タリス・ライムの影断の魔剣

 緑の色濃い山の奥、頂上に近い場所に一軒の家が建っています。

 その家の一室で、一人の青年が座っていました。茶色がかった髪の、あまり背の高くない青年。その手には柄が深い青色の細身の剣――一般的には、レイピアと呼ばれる物を握っています。

 外には雨が降っていて、音の少ない室内にぽつぽつと一定のリズムを送っています。青年はそのレイピアの手入れをしながら、その合間合間にその雨で剣の刀身を濡らしていました。


「ししょーっ! 飲み物持ってきたよっ!」

「ああ、ありがとうノノ」


 その部屋にノックの音が響きました、続けて外から一人の少女が部屋の中に入って来ます。

 白い髪の毛を揺らしながら、ゆっくりゆっくり慎重に部屋の中を歩くのは、十代前半頃の少女。手にはお盆を持っていて、その上に乗せた水の入った二つのコップを、特徴的な赤い目でじーっと見つめています。


「ししょーは、魔剣の手入れ中?」

「うん、インディキュリアの降雨の魔剣は雨の日に手入れするのが一番だから、ついでに全部手入れしようと思ってな。多くやって困ることでもないから」


 ノノと呼ばれた少女は、お盆を置くとそのまま近くの床に座ります。今持っているレイピアの手入れを終えた青年は、自分の横の床をポンポンと叩くノノに従ってノノの横に座ると、剣を鞘にしまって水を飲み始めました。

 その様子を満足げな表情で眺めた後、ノノは彼が手入れをしている剣の方へと視線を移します。

 先ほどまで青年が持っていた、柄が青い細身の剣。普段青年が腰に下げている、地域によっては刀とも呼ばれる剣。模様がなく無骨な、灰色の大きな剣。そして――、


「……ねぇししょー、これなあに?」


 ノノが指差したのは、並んでいる剣の一番奥。他の剣とは違って、黒塗りの二枚の刃を交差させて止めた――まるで鋏のようなもの。ノノの言葉に気が付いた青年は、持っていたコップを置くと、その鋏を手を伸ばして引き寄せました。

 手の大きい人なら片手でもおさまりそうな小さな持ち手と、それに見合わない足の長さほどの刃の部分。青年はその鋏を開くと、内側にある刃をなぞるように手を滑らせます。


「ノノはなんだと思う?」

「えっ……うーん、ここに並んでいるってことは、これも魔剣なの……?」

「正解、ノノは見るの初めてだっけ」


 答えたノノは頭を撫でられてうれしそうにしながら、青年が今持っている以外の三本の剣をちらりと見ます。青い柄の剣は、インディキュリアの降雨の魔剣。いつも青年が着けている剣は、ウルムケイトの声の魔剣。灰色の大剣は、オル・シャツカの苦痛の魔剣。

