セフィナの薬の魔剣
緑の色濃い山の中、他の場所とは違って道と呼べるくらいには整備されている一本の道を、一人の少女が走っていました。道の両脇から伸びている草をかき分けながら、少女は元気に飛び跳ねながらその道を下ったり登ったりしています。
十代前半くらいの少女。腰まで伸びている白い髪の毛をなびかせながら、特徴的な赤い目を楽しそうに細めています。そんな少女の後ろには、羽を広げて地面から少し高い場所を飛ぶ影。
「クーっ! こっちこっちー!」
少女の呼ぶ声にこたえるように、少女の後ろを飛んでいるものはひゅーっと鳴き声を発しました。長い一本の毛の生えた棒のような体に、毛でおおわれた四足を持つ生き物。体の片側にはくりくりした緑色の目と触角、そして何より目を引くのは、脚の付け根や体から生えた、色とりどりの四対八枚の羽。赤や黄、黒などの色が作るその模様は、教会に飾られるガラス細工のよう。
一般的にはポレンバタフライというドラゴンの一種として呼ばれるこの生き物は、まだ幼体のワームだった時から少女――ノノと友達で、つい最近まで蛹だった生き物。
蛹から羽化し、鮮やかで綺麗な体に変化したその生き物と再び遊べるのが楽しくて、ノノは一昨日から山の中の表道や山の奥の家付近をそのクーと名付けた生き物と一緒に駆けまわって遊んでいました。
「……クーっ! ストップー!」
道を下り始めた瞬間に、ノノがあわてた様子で足を止めます。止まりきれなかったクーがノノと激突して、ノノは押される形で地面に倒れます。
「いてて……」
「あら、大丈夫?」
左足を押さえながら体を起こすノノの上から、おっとりとした様子の声が聞こえました。申し訳なさそうに自分のほっぺを舐めるクーを撫でながら、ノノはその声の方を見ます。
肩につくかつかないかくらいの、声から想像できるようなふんわりとした黒髪の女性。歳はししょーと同じくらいかな? とノノはぼんやり考えます。仕事が薬師なのか白衣に身を包んだ姿は、山の中では少しおかしな感じ。腰には小さなポーチだけで、何か剣を持っているようには見えません。
「お姉さん、ししょーのお客さん?」
「ええ、でもその前に……左足、痛むのね?」
身を屈めてじっと左足を見つめるその女性に、ノノは少し困惑しながらはいと答えます。ノノと同じくおろおろとしている傍のクーの頭を撫でながら、女性は言います。
「じゃあちょっと、目を閉じてもらえないかな? 大丈夫、痛いことはしないから」
言葉に若干の不信感は感じながらも、その優しい言い方にノノはおとなしく目を閉じます。一瞬ちくりとした痛みがして、
「……あれ? 左足の痛いの無くなった!」
「ふふっ、それは良かったわ」
目を開けて、驚きながらぴょんぴょんとその場で跳ねるノノを見ながら、女性は小さく笑います。その手には、女性の手先から肘くらいまでの長さの太めの針。
一通り飛び跳ねた後、改めて傍のクーをよしよしと撫でるノノを見ながら、女性は言葉を続けます。
「そう、私モルガに用事があるの……あなたは、モルガのお弟子さん?」
「うんっ! そうだよ! ……あれ? なんでししょーの名前……」
女性は、ゆったりと微笑みました。
「それはね? 私があなたの師匠さんの、昔の知り合いだからですっ」
――――――――――――――――――――――――――――――
「ただいまししょーっ!」
「こんにちは、モルガ」
「お帰りノノ……よく来たね、セフィナ」
帰ってきたノノを笑顔で迎えた青年は、続いて訪れた彼をモルガと呼ぶ女性を見て、少し複雑そうな顔を浮かべました。
セフィナと呼ばれたその女性は、モルガに近づいて背伸びをすると、その頭を優しく撫でました。少し恥ずかしそうにしながらもあまり抵抗しなかったモルガは、その光景を見上げたまま固まったノノを見てあわててその手を払いのけます。
「……セフィナ!」
「ごめんごめん、つい癖で、ね?」
「ね、じゃない! ……依頼はいつものだろ? とりあえず上がりなよ」
恥ずかしさで少し赤くなった顔を隠すように、モルガは家の中に歩いていきます。その後を追おうとしたセフィナの袖を、さっきまで固まっていたノノが掴みました。
「し……ししょーとどういう関係なのっ!?」
「……どういう関係だとおもう?」
