ヘイスティヘイスの雪の魔剣

 見える世界は灰色だ、色も音も私の前からなくなって、残ったのは雷の魔剣だけ。

 なくなったものを探しに行く選択肢は、まあ、ほかの人から見ればあったんだろう。でも、しょうがないじゃないか。


 私は、この世界しか知らないんだから。



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 ◇ 

 穴の日


 日記を書くのを三日もさぼってしまっていたので、そろそろ再開することにする。

 こんなにやる気が起きなかったのはいつ以来だろうか、だいたい全部、あの赤い魔剣の竜を連れていた旅人が悪い。

 幸いというか浅はかにもというか、私の体は生きるために動いたし、お腹が空いたときは今まで通りご飯も食べた。

 これ以上書いてても愚痴にしかならないような気がする、思えばいつもより内容を書いているように感じる。いつもは門番の仕事のことしか書いていないからだろう、日記というよりは職業記録に近いかもしれない。


 今日は旅人は来なかった。


 ◇

 波の日


 あの旅人が来てから五日、昨日は今まで通りの日記をかけたが、どうにも今日は落ち着かなかった。

 こうやって文字に書きながらゆっくりと考えると、色んなものが浮かんでくる。多分これは、死ぬのが怖いとかそういうものなのではないだろうか。あの旅人に負けて初めて感じたわけじゃなく、今までずっと目を背けていたものを、その時初めて直視できるようになった、みたいな感覚。


 だとしたら、すごく滑稽な話だと思う。私は死ぬためにあの旅人に喧嘩を売って、そして自分が死にたくないことに気がついたのだから。


 今日も旅人は来なかった。


 ◇

 枝の日


 折角なので、私がこれを書いている時、この国でどのように過ごしているか書いてみることにする。私が死んだ後にこの国によった気まぐれな旅人が、この日記を読んで私の生前を想像する。そう考えるとなんとなく自分がいつか消えるという恐怖が薄れていくように感じるからだ。


 なお、私は日記の書き方をよく知らないのでもしかしたらおかしな文体になっているかもしれない。字が綺麗ではないのも問題だ、読ませるために書いているのに、読めなかったら困るじゃないか。少し前までは色々いじるだけで文字が書ける道具があったのだが。


 そう、道具。実際に他の国を見た訳ではないが、私の国は他の国と比べてそういう道具の文化が発達していたらしい。

 とは言っても、もうこの国の道具はほとんど動いていないのだけれど。長年使われていないものが多く、私も技術者ではないので整備の仕方なんかは全くわからない。むしろニーギルエイドの雷の魔剣を近づけると壊れてしまうので、距離を置いてくれとまで言われたほどだ、正直落ち込んだりもした。

 もしこれを読んでいるあなたが、発達した道具についての知識を持っていたなら、どうかこの国の一部を担ったその道具たちを、一時的にでもいいから動かしてみてほしい。


 今日も旅人は来なかった。


 ◇

 鉄の日


 今日は珍しく家畜以外の鳥の肉を食べた。私は料理が得意という程でもないので、味付けは簡単なものだけだったが普段食べない味というものはなかなか食べて楽しくなる。


 食糧はいつも外れにある畑や牧場から得ている。まだこの国が国として正常に機能していた頃の名残だ、労働力になる家畜や育った作物は国の人が持っていったが、余り物と土地だけで一人分の食事には足りた。もちろん私は入国審査官でしかない、あまりそういうことについても詳しくはなかったが、生き残るために必死に学んだことを今でも覚えている。彼等にとって勉学のための本は持っていく価値のないものだったし、私は物覚えがいいほうなのだ。


 だが、それだけでは追いつかないこともある。故に取るのが今日のようなことだ、あらかじめ読んでいるあなたを不快にさせてしまう可能性があることを謝罪しておこう。

 この国に訪れるのは、変わった旅人か盗賊だ。実際のところ、割合的には盗賊の方が多い、理由を軽く吐かせてみたところこの国から帰ってきたものが誰一人いないことから、ここにはすごいお宝とそれを守る凶悪な何かがあると思われているらしい、全く馬鹿らしい話だが。

 これを見ているあなたが盗賊であるならば、きっと宝が見つからずにがっかりすることになるだろう。


 さて本題だが、盗賊の死体のみ埋めたりせずに別の使い方をすることがある。

 あまりこと細かくは書かないが、簡単に書けば死体を食べに来る鳥をおびき寄せるための餌として、だ。

 それが、人道的にかなり間違っていることは分かっている。人に話せばきっと、そうまでして生きたいかといった言葉が返ってくるだろう。

 そうだ、私は生きていたいんだろう。死にたいのと同じくらいに、死にたくないという思いがあって。つまり、私はどこまで行っても中途半端なままなのだろう。


 今日も旅人は来なかった。



 ◇

 ◇

 ◇

 ◇

 熱の日 晴れ


 最初はあまり慣れなかった日記も、しばらく続けているうちにかなり習慣づいてきた。灰色の世界にほんの少しだけ色がついたような感覚だ、このまま日記を続けていれば、いつかはこの世界も色付いて感じられるのだろうか。