 そのいずれも、ノノにとっては名前も特異性も知っている魔剣で、


「うん、初めて! 何て名前の魔剣なの?」


 その一振りは、青年の持っている中でノノの知らない魔剣でした。青年は鋏を閉じて床に置きながら答えます。


「タリス・ライムの影断えいだんの魔剣。ノノを拾う前に、いろいろあって僕が持つことになった魔剣で――」


 そこまで言って、青年はノノの方をちらりと見ます。獣のように両手を床につけながら、ノノは期待するような目で青年のことを覗き込んでいます。


「……まあ、いろいろのとこ、聞きたいよな」

「うんっ!」

「いいけど、そんなに面白い話じゃないよ? 良い話でもない」


 その期待するような目から視線を外して、青年は頭を掻きます。


「ううん、ししょーのお話なら聞きたいよっ! 私!」

「まあ、そういうなら。家にある魔剣のことだから、知っておいて損はないだろうし……」


 さらに距離を詰めてきたノノに、青年はあきらめたように一度ため息をついて向き合います。


「タリス・ライムの影断の魔剣は、影を切る魔剣だ」

「……影を?」

「うん、鋏はうちにもあるから知ってるよな? あれと同じ感じで、この魔剣を開いて地面に突き立てて、影をちょきんと切り離してしまうんだ」

「すると……どうなるの?」


 指をチョキの形にして地面につけた青年のことを、ノノは不思議そうな目で見つめます。青年はその指を閉じながら答えました。


「切り離された影につられるように、その大本もちょきんと切り離されちゃうんだ。硬さは関係なしにな」

「それは……怖いね……」

「うん、怖いし強い。防御することもできないし……影も常に気にしろっていうのは無理な話だからね。武器としては、むしろそういうものである方が普通だ」


 ちらりと鋏の方を見ながら、ノノは自分の影を優しく撫でます。さて、と前置きした青年の声で、再びノノは目線を正します。


「この剣を持ってきたのは……青年、いや老人だったかな……まあ、とりあえず男だったんだけど」

「……適当だね」

「覚えていたい人でもなかったからな。でだ、この剣が持ってこられた時、刃はぼろぼろで、ひどい有様だったんだよね」


 先ほどまで呆れたような顔だったノノの表情が、少し疑問を浮かべた顔に変わりました。


「それは……ぼろぼろになったから研ぎに来たんじゃないの?」

「まあ、その通りだけどさ。でも疑問に思わない? 剣は影を切るためのものだし、刃も内側についてるから、普通は斬り合いには使えない」

「……そういわれると、そうなのかな……?」

「まあ、僕はそう思ったから聞いてみたんだ。この傷はなんでついたんですかって」


 しばらく考えていたノノでしたが、その言葉を聞くと続きが気になるようでわくわくとした表情に変わります。


「それでっ、なんて返ってきたの?」

「……詳細はあまり言いたくない。けど、影を使わなくても岩を切れるか試してみたとか、雑な扱いをしたことを自慢げに語られたよ」


 悲しそうな青年のその声に、ノノもわくわくしてた表情を曇らせました。


「それは……たしかに、良い話じゃないね……それで、なんでその魔剣がししょーの元にあるの? 魔剣が不憫だから返さずに追い返したとか……?」


 その言葉に、青年は首を振りました。


「……ちゃんと返したよ、それが仕事だからな。ああ、でも……どうなるかわかって返したから、仕事としては駄目なことだったかな」

「……どうなったの?」


 不安そうなノノの問いに、青年は返事を返さず立ち上がりました。置いてある剣の中からウルムケイトの声の魔剣を拾い上げると、青年はノノの方に顔を向けます。


「ノノ、魔剣に感情や意志があるのは、ウルムケイトの魔剣から聞いてるよね?」

「う、うん……きいてるよ?」


 急なその問いに、意図がわからず困惑した様子でノノは答えます。青年はその返事を聞くと、続けて言いました。


「魔剣の常識や価値観っていうのは、僕たちと違うものだ。当然だよね、僕たちは魔剣じゃないし、魔剣は人間じゃないんだから。それでも、最低でも一つ、共通した部分がある……それは、死にたくないってことだ」


 落ち着いた、ゆっくりとした口調で。しかし口をはさめないような冷たさすら感じる声で、青年は言いました。

 ノノは真剣な顔で、座りながらそれを聞いています。


「じゃあ、魔剣の死っていうのはなにか。一つは剣として一切使ってもらえないこと、もう一つは……壊れることだ。なら、もし雑に扱われて壊れそうだと思った――つまり、命の危険を感じた時に、魔剣はどうすると思う?」

「えっ、えっと……動けないから逃げられないよね? なんだろう……特異性を消す、とか……」

「さて、それじゃあさっきの、どうなったかの答え合わせだ。剣を受け取って、確かめるようにその男が剣を振って――影に剣が重なった瞬間に、その影と男が切れたんだ」


 驚いて、口をひらいたままぽかんと固まったノノに目線を合わせながら、青年は優しく頭を撫でました。そしてゆっくりと息を吐きながら、もう一度口を開きます。


「長い話で疲れたと思うけど、物に携わる人として、一つこれだけは覚えていてほしいんだ。」


 ノノは、真剣な表情で青年を見ながら、こくんと大きく頷きました。


「僕たちの周りにはいろんなモノがあふれてて、そのすべてに気を向けるっていうのは、多分不可能に近いことだ……でも、そのモノたちを殺さないでやってほしい。それは雑に扱わないことで……それは、ちゃんと使ってあげることだ。約束、できる?」


 青年の差し伸ばしたその手を、ノノはしっかりと握りました。

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