ステイアードの落翼の魔剣

 緑の色濃い山の奥、頂上に近い場所に一軒の家が建っていました。

 その家の一室、石造りで出来た部屋の中で、一人の少女が椅子に座っていました。

 少女と椅子の前にあるのは、円盤形の大きな砥石。中心を貫くように持ち手のような棒が左右に生えていて、それを木製の支えの上にゆるく固定されながら縦向きにその円盤形の砥石は浮かんでいます。

 円盤の中心から生えている持ち手のような棒の片方にはそのままペダルが伸びていて、少女はそこに足をかけながら砥石を軽く手前側に引くと、そのままペダルをこぎ始めました。

 キコ、キコ、と音を立てながら、砥石はゆっくりと回り始めました。少女はその砥石全体を濡らすように水をかけると、だんだんペダルをこぐ速度を速めていきます。


 十代前半くらいの、赤い目の少女。特徴的な腰まで伸びた白髪は、その砥石の回転に巻き込まれないように結んで、頭にかぶった白布の中にしまっています。

 少女はある程度のところでペダルをこぐ速度を一定にすると、砥石に気を付けながら後ろに振り向きます。その先にいるのは、茶色がかった髪の少し背の低い青年。腰には一本剣を下げています。


「ししょー、お願いっ!」

「よしきた!」


 少女の声を受けた青年は、一本の剣を渡しました。幅の広く、厚さもそこそこの大きな両手剣。少女はそれを受け取ると、横に構えながら慎重に砥石に近づけていきます。


「ノノ! 巻き込まれたらシャレにならないから、気を付けて行けよ!」

「うんししょー! わかってる!」


 後ろからの青年の声にほどほどに答えながら、ノノと呼ばれた少女は剣の刃の部分を回転する砥石につけました。キィィィィ、といった鈍い金属音とともに、ノノの手に振動が伝わります。

 回転する砥石に削られながら不規則に振動する剣を、ノノは絶対に研石に、そして剣の刃に指が触れないようにしながら押さえます。

 全体を均等に研げるように剣を左右に動かしながら、時折素早く砥石に水をかけ直します。

 固定されていた砥石に剣を動かしていた時とはまるで違う音が、振動が、光景が、部屋の中のその一部分にありました。しばらく剣を砥石に押し付けていたノノは、一瞬息を吐くと同時にその剣を素早く砥石から離しました。少し遅れて漕いでいたペダルから足を放すと、ノノは椅子に座ったまま一息ついて、その後剣の柄を持つ手を入れ替えます。


 それは一見、剣を砥石と平行に、突き出すようにして研げば手間のかからず終わる作業に見えます。しかしその研ぎ方をすると、砥石の方も刃の方も痛めてしまうというのが青年の談。

 砥石に水をかけて濡らしながら、もう片方の刃も同じように回転する砥石に当てて研いだノノは、ぴょんっと椅子から降りた後、その両手剣を危なくないように下に向けながら青年の元へ駆け寄ります。


「ししょー! どうでしょうかっ!」

「……うん、初めてにしては悪くない……けど、ちょっと集中できてなかったんじゃないか?」


 図星をつかれたようで、ノノは目を泳がせながら顔をそらします。その顔の正面に回り込みながら、青年はじっとノノのことを見つめます。


「何か悩みでもあるのか? いや、言いたくなければいいんだけどさ」

「……いつも研いでるのはししょーの作ったすごい剣で、今日のは絶対にししょーの剣じゃないなって思ったら……少し……」


 それを聞いた青年は、両手を自分の腰に当てながらため息をつきます。


「ノノ、僕たちは研ぎ師の仕事をしているんだ。この人のじゃないから、何て言っちゃいけないし、その剣にも誰か作った人がいて……だから、全力で取り組まないことはその人に対して失礼なことなんだ。でも、まあ」


 落ち込んで俯いているノノの頭を、青年の手が優しく撫でました。顔を上げると、青年は小さく微笑みながら言いました。。


「自分の作ったものが褒められるっていうのはいい気分だから、そこはありがとうな、ノノ。それじゃ、そろそろご飯にするか」

「……うんっ! 美味しく作るから、期待しててねっ!」


 ししょーの作った剣の話をしても、苦しそうじゃなかったな。ノノはうれしそうにそんなことを考えながら、少し駆け足で部屋を出ていきました。


 ――――――――――――――――――――――――――――――


「あっ、新しい研ぎ方も覚えたことだし、ご褒美に魔剣の話でもしようか」

「本当っ!? 前はキリラスアーティアの破砕の魔剣だったっけ、今日はどんな魔剣の話?」


 食事を終え、部屋でノノと一緒にまったりとくつろいでいた青年は突然ひらめいたように言いました。それは青年――、モルガが以前ノノに剣の研ぎを教えた時に、上達したご褒美として魔剣の話をしてあげた時と同じこと。それを聞いたノノは、嬉しそうに目をキラキラと輝かせてその話に食いつきました。


