3
「ぎゃっ!?」
柵に縋りついていた女の子は、蹴られた衝撃で地面に倒れると、信じられないものを見るような目で男を見上げる。
一瞬にして、牢の中に緊張感が走る。
誰もが息を殺しながら、太った男と床に倒れる女の子のやり取りを見ている事しか出来なかった。
「いいか? 頭の悪いお嬢さん、ここには誰も助けに来ない。お前やここにいる女達は皆、これから奴隷として闇市で売られるか金持ちの爺共に飼われる事になっている」
「か……飼われる? 奴隷ですって?」
「今まで着ていた綺麗な服を脱ぎ、宝石を外し、傅かれる生活から這い蹲って生きていく生活を送る事になるのさ」
「そ、そんな事、出来るはずがないわ!」
「それが出来るんだよ」
男はそう言うと、懐から数枚の紙を取り出した。
説明を聞けば、どうやら男が持っている紙は戸籍標本みたいなものらしく、その人の身分を示す大切な書類みたいだ。
近くでそれを見ていたお嬢様は、薄い紙を見て怪訝な表情をするが、私はそれを見ながら首を傾げた。
見たこともないような文字のはずなのに、どんな事が書かれているのか分かるんだけど……。
文字を何で読めるんだろうと思っていたんだけど、ハタと気付く。
そう言えば、あの老人が言ってたっけ。
私を召喚した時に、色々と陣を弄った――て。
そのおかげで、こっちの言葉が分かるようになってるのかも。
言葉や文字が分かるようになっている事だけを考えれば、それだけはあの老人に感謝してもいいような気がする。
そんな事を思いながら、もう一度男の方を見る。
男が持っているものは、自分や両親の名前、生年月日、出生地とその届人の他に、能力などの有り無しなどを記入する書類みたいだった。
何も記入されていないそれをどうするのかと、牢の中にいる皆で男を見詰めていると――。
突然、なんの前触れも無く、老婆の一人が倒れたままでいるお嬢様の前に立っていた。
それは瞬きをした一瞬の出来事で、誰もが口を開いて驚いていた。
え、あのお婆さん……今、瞬間移動をしたの?
何度も瞬きをしている間に、お嬢様の前に立っていた老婆は、また目にも止まらぬ速さで動く。
いつの間にか床に座っていて、お嬢様の指先を手に持つナイフで傷を付けて、その指を男が持っていた書類の紙に押し付けていた。
目の前で起こる出来事に頭が追い付いていけないでいると、何かに気付いたお嬢様が自分の腕を老婆から奪い取るようにしてから立ち上がって指を指す。
「こ、この方……能力持ちじゃありませんのっ!?」
「ははは、正解」
「……やはりね。こんなことが出来るなんて、能力持ちじゃなければあり得ませんもの」
「そう、こいつは『時止め』の能力を持っててね。能力を使っている間は、周りの人間が止まっているように見えるらしい。……まぁ、こいつは『力』が弱いから数秒しか時を止めることが出来ないが、そこそこいい仕事をしてくれるんだよ」
男がそう言っている間に、牢の中にいた老婆がもう外に出ていて、お嬢様の血が付いた紙を男に手渡していた。
男は紙を受け取ると、それを見てニヤリと笑う。
「これは出生の管理をしている場所で実際に使われている、少し特殊な紙と全く同じものだ。知っての通り、この紙に血を付けると、血を付けた人間の情報が浮かび上がる」
よく見ていろよと言う男が持つ紙に、牢にいる人達が恐る恐るといった感じにそれに目を向ける。
確かに、先程まで何も書かれていなかった空欄のところに、お嬢様の情報が徐々に浮かび上がってきた。
それをどうするのかと問うお嬢様に男はあくどい笑みを浮かべると、後ろに控えているもう一人の老婆に紙を手渡す。
一同が見詰めるその先で、喜怒哀楽といったものが一切抜け落ちた顔で、老婆は自分が手に持つ紙を見詰てから、痩せて皺が多い掌を紙の上に滑らせる。
すると、紙の上に書かれていたお嬢様の情報――文字がバラバラに浮かび上がり、空中で一つに集まり黒い球体になったかと思えば、また直ぐに解けて紙の上へ文字として戻って行った。
これもある種の能力なのかな? と思いながら、紙がどうなったのか気になっていると。
「……そんな、こんな事……有り得ないわ!」
自分の情報が書かれた紙を操作されたお嬢様が、見せられた紙を見て目を見開きながら驚愕していた。
ちらりと私も目を向ける。
確かに……先程よりもかなり内容が変わったものになっていた。
貴族として生まれた経歴や学歴、その何もかもが無くなり、名前以外何も持たない、一市民として書き換えられていた。
普通、この紙――『出生管理書』は、簡単に書き換える事が出来ないようになっている。
それこそ、貴族レベルになると王の玉璽が無い限り、無理なはずだとお嬢様が叫ぶ。
「ねぇ、能力持ちって国に管理されてるはずなのに……何であんなおっさんと一緒に、こんな事してるんだろう」
隣に座っている私と同じ位の年齢の女の子にコソッとそう聞けば、苦虫を噛み潰したような顔でこう呟く。
「たぶん、あのお婆さん達は、赤子の頃に『出生管理課』に届け出を出されなかった『隠され人』なんだと思うよ」
「隠され人?」
「知らないの? 生まれた子供――特に能力を持って生まれた子供は、生まれて直ぐに必ず出生管理課に能力持ちとしての届け出を出さないといけない決まりがあるでしょ? 稀に能力が成長してから発現する人もいるから、貧困街とかで生まれた子供は能力を発現しても、出生管理課に届け出ないで、国の管理下から逃げてる人も少なからずいるんだよね。そういった国に管理されない能力持ちの人を、『隠され人』と言うんだよ」
「国に管理されなくてもいいなら、自由でいられるって事?」
「そうとも言い切れないんじゃない? その能力が珍しいものであればある程、国に能力者だと隠していた事がバレたら後が面倒だし、ああいった人物に目を付けられる危険がある。それに、小さい頃に攫われたりして、従順になるような洗脳教育をされる子供だっているかもしれないよ? そうなると、死ぬまでこき使われる可能性がある」
あんな風にね、と女の子が見詰める先にいる老婆を見ながら、それはそれで嫌だなと思った。
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