていた。



 学校に行くために家の玄関を出ると――私は、見た事も無い異世界にいた。

 荷馬車の御者台に座る老人が言うには、どうやらこの世界に私を召喚したのは一年も前の事らしい。

 私の魂がこの世界に定着するまでの間、私はあの部屋でずっと眠り続けていたんだって。

 ただ、寝たままだと筋肉が落ちて動けなくなっていしまう。



 そうなった場合手が掛かるからと、ベットの上には『体を拭かなくても常に清潔に保つ』魔法陣と、『筋肉を維持する』魔法陣などといった様々なものが書き込まれていて、一年間その上で私は寝かされていた。



 だから、今の私はリハビリをしなくても歩く事が出来る。

 まぁ、起きたばかりは寝続けていた痺れと、突然の出来事に対する恐怖心から、筋肉が固まって動けなかったんだけど。

 そんな眠りから覚めたばかりの私を、老人は自分の家がある場所へと連れて行こうとしていた。

 どうやら、あの時計が沢山置いていた小さな家は、老人が異世界から『能力者』を召喚する為だけに作った隠れ家みたいなものらしく、私が目覚めた今、長くいる必要のない場所らしい。



 なので、老人の家がある街まで荷馬車で向かっている最中であった。

 

 

 ガラガラと舗装されていない道をゆっくりと走る屋根付きの荷馬車の中から外を覗くと、森の中なのか背の高い木々が周りを囲むように生えていてる。

 街育ちな私にとって、見たことも無い光景がそこには広がっていた。

 荷馬車は、まるで木のトンネルの中を走っているよう。

 ぼーっと外の光景を眺めていたけど、私は溜息を吐きながら、布を戻して外の光景を眺めるのをやめる。

 この荷馬車の速度なら、荷馬車から降りることは多少の怪我はするかもしれなかったけど、出来なくはなかった。



 だけど、あの老人は『召喚主の命令は絶対服従』といった魔法陣の他に、老人が死なない限り、老人の許可がなければ側を離れる事は一生出来無いようにされていると聞かされていた。



 もし何らかの理由で離れたとしても、老人に私の居場所が直ぐに分かるうような魔法が掛けられているらしい。

 その他にも何やら色々と召喚陣を“弄って”いるみたいだけど、内容は詳しく教えてはくれなかった。

 膝を抱えながら、声を押し殺して泣く。



 何で私がこんな目に遭わなきゃならないの?