「よし、じゃあ今日話すのは――」

「あっ、ちょっと待ってねししょー」


 話しはじめようとしたモルガの声を切ると、ノノは胡坐ですわっていたモルガの足の上にすっぽりと収まりました。そのままモルガの方を向いて、じゃあおねがいっ! と一言。

 少し困ったような笑顔を浮かべながら、言われたとおりにモルガは話を始めます。


「話すのは、よく覚えてる魔剣でさ……いや、魔剣は全部覚えているんだけど、所有者のこともはっきりと思い出せる珍しい魔剣だ」

「ししょー、人のこと覚えるの苦手だもんね……どんなお話?」

「そうだな……うん、いうなれば、ドラゴンを倒したある英雄のお話だ」


 思いがけない言葉にきょとんと首をかしげるノノをよそに、モルガは思い出すように目を瞑って話します。


「魔剣の名前は、ステイアードの落翼の魔剣っていうんだ」

「落翼……近づいてきた鳥が勝手にぽとって落ちてくるとかかな……?」

「そんな局所的な特異性じゃないよ、剣を突き出すとその先端からよく切れる何かが勢いよく飛び出るって魔剣だ。やってることは僕のウルムケイトの声の魔剣と似ているかも」


 そう言って、モルガは自分の腰に下げている剣を軽くたたきました。


「でもししょー、それじゃあなんでししょーの頭に強く残ってるの? 持ち主さんが相当な変人さんだったとか?」


 ぐいぐいと迫ってくるノノを、モルガは軽く手で制します。続きが気になるようでせわしなく揺れるノノに対し、モルガはゆっくりと言葉をつづけました。


「それを話すには、まずその時の魔剣の様子からだ。僕がその魔剣の研ぎを依頼された時、その魔剣は本当にボロボロで、刃どころか刀身が欠けていたりもしたんだ」

「それは……乱暴に扱ったってこと?」

「僕もそう思って、依頼主に聞いたんだ。まだ若い女性だった、少し目が涙ぐんでてさ、なんでこんなにボロボロなんですかって聞いたら……」


 少し続きを引っ張るその言い方に、ノノは静かにしながらも期待するような目をモルガに向けます。


「主人が村を守るために使ったんですって、詳しく聞いてみたら、十数日前に村の付近の洞窟にドラゴンが住み着いたらしい。それで、騒がしいからって理由だけでその村を襲ったみたいなんだ。その時にこの魔剣を持って立ち向かったのが彼女の夫だったらしい……ただの人間とドラゴンの差を、即死させる以外の魔剣で埋めるなんて無茶なことなのにな……」

「で、でもその妻の人が依頼に来たってことは、その人は村を守れたんだよね……?」


 不安そうな声で、ノノがモルガに尋ねました。少し休むように息を吐いて、モルガはそれに返します。


「相打ち、だったらしい。とはいっても、ドラゴンの方は翼を射抜かれただけで、まだまだ余裕はあったみたいだけど……退けはしたみたいだ。……その人の命と引き換えに」

「……いい夫さんだったんだね」

「ああ、そうだな……それで、砥ぐ直前にもう一つ聞いたんだ。その剣はさ、彼女にとっては夫の死を思い起こさせるものだろ? だから、どうして研ぎの依頼をしに来たのかって。そしたら何て答えたと思う?」

「……何て答えたの?」


 モルガの問いに少し考えた様子を見せながら、ノノはモルガの方を向いて聞きました。少し間を置いて、モルガは優しい声で喋ります。


「夫の意志は、思いは、この剣に残ってる。だから、この剣は息子たちにも受け継がせていきたい。って……それはさ、思い出の残った剣を受け継がせるっていうのは……きっと、僕たち研ぎ師にしかできない、大切なことだなって思うんだ」


 晴れやかな顔で、モルガはそう言いました。

 ノノはその言葉に少し体を止めて、そしてゆっくりとこういいました。


「ししょー……私、もっと真剣に研ぎの仕事、頑張りたい! だから、いろいろ教えてねっ!」

「……ああ、ノノ。また明日も、頑張ろうな」

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