ヤガリの落穢の魔剣

 緑の色濃い山の奥、頂上に近い場所に一軒の家が建っています。

 朝の日差しが山を包む中、その家の一室で、一人の男が寝込んでいました。


「まあ、結論から言うと……」


 その隣で、女性が口を開きました。肩にかかるふんわりとした黒髪の、白衣に身を包んだ女性です。

 男は寝込んだまま女性の次の言葉を待ちます。女性は腰の小さなポーチから薬を取り出すと、


「疲労による免疫力低下! 及びそれによる風邪、以上っ!」


 はっきりとした声でそう言いました。


「あー……やっぱり? 苦い薬はやめてくれよセフィナ……」


 その言葉に、気だるげな声で男は返します。


「やっぱり? じゃない! まったく……薬が苦手なのは変わってないね。大丈夫、モルガでも飲みやすい薬だから」


 セフィナと呼ばれた女性は呆れた様子で答えながら、続けて隣に座っている少女に言いました。


「ノノちゃんはお水を入れてきて貰えるかな?」

「うんっ、ちょっとまっててね!」


 ノノと呼ばれた赤目の少女は元気よく返事をすると、腰まで伸びた白い髪を揺らしながら部屋の外に出ていきます。

 二人きりになった部屋の中、ほんの僅かな静寂を破るようにセフィナはモルガと呼んだ男に向かって話しかけました。


「……ノノちゃんからさ、何があったのか全部聞いたよ」

「……そっか」


 もう一度、微かに間が空いて。

 セフィナは優しく微笑んで、一言だけ言いました。


「お疲れ様、頑張ったね、モルガ」

「……うん」



 ――――――――――――――――――――――――――――――



 時刻は回り、お昼頃。


「それじゃあ食材の買い物に行ってくるから、早めに戻るからモルガは安静にしていてね?」


 風邪を引いていても、やらなきゃ行けないことが消える訳ではありません、むしろ仕事は増えてしまいます。ノノは山の見回りや農作業をしなければいけませんし、セフィナは体にいい食べ物などの買い出しをしなければ。

 そのために立ち上がったセフィナの裾を、モルガの腕が摘んで引き止めました。


「……いくの?」


 熱に浮かされている様子で、ぼんやりとしながらモルガが言葉を漏らします。


「そんなに時間をかけるつもりは無いから大丈夫だよ、なにか辛いことはある?」

「体は別に……でも、その……出来れば、一緒にいたい……」


 見つめながらのそのセリフに、セフィナの顔がぼっと赤くなって、


「で、できるだけ早めに戻るから!」


 そのまま慌てた様子で出ていきました。慌ただしさの余韻が引いて、部屋に静寂が戻ります。

 何分か、あるいは何時間か、曖昧な時間感覚の中じっとしているモルガの耳に、コンコンとノックの音が届きました。


 部屋ではなく、家の入口の方からです。ノノとセフィナが今更ノックをしないことはモルガも理解しています、つまりこの音の主はお客さん。


「はい……今行きます……」


 少し掠れた声でそう答えながら、モルガはゆっくりと体を持ち上げます。普段腰に下げているウルムケイトの声の魔剣は、今は農作業に行ったノノの所に。止めるもののいないモルガは、ぼんやりとした頭で客の応対に当たるのでした。



 ――――――――――――――――――――――――――――――




 森の中を進みながら、少し複雑な様子でセフィナは小さくため息を漏らしました。

 さっきモルガに言われた言葉が、一緒にいたいという言葉がぐるぐると頭を回って、彼女の思考をかき乱します。


 一緒にいたい、彼が遠くへ行ってしまった時に言いたくても言えなかったこと。モルガのその言葉が風邪で不安になったからでたものなのは、セフィナにも分かっています。

 でも、それでも。それがずっと前からモルガが私に対して思っていたことだとしたら。彼の思いに気がつかずに遠くへ行ったのは、私の方じゃないか、と。そんな思考をし続けて、


「セフィナさん!」

「……ノノちゃん? なにかあったの?」


 名前を呼ばれて、意識が思考の中から引き戻されます。山の見回りをしていたなら会うこと自体は不自然ではありません、しかし少女は焦ったような表情を浮かべてこちらに駆け寄ってきます。