 確かに、あの時は『ここではない、何処かへ行きたい』と言った。

 だけど、こんなことになるとは思ってなかったんだもん。

 お母さんやお父さん、それにお姉ちゃんに会いたい。

 グズグズと泣いていると――。



 突然馬が嘶き、荷馬車が急停車した。



「うわぁっ!?」

 急停車したため、私は勢いよく床に倒れてしまった。

 体を床に打ち付けた痛みに悶えていると、外が騒がしくなっていることに気付く。

 老人が騒いでいたみたいだが、突然静かになり、その後にドサッと言う音が聞こえてきた。

 もしかして、警察……こういう世界なら、騎士団みたいな人達が助けに来てくれたんじゃ――と期待して荷馬車の入り口の布を上げ、絶望する。



 そこには、どう見ても騎士とか正義とかと言った言葉とは正反対の人達がいたからだ。



 私に気付いた人物――たぶん盗賊の一人が外を覗いていた私を見付けると、血が付いた剣を持ったまま荷馬車の中に入って来た。

 殺されると思った私は、四つん這いになりながら荷馬車の端まで逃げようとしたんだけど、襟首を掴まれたと思ったら、そのまま強引に外へ引き摺り出された。

 嫌だと抵抗しても、私の抵抗なんて抵抗のうちに入らなかった。

 地面に倒され、体や手足を縄で縛られてから、大きな麻袋みたいな物の中に入れられる。

 だけど……袋の口が盗賊達の手によって閉じられる寸前、私は見てしまった。



 地面に縫い付けられるように背中から大きな剣を突き刺さされた、大量の血を流す老人の姿を。









 それからの記憶は曖昧だった。


 厚手の麻袋みたいなモノの中に無理やり入れられたと思ったら、盗賊達が乗っていた馬の腰に荷物と一緒に括られて、そのまま長い時間移動していた……と思う。

 酷い振動で酔った私が袋の中で吐いても、止まる事はなかった。

 袋の口を閉じられていて空気が薄くなっていたのと、自分が吐いたものによる酷い臭いに意識が朦朧としてきた時に漸く馬が止まり、馬の腰から私が入った袋が取り外された。

 地面に下ろされ、閉じられていた袋の紐が解かれる。



 袋から私を出した盗賊達は、慣れているのか吐瀉物で汚れている私を見ても顔色一つ変えずに、木のバケツのような物で私に水を掛ける。



 バシャッと勢いよく掛けられ、朦朧としていた意識が徐々にハッキリしてくるが、もう一度水を掛けられて咽てしまう。

 咳が収まり、地面に横たわりながら周りを確認してみると、私以外にも盗賊らしき人物に捕らえられた女性達が、私と同じような感じで袋から出されているところだった。

 ぼんやりと見ていると、急に視界がグンッと引き上がる。

 体に回された縄を掴んだ盗賊に、背中の方から引き上げられたみたいだ。

 鳩尾を圧迫されて吐き気が込み上げて来るが、そんな私のことなど気にした風もなく、盗賊は私を強引に引っ張りながらアジトの中に連れて行く。 

 他に捕まった人と共に建物の中に入り、背中を押されるようにして暫く歩いていると、扉が無い部屋の前で一度立ち止まり、体に巻き付いていた縄を解かれた。

 縄で擦れた手首を擦っていると、扉の無い部屋の中で汚れた体をざっと洗うように命じられる。



 ドンっと背中を付き飛ばされながら部屋の中に入れば、そこはシャワー室のようだった。



 仕切りは無く、横一列に並べられているシャワーが目に入る。

 そこでは、私達とは違った場所で捕らわれたらしき人達が体を洗っている最中だった。

 呆然としていると、部屋の中にいた盗賊の仲間らしき女性に早く洗えと怒鳴られ、慌てて服を脱いで空いているシャワーの所へ行って汚れを落とす。

 体を急いで洗った後、新しい服――まるで囚人が着るような服に着替えさせられた。

 それからまた移動して、回りがコンクリートで出来た狭い廊下を歩いたかと思えば、長い階段を下りる。

 階段を下り切ると、そこは地下牢になっていた。

 鉄の柵が付けられている広い牢の中へ入るように言われ、先ほどのシャワー室で一緒に体を洗っていた人達と共に大人しく中へ入った。



 牢に入ると、そこには既に若い女性が十人ほどいた。



 どんな経緯でここに集められているかは分からないけど、全員見た目が綺麗な人が多い。

 だから一瞬、綺麗な人が攫われているのかと思ったんだけど、私がこの人達みたいに綺麗かと言われれば……なんとも言えない。



 ……本当、これからどうなるんだろう?



 普通であれば、牢の中で泣いている人のように、酷く怯えて泣き叫んだりするのかもしれないんだけど、今の私は移動中のあの酷い酔いがまだ残っているような気がして泣く気力もなかった。

 空いている床に座りながら鳩尾辺りを片手で擦る。

 ちょっとでも強く押せば吐く自信がある

 ふぅ~っと深く息を吐き出していると、頭の中で盗賊達に捕まった時の光景が思い浮かぶ。

 最後に見た、地面に横たわる老人とそこから流れ出る血の多さを考えると……生きている可能性は低い。

 そう言えば――と、気付く。



 あの老人が死んだ今、私は自由になれたんじゃ……?



 この状況で安心出来る事なんて何一つもないんだけど、老人の言う事を絶対に聞かなければならない、離れられない状態から抜け出せただけでも、少しだけ心が軽くなった気がした。

 でも……老人が言っていた、私の『能力』って一体何だったんだろう?

 現代の日本で生きて来た私にとって、漫画の世界でもないのに、そんな能力があるなんて言われても未だにピンとこない。

 やっぱり何かの間違いなんじゃないのかな、と思っていた時、牢の入り口の向かい側にある階段――私達がこの地下牢に来る時に使った階段から、誰かが下りて来た。



 緑地に黒の線が入った腕章を付けている五十代くらいの太った男性と、その後ろにボサボサで真っ白な長い髪を一括りに縛った二人の老婆、それに護衛のような体格のいい男達数人が階段をゆっくりと下りて来る。



 誰が来たんだと、牢の中にいる私や他の人達が緊張していると――この牢の中に入れられている人の中でもとりわけ一番綺麗で貴族っぽい感じな女の子が、突然立ち上がったと思ったら走り出し、牢の柵に縋り付くと声を張り上げた。

「貴方、その腕章を付けていると言う事は……役人ね!? 助けに来るのが遅いわ! 私はアーベンスタルク家の娘よ、早くここから出しなさいっ!!」

 どうやら、この見た目お嬢様っぽい女の子は、お貴族様で間違いなかったらしい。

 そして、この人の言葉で、自分達は助かるんだと牢の中にいる人達が安堵したように喜んだのだが……。



「黙れ! このっ、身を飾るだけしか能の無いガキめ!!」



 太った男が怒鳴り付けながら、女の子が掴む柵を思い切り蹴り付けた。

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