ケトの記憶の魔剣
緑の色濃い山の中、ゆったりと流れる川に沿って、一人の少女が歩いていました。
川は日の光を受けて少し眩しく輝き、水の中の魚たちは自然にできた岩陰で休み休み泳いでいます。少女は笑顔でその様子を見ながら、魚の進む速度に合わせるようにゆっくりと歩いていました。
歳は十代前半の、赤い目の少女です。腰の長さまで伸びた特徴的な白い髪の毛は、少女の歩く動きに合わせて左右にふらふらと揺れています。身長が低いことと生えている草の背が高いことが合わさって、その姿は肩より上くらいしか見えません。
少女は楽しそうに笑顔を浮かべたまま、川から逸れて山の中を歩きはじめました。高い木の上を探し物をするようにきょろきょろと、時にジャンプしながら見回します。地面は道と呼べるようなものではない荒れたものですが、少女はそんなことは気にせずに、歌いながら山の中を歩いていきます。
何分かそうして歩いて、静かな環境でも川に流れる水の音が全く聞こえなくなったくらいの距離を歩いた少女は、一本の木の前で立ち止まりました。
「ねぇねぇ! 今日はどんなお話をしよっか!」
そして少女は、目の前の木に――、正確に言えば、その気にくっついている大きな白い塊に対して言いました。それは少女がペットとして飼っていて生き物の蛹、それに毎日会って、聞こえているかわからなくても一日一個お話をするのがこの少女の――、ノノの日課。
それが成長においてどんな効果をもたらすのか、ノノは一切知りません。ただ自分の師匠であり、山の頂上に住んでいる研ぎ師の青年に「植物に歌を聞かせると育ちがよくなるらしい」という話を聞いて、「ならこの子にも何か聞かせたらいっぱい成長するのかも!」と思ったからの行動です。
蛹に触れないようにちょっと距離を置いて、少しだけ整えた地面に座り、ノノはゆっくりと今日のお話を始めました。
――――――――――――――――――――――――――――――
「それじゃあ、今日はここまでっ! また明日お話しようね! 」
お話を終えて跳ねるように立ち上がると、ノノは目の前の蛹に手を振ってから再び先ほどまで歩いていた方を向きます。一度伸びをしたあと、ぽつりとこぼすようにつぶやきました。
「ししょーの研ぎ、いつ終わるかな……」
ノノの外出は日課も兼ねてですが、一番の理由はお客さんが来たから。普段は研ぎの様子を見せてもらったりお客さんと話をしているノノですが、今日来たお客さんはどうやら人と話すことが苦手だったようで、ノノは仕方なく外に出て待っていることに。
少し頬を膨らませながら山の中を進んでいると、目についた一本の木の前でノノの足が止まりました。何の変哲もない、何かが付いているわけでもない一本の木。
そこはノノが師匠に拾われた場所。ノノは少し考えた後、躊躇いながらもそこに座ってその時のことを思いだします。
気が付いたらここにいて、山の中だってことだけわかって、どうして自分がここにいるのかもわからなくて、なぜか体中が痛くて――、そして、通りすがった今の師匠に助けてもらったこと。名前を聞かれた時、自分でもわからないうちにノノと答えていたこと。
座ったままのノノの背中が震えました。自分が誰なのかわからないという漠然とした恐怖。誰も人がいない山の中で、その恐怖がノノの心を締め付けて――、
草葉のこすれる音がして、ノノが顔をあげました。立っていたのは、少し茶色がかった髪の、腰に一本剣を下げた青年。青年はあの日の様にノノに手を差し伸べて言いました。
「……ノノ、大丈夫か? ……待たせてごめんな、ちょっと時間がかかって……長い時間一人にさせちゃったな。それじゃ……一緒に帰ろう、お詫びに今日の夜ご飯は僕が作るよ」
――――――――――――――――――――――――――――――
「それで、どんな魔剣と持ち主さんだったの? ししょー」
「……それがさ」
山の頂上付近に立っている家の一室で、ノノは胡坐をかいて座っている青年の両膝の間に収まるようにちょこんと座り、後ろの青年――、モルガの顔を見上げながら問いました。
その問いに、モルガはやや答えにくそうに頬を掻いた後、ちょっとため息を挟んで答えます。
「忘れちゃった、全然覚えてない」
「……へ?」
「あっ、いや、ちょっと語弊があるな。魔剣の方は覚えてるんだけど、持ち主の方が……」
「な、なんでっ!? ししょーそこまで魔剣にしか興味なかったの!?」
座ったままで器用に向きを変え、モルガの向かい合うような形になったノノは下から青年の肩を掴み、驚きながら問いかけます。モルガはおちつけと手で表してから、片手で頭を押さえながら話しはじめました。
「剣の名前はケトの記憶の魔剣。持ち主は覚えてない、特異性は……まあ、ノノが驚いた場所からわかると思う」
「……あっ! 記憶を奪う魔剣とか!」
「そう、切りつけたものの記憶を、任意の時間で任意の部分消す魔剣……らしい。あくまで切らなきゃ発動しないんだけど……魔剣を研ぐための条件がさ」
「もしかして、記憶できないように最初にちょっと切られなきゃいけないとかっ!」
「うん、その通り」
やったっ、と少し喜ぶノノの頭を撫で、モルガは一度大きなあくびをします。
「だから、僕の記憶には研ぎの記憶も含めてお客さんのことがなんも残ってない。お金は置いてあったし、魔剣の名前は……まあ、ウルムケイトの声の魔剣に聞いたけど……」
「持ち主のことは、聞かなかったの?」
「聞いたけど答えないように向こうの魔剣に約束されたって。……はぁ、記憶にないことの話をするの、すごいもやもやして頭が疲れるな……あと、記憶にない研ぎの疲れが溜まって、正直眠たい……」
そう愚痴をこぼしたモルガの体が、突然少し強めの力で押し倒されました。驚いたモルガのおなかの上にべったりとくっつきながら、ノノが笑って言います。
「ならししょー、一緒に寝よっ! 夜ご飯は干物とかの残りがあるから気にしなくて大丈夫だよっ」
「……そうだね、それじゃあお言葉に甘えてねようかな……」
ノノの笑顔を見てから、モルガは大の字になるとゆっくりと目を瞑りました。そんなモルガに対して、ノノは表情が見られないように顔を隠しながら言いました。
「ねぇ、ししょー……ししょーは、私の記憶が戻ったら、どうする……?」
モルガは目を瞑ったまま、顔を動かさずに返します。
「どうしたの急に……記憶の魔剣の話をしたからかな? まあ、そうだな……記憶が戻って、ここから帰りたいっていうなら帰すし、まだいろいろ学びたいっていうんだったらここにいて大丈夫だよ。僕は、ノノに任せる」
そういったモルガは、ノノが自分の服をぎゅっと握りしめていることに気が付きました。表情だけは隠したまま、ノノは言葉を続けます。
「じゃあ……もし、戻らなかったら……? ししょーは、自分がどこから来たのかも分からない私を、ずっとここにおいてくれる……?」
「……今日は、いつになく不安そうだな、ノノ。大丈夫、僕はキミを見捨てないし……忘れた過去のことまで背負おうとしたら、人はきっと潰れてしまうから……だから安心して、おやすみなさい……ノノ」
モルガの手が、ノノの手を優しく握りしめました。
その体温を感じながら、ノノは深く眠りにつきました。
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