「ししょーが、ししょーが!」


 言葉の意味を理解した時には、足は勝手に動き出していました。ただの風邪が気持ちの持ちようによって悪化することはよくある話です。

 一緒にいてほしいと言われたなら、離れるべきではなかった。そんな後悔を思いながら家のドアを乱暴に開き――、


「――モル、ガ?」


 一人の少年が、剣を眺めながら座っていました。茶色い髪と、ぶかぶかの明らかに背の丈にあっていない衣服。

 持っている剣は一般的な片手剣と同じ大きさで、切り落とすことに特化した平べったい刃が何かしらの異質さを感じさせます。


 その少年に、セフィナは見覚えがありました。忘れるわけがありません、何年間もずっとみていた顔ですから。


「……もしかして……セフィナ?」


 呼ばれて振り向いた少年が、彼女の顔を見て驚いたような顔を浮かべます。そして、ポツリとこぼしました。


「……なんでそんなにおっきくなってるの……」



 それから少し遅れて、家に辿り着いたノノは見ました。


「ほらセフィナ! あの人が俺のことをいきなり師匠って!」

「落ち着いてモルガ。えっと……ノノちゃん、何が起きてるのか分かる?」


 セフィナに促されて、ノノが自分の見たものについて話し始めます。山の見回りをしている最中、一人の男が逃げるように山を下りていくのが見えたので、ししょーになにかあったのかと思って駆けつけると、幼い姿になったモルガが見たことの無い剣を見ながら座ってたとの事。


「……ヤガリの落穢の魔剣……斬った相手を自分の望む歳まで若返らせる魔剣だね……」


 唯一何が起こったかを知ってる魔剣本体から聞いた話を、ウルムケイトの声の魔剣が通訳します。最初は警戒していたモルガも、セフィナに従って話を聞きました。


「何もしなくても、時間が経てば効力は消えるって……あんな状態で研ぎをしたから、手元が狂って斬っちゃったみたい……」


 持ち主はノノの見た男で間違いなさそう、この剣を怖がってたみたいだから、多分捨てたんだと思う。

 と、情報を纏めていくウルムケイトの声を聞きながら、セフィナは静かに考えます。戻したい歳まで戻す魔剣、モルガの喋り方は、明らかに歪む前のもので。


「若返らせるなんて全然信じられないけど……なんか山の中にいるし、セフィナがおっきくなってるし……信じる、でも絶対俺の方が背が伸びてるよな!」


 あの出来事は起きてないはずなのに、視線は少し魔剣に向けられていて。


「……ところで、さ。その、これとか……ウルムケイト、だっけ? 魔剣なんだよね? 初めて見たんだけどさ……なんか、その……美しいって言えばいいのかな」


 魔剣に奪われた記憶がなくても。

 魔剣に出会った記憶がなくても。

 魔剣を作った記憶がなくても。


「俺もさ、セフィナのおじいちゃんに教われば、こんな感じの剣、作れるのかな!」


 キラキラと目を輝かせて言うモルガに、セフィナは笑みを浮かべて答えます。


「うん……なれたよ、モルガは立派な鍛冶師に」


 おおー! と未来の自分に感心するモルガから視線を外して、セフィナはほんの少しだけ、寂しそうな顔をうかべました。


 ――――――――――――――――――――――――――――――



「……本当に迷惑かけた、ごめん」


 元の姿に戻ったモルガは、開口一番にそう言いました。風邪は幼体化していたせいか治っていたようで、セフィナはほっと胸を撫で下ろします。


「……あの歳に戻った理由だけどさ」


 そしてこの言葉に再び身を固めました。魔剣と出会う前の歳、魔剣に狂う前の歳。


「あの頃みたいに、一緒にいたかったんだ」


 構えていたセフィナの耳に飛び込んできたのは、思いがけない言葉でした。

 こうして少し話してみて、楽しいなって思えたこと。歪む前のあの頃みたいに、もう一度話したいなと、そう思ったこと。


「離れる原因を作ったのは僕で、距離を置いたのも僕で……だから、こんなこと言う権利はないけどさ」


 また一緒に住まないか、と。照れながら、勇気を振り絞るように告げます。



 ……その言葉に、私は少し悩んでしまいます。

 彼が魔剣を作ってる間、隣にいてあげられなかった私が今更元に戻ろうなんて、あまりにも都合が良すぎるんじゃないか。

 だめだ、私は断らなきゃいけない。傍に居たくても、話をしたくても、そんな権利は私には――


「ねっ、セフィナさん」


 ノノちゃんが、私の手を両手で包みます。


「ししょーはね、言わなきゃいけない事じゃなくて、言いたいことを言ったよ。だから……セフィナさんも、やらなきゃいけない事じゃなくて、やりたいことで答えて欲しいの」


 モルガを見つめる。顔を赤くしながら、私だけを見つめる真剣な目。

 ああ、なんだ。そんな


「私は……私は、ずっとモルガと一緒にいたい! あなたを支えて、あなたに支えられて……そんなふうになりたい」


 はっきりとそう答えて、恥ずかしさが限界を超えたのか彼は少し茶化すように、それじゃあまるで告白みたいだと言いました。

 その言葉に、私は笑顔で返すのです。


「 」


 と。

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少女と小さな魔剣譚 響華 @kyoka_norun

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