マセンカングの風の魔剣
ソレに会ったのは、まだ七歳か八歳くらいの時だったと思う。
「ねーえー、早く帰らないとおじいちゃんに怒られるよー?」
「えー、だって帰ってもまた刃物との向き合い方がどうのこうのって色々言われるだけじゃん、説教と変わんないよあれ……」
俺の生まれ育ってきた国はなんでも工業が近くの国よりも発達してるらしくて、父さんと母さんは刃物とかを他の国に売りに行く仕事をしていた。俺はまだ幼かったので、二人が国から離れている間(といっても、帰ってきて数日経ったらすぐに出ていってしまうので殆どの間)、仲のいい幼馴染の家に預かってもらっていた。
その幼馴染のおじいさんといったらもう! うちの父さんより迫力があって、うちの母さんより怖い! この辺りの鍛冶屋を纏めるリーダーのような存在みたいで、孫娘である彼女には甘く接するのに、一緒に住んでる俺に対しては頻りに厳しく刃物についてのことを教えてくる。
「どうせ将来は父さんや母さんと一緒に物を売りに行く仕事をするんだし。そりゃまあ、刃物の扱い方を教えてもらえるのは嬉しいけど……別に作り方とか研ぎ方とか、やってみろって言われてもさ、それに」
俺はぴょんっ、と座っていたベンチから立ち上がった。
その時彼女の影を踏んでしまって、何となく恥ずかしくなってそのまま一歩前に進んだ。影を踏まないようにしたその動きの意味は、彼女にはわからなかったみたいだった。
「折角剣を使うなら、俺はあれがいいな! あの、前に見たお話の主人公みたいにバッサバッサと悪い魔物を倒していくようなやつ!」
「はいはい、立派だね」
そういって彼女が手を伸ばしてきたから、俺は黙って撫でられることにした。同い年のはずなのに彼女の方が身長が大きくて(と言っても、同じ年の子の中で俺より背の低い人はほとんどいなかったけれど)、いつか絶対身長を抜かして逆に俺の方から頭を撫でてやるぞ、と思った。
「それで、未来の勇者様は剣の扱い方も教わらず、剣の修行もしないでなんで怠けているのかなー?」
「うっ……今からやるところだったんだよっ! この国にも小柄な翼竜は来るだろ? まずは打倒あれを目指す!」
「えー、やめておいた方がいいと思うけどなぁ……怪我したら痛いし、話せなくなるの、私はいやだよ?」
「弟扱いはやめてって! 俺の方がちょっと早く生まれてきたんだからな!」
俺はそう言って顔をそらした。
彼女にそういう扱いをされると、なんだか他の子に背が低いことをからかわれるより恥ずかしい気分になる。でもなんだかそこまで言われたくない事のようにも感じない、不思議な気分だった。
その後は、お店で氷菓子を買って国の中を歩いていた。彼女が無理やりおじいさんの所へ連れて帰らなかったのは、「仕方がないから私が付き合ってやろう」みたいなことだったのか、「一緒に色々なものを発見するのが楽しい」みたいな事だったのか。
とにかく、その時の俺は一つのことに集中するより色んな物を見てみたいって性格だったのでこの探検みたいな行動は、なんだかとても楽しかった。
日が暮れてきて、もうそろそろ帰ろうか、おじいちゃんになんて叱られるかな、なんてことを話していた頃だった。近くの方の城門から、カランカランと人が来たことを伝える鐘がなって、どうせだから誰が来たか見てから帰ろうと俺は彼女に話しかけた。
うんと頷いた彼女を連れて少し駆け足で城門に向かうと、一人の大人が入国審査の人といくつか短い会話をしていた。茶色い髪の、腰に一本剣を下げている男だった。
「やぁ、こんばんは」
俺達が見ていることに気がついたようで、男はこちらに近づくと、目線を合わせながらそう挨拶をした。二人揃って同じように挨拶を返した後、俺は一歩前に出てその男の人に、お兄さんは旅人さん? と聞いた。
「違うよ、僕はこの国の研ぎ師に用があるんだ」
彼が小さく首を振ってそう言ったので、俺と彼女は顔を見合わせた。
「私のおじいちゃんが、そういうお店について詳しいと思う! 案内しよっか?」
彼女のその言葉に、彼は少し嬉しそうに頷いた。そしてふと、なにかに気がついたような様子で言った。
「日も暮れてきたから、先に宿屋を探して休もうと思うんだ。案内はまた明日でもいいかな? ……それと、おすすめの宿屋、知ってる?」