「えっと、ししょーが私を撫でてセフィナさんがししょーを撫でたから……ししょーのししょー? でもししょーのししょーはセイホロにいた人で、うーん……」
うんうんとうなりながら考えるノノの頭を、セフィナはモルガにしたように撫でました。
「モルガは、いい子になつかれたのね。私はそのモルガの師匠の孫娘で、幼馴染よ……あの魔剣バカの」
言いながら、セフィナはノノの手を引いてモルガの向かった部屋へと進みます。少しあわてながら、ノノは引きずられないようにセフィナの隣を歩きます。
「……遅かったけど、どうかした?」
部屋ではすでにモルガが座っていて、いつもはつけていない手袋をつけて待っていました。その横には、ノノの見たことがない砥石が置かれています。
「ううん、なんでもないよ。それより、今回もお願いね」
「それがセフィナさんの魔剣? ……剣?」
セフィナが取り出したのは、会ったときに彼女が手に持っていた針でした。
「うん、名前がわからないから、私はセフィナの薬の魔剣って呼んでる……自分の名前を付けるの、少し恥ずかしいんだけどね」
「名前が……?」
「うん、わからないの。でも特異性はわかるよ? 名前の通り、斬ったものの傷の直りを早くしたり、怪我の痛みを和らげたりする薬みたいな魔剣なの」
名前がわからないという言葉に驚いたノノが、ちらりとモルガの方を見ました。モルガはその目線を気にせずに、セフィナから魔剣を受け取ると傍に置いている砥石を使って、手袋を外さないまま研ぎを始めます。
「ノノ、セフィナに飲み物を出してやってくれないか?」
その言葉にうなずいて、ノノは部屋を離れます。二人きりになったモルガは、剣を研いだままでセフィナに言いました。
「……なぁ、セフィナ。お前は……僕を、恨んでないか? 突然おいていったことと、それと――」
「モルガ、その言葉何回目? ……何度だっていうよ、モルガ。突然国を出て行ったことは、確かにびっくりしたし悲しかったけど……私は、あなたを恨んだことなんてない。あのことも……むしろ、謝りたいのは私の方なの」
その言葉をさえぎって、セフィナはモルガの口元に指を突き出しました。少し悲しそうな表情で話した後、笑顔でセフィナは続けます。
「それより、あの子の……ノノさんの話をしようよ。私、気になるなぁ」
「……ああ、あいつはさ――」
――――――――――――――――――――――――――――――
「セフィナさんは、旅に出るんだっけ」
「うん、それが私と……この薬の魔剣で出来ることだから」
家の前で、セフィナとノノは別れの言葉を交わします。そのあとモルガの頭に手を伸ばそうとして、モルガはその手を掴んで握手に変えました。
「また会おうね、モルガ」
「うん、いつでも来て、セフィナ……でも次来たときは撫でるのやめてくれよな?」
その言葉を交わした後、セフィナは手を振りながら山を下りて行きました。それを見届けながら、ノノはモルガの腕をゆすります。
「ししょー、あんなにかわいい知り合いいたんだね……」
「ノノは僕をなんだと思ってるの……? まあ、そうだな……可愛くて、優しくて……なぜか、まだ僕に関わりを持ってくれる。良い奴だよ、セフィナは」
「……ししょーは」
モルガの腕を揺らすのをやめて、ノノは少し小さな声で言いました。モルガがノノを見て、ノノはそこで話をやめます。
「どうした?」
「ううん、なんでもないっ! そういえばししょー、セフィナさんの持ってる魔剣、すごい優しい特異性の魔剣だったけど、ああいうものもあるんだねっ!」
その言葉を聞いたモルガが、おかしそうに笑いました。気になったノノがモルガを見上げて、
「あれの本当の名前、セフィナじゃないのはもちろんだけど、薬でもないんだよね」
「……へっ!?」
「本当の名前は、セリリアの毒の魔剣……毒の名の通り、斬ったところから毒に侵す魔剣だ。ほら、見慣れない砥石があったでしょ? あれ、素手で触ったらかぶれるような毒性の鉱石だ」
その言葉に驚いたノノに笑顔を向けて、モルガが少し、してやったりというような声で言いました。
「薬と毒の違いなんて、ほとんど使い方次第だと思うんだ。……魔剣と同じ、持ち主次第だってさ」
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