残念ながら知らなかったので、俺達は首を横に振った。
次の日、確か昼前に起こされたと思う。起こせたことがうれしかったのかどこか満足げな顔だった彼女と一緒に顔を洗って歯を磨いていると、外がなんだか慌ただしいことに気が付いた。
彼女がおじいさんに向かって「なにかあったの?」と尋ねた。おじいさんが、最近翼竜達の様子がおかしいので兵士を集めて調査するらしく、そのため武具の修理の依頼が多く来ている、と答えたので、俺が「もし襲ってきたら俺がぱぱっと退治するよ」なんて言ったら二人から同時に怒られた。冗談のつもりだったのに。
そのあとは彼女と一緒に出掛けた。おじいさんからは少し心配されたけど、二人で説得したらしぶしぶと言った感じで許してもらえた、多分心配してくれてるんだと思う。
今日は探検もほどほどに、俺達は昨日彼と会った城門の近くまで歩いて行った。彼は既にそこで待っていて、腰に下げている剣の柄をしきりに触りながらベンチに座っていた。やがてこちらを見つけると、彼は軽く手を振りながら近づいて言った。
「おはよう、今日はよろしくね」
話している最中にも剣をいじっていたので、俺は少し気になって聞いた。
「お兄さんは剣をいじっているけれど、お兄さんにとって大切な物だったりするの?」
そう言われて、彼はやっと気が付いたようで剣からぱっと手を放した。そしてちょっと悩んだ後に、ぱしんと鞘を叩いて言った。
「そうだね。この剣はなんというか……弱い僕が、自分のことを強いって思うために必要な物、そんな感じなのさ」
ちょっと格好つけすぎたかな、なんて言いながら彼は剣に目線を向けた。
「もしかして、お兄さんはその剣を綺麗にしてもらいにこの国に来たんだったり?」
俺の隣で彼女が聞いた。
「まあ、ね。それも目的の一つかな」
「やっぱり! でもよかったね、おじいちゃんに聞いた話なんだけど、最近翼竜さんがなんだか怒っているらしくて……お兄さんはここに来る途中で会わなかった?」
彼は、少しだけ言葉に詰まったように見えた。
多分本当にそうだったんだろう。理由も、今ならよくわかる。
「……怒ってる翼竜には会わなかったよ。もしそんなのに襲われていたら、この剣を使っていただろうね」
そう言って、彼は両手を叩いた。
「さて、そろそろ案内をしてくれると嬉しいな」
うんと頷いた彼女が歩き出したのに合わせて、三人で並んで目的地に向かった。
おじいさんのところについた頃にはちょうどお昼ご飯の時間になっていて、おなかが空いた俺達は作業の邪魔にならないように近くのお店に向かった。
父さんと母さんがよくいくお店で、彼女の家族とも一緒に行ったことがあるお店だった。ご飯は美味しいけれど、店の中の人のほとんどと顔見知りなので、二人で行くと毎回のようにからかわれる。どうしてこの空気を彼女が気にせずいられるのか、謎の敗北感を感じずにはいられなかった。
ご飯を食べ終わって、改めて探検を始めた。
ちょっとして、少し落ち込んだ様子の男の人を見つけた。おじいさんのところにいるはずの彼だった。
「……お兄さん、どうかしたの?」
彼女が話しかけた。彼はこちらの方を向くと、曖昧な笑みを浮かべて言った。
「ちょっとね……向こうも忙しいみたいだったし、その依頼は無理だって言われちゃって」
あのおじいさんがそんな簡単に無理って言うなんて珍しい、そう思ったのをよそに彼女は言葉を続ける。
「そっか、残念だったね……お兄さんはこの後どうするの?」
「そうだなぁ……まあ、一番の目的は売れるものを売って必要なものを買うことだから、今日はそれをして……明日この国を出ようかなって思ってるよ」
そっか、と彼女は言った。すぐ別れるのは何となく寂しいけれど、仕方ないかと俺は思った。
彼が、売るものの整理は済ませてるからいまから売りに行こうと思う、と言ったので、一緒について行っていいか聞いてみた。
そしてそれは、大丈夫と承諾してくれた彼の後ろをついていっている時に起きた。
一瞬だけ陽の光が消えたかと思うと、直後に耳を劈くような大きな声が響いた。
声の主は上にいた。二本の翼を折りたたみ、両足でガッチリと屋根の上に立つ、人より大きい生き物――
「ひっ……!」
恐怖で足が動かなかった。
言葉がなくても伝わるほどの怒りを滲ませながら吼える翼竜に、立ち向かおうとする気持ちなんてわかなかった。ただ隣で同じように動けないでいる彼女を守るように手を伸ばすと、目の前にいた彼が剣に手をかけているのが見えた。
「少し、目を閉じていて」
言われたとおりに目を閉じた。
一瞬の風と、重たい物が地面に落ちる音がした。
「よし、目を開けても大丈夫」
その声はとても静かで、どこか冷たく感じたけれど、大丈夫という言葉で恐る恐る目を開けた。
翼竜が、地面に倒れていた。茶色い髪を揺らしながら、彼は一本の剣を抜いていた。
その剣だ、その剣から目が離せなくなった。
それは綺麗で、美しくて、ほかの剣にはない何かがあると感じた。何か、命や人生をかけてもいいと思えるようななにかがそこに――
視線に気がついたのか、彼がこちらを振り返った。そして満面の笑みで、手の剣を触って言った。
「これが僕の力……魔剣の力さ」
その日は、彼女が動けなくなったので結局そこで解散になった。恐怖でその場に座り込みながら泣いてた彼女をおんぶして家に帰るまでのあいだ、ずっと魔剣のことを考えていたと思う。
多分、おじいさんの話をちゃんと聴いてなかったことを一番後悔したのはこの日だと思う。もし聴いていれば、もっと早くあんな剣を見れたかもしれないのに、と。
明日、明日彼とあった時に、もう一度あの魔剣を見せてもらおうと思った。
次の日、彼が捕まった。
昨日興奮してあまり眠れなかったから、起きたのは昼過ぎだった。流石に起こしてくれてもいいんじゃないのかと怒りに行こうとしたら、二人が暗い顔をしていた。
どうしたのか分からなくて話しかけられずにいると、彼女が一歩近づいてきて、言った。
彼が捕まった、と。
意味がわからなくて固まった俺に対して、辛そうにしながら言葉を続けた。
彼の売った物の中に、見覚えのあるものが混ざっていたらしかった。それはこの国固有の物で。婚約時にお互いに渡す、絶対に売らないような夫婦の証明で。
そしてそれは、俺の父さんと母さんのものだった。
足元が揺らいで、溶けて、無くなっていくような感じがした。気がつけば、俺は彼女のことを掴んでいた。
「ねぇ、嘘だよな!? 勘違いだって、そうじゃないって! 騙してるだけだよな!? なぁ、セフィナ!!」
「モルガ……」
声でハッとして、強く握りすぎていた手を離した。彼女の顔が全てを理解させていた。
その日どうしたかは思い出せない。寝込んだか、暴れたか。
その次の日、両親の死体が見つかった。
翼竜が怒っていた原因も、彼が仲間を何匹も殺したかららしい。死体には剣による傷はなく、彼の持つ魔剣――マセンカングの風の魔剣による何かしらの攻撃によって殺されたらしい。動機は、魔剣の力を使わないのはもったいないと思ったから、だった。
その日、俺は部屋から出なかった。
意味がわからなかった、なんで両親が殺されなきゃいけなかったのか。なんで人を殺しておいて平然としていたのか。なんで、なんで、なんで。
――なんで、あの美しい魔剣を、殺すためだけに使えたのか。
夜に、おじいさんが部屋の前に訪れてきた。何を言えばいいのか迷っているみたいだったから、代わりに俺の方からひとつ聞いた。
両親を殺したのは彼だ、あの男のしたことは絶対に許されないことだし、許さないことだ。
彼の動機は、魔剣の力を使わないといけないと思ったからだ。なら、魔剣は。あの美しい剣は。
「魔剣は、悪なの?」
おじいさんは少し考えてから、こう告げた。
「物に善も悪もない。それは作った人や使う人の感情で……そして、その基準は人でしかないからだ」
ギュッと手を握りしめた。ひびの入った心が、別の何かで固まった気がした。
「ねぇ、おじいさん……いや、師匠」
それを、決意と呼んでよかったのだろうか。
「俺に、剣の作り方を教えてください。誰も傷つけない、美しくて、綺麗で、見た人に何かを与えるような――」
魔剣を作る。
それは、きっと狂気だった。あの日見た魔剣の美しさしかもう縋るものがないと思った、周りの人のことなど何も考えなかった一人の男の、強く惨めな狂気だった。
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