 そんなわけがないと、書きながら思っている私が居る。怖い、とても怖い。日記に書くことが無くなったら? 文字を書く紙、ペンが尽きたら? まだまだ遠いことではあっても、私が死ぬよりは早く訪れることだろう。


 そうなった時が、私は怖い。ほんの少しだけ色がついたこの世界を、元の灰色の世界のように生きていけるだろうか。私は、それがとても不安で怖い。


 これ以上書いていても、悪い言葉しか書けないと思う、今日も旅人は来なかった。



 ◇

 波の日(書いているのは枝の日) 雨


 昨日は日記が書けなかったので、代わりに今日二日分の日記を書くことにする。


 旅人が来た。私が普段通りに街を回っていると、道に真新しい血痕が残っていたので急いで追ってみると、その先に傷だらけの旅人が倒れていた。明るい水色の髪をした、コートを羽織った青年だった。私が「なにがあったか」と聞くと、その旅人は震えた声で「野党に襲われた」と答えたまま意識を失ってしまった。

 日記がかけなかったのは、その旅人(名前はトルマと言うらしい)の看護に追われていたからだ。私は簡単な手当て程度しかできなかったから、とりあえず近くのベッドに寝かせた後に雨の中を走り回って本だとか手当の道具だとかを探した。幸いにも私はあまり怪我をしない方だったので、国の中に置かれたままの治療道具の余りは大量にあった。私はトルマの濡れた服を脱がせ、ある程度手際よく彼の傷を手当てしていった。致命傷でこそないものの、ところどころ深い傷もあり素人目から見ても消えない痕が残ると思った、素人目だからこそかもしれないが。


 そのあとは、何が起きても大丈夫なように付きっきりで看病した。私の国の入国審査は怪我をしている旅人を国に入れないほど非情ではないし、起きてから聞きたいこともある。もしかしたら、前の旅人に感じたように、殺してくれるかどうか確かめたい気持ちもあったかもしれない、昨日のことなので断言はできないが。


 その日はそのまま、彼の様子を見ながら終えた、ここから先は今日の分の日記だ。


 ◇

 枝の日 曇り


 彼が目覚めたのはお昼頃で、私が一応二人分の昼御飯を用意している時だった。目覚めた、とは言ってもまだ上体を起こすことすらきついようであったが、彼はひとまず私に一通りの感謝の言葉を言うと自分の名をトルマと名乗った。

 正直なところ、私はあまり礼を言われた経験がない。だからトルマに感謝の言葉を言われた時に、すこし動揺してしまった。それを隠すように私は、

「怪我は大丈夫?」

 と聞くと、トルマは

「まだ少し痛いけれど、大丈夫です」

 と前置きした上で、カバンの中に怪我に効く薬があるので取ってくれませんか? と聞いてきた。

 私は特に断る理由もなかったので、彼のカバンを開けてその中身を探った。薬の入った瓶を掴むのとほぼ同時くらいだったか、私は彼のカバンの中にあるものを見つけた。


 最初に見た時は、単に旅のためのナイフのように見えた。今実物が目の前にないので記憶の中の話になってしまうが、一般的な旅用のナイフとしては刃渡りが長かったような気がする。そのナイフが妙に気になった私は、それを鞘からゆっくりと引き抜いた。

 それは、まるで書き始める前の紙みたいな白だった。私がその剣にしばらく見蕩れていると、トルマが控えめな声で、


「それ、ヘイスティヘイスの雪の魔剣っていいます」


 と話しかけてきた。私が慌てて薬をトルマに渡すと、彼は笑いながらその薬を受け取った、今思い出しても恥ずかしい。

 それから私はその魔剣の特異性について聞いた。ニーギルエイドの雷の魔剣以外で魔剣を見たのはこれで二本目だ、彼は私から魔剣を受け取ると、痛みからか小さく声を漏らしながら上体を起こした。

 私が無理はしなくていいと告げると、彼は大丈夫ですからと一言置いて、その真っ白な魔剣を地面に向かって振り下ろした。その瞬間、剣を起点として氷の道ができた。氷の道は部屋の壁にぶつかる形で止まっていて、壁は完全に凍りついていた。


 聞くと、このヘイスティヘイスの雪の魔剣は地面に触れた部分から氷の道を走らせる魔剣らしい。道は地面を走って、ある程度の大きさの物体にぶつかるとそれを凍らせるそうだ。

 話を聞いて、私は新たな疑問が思い浮かんだので彼にそれを尋ねた。つまり、こんな魔剣を持っておきながらどうして野盗にここまで怪我をさせられたのかだ。

 彼は「僕は、人を傷つけたいわけではありませんから」と言った。


 綺麗事だと思った、誰だって人を傷つけたくはないだろう。でも、それと自分の身を守れないのは違う。生きるために必要なのは、きっと自分を優先できることだ。


 それでも、死ぬ意志がないだけ私よりは偉いのだろう、とも思った。



 その後は、しばらくいろんな話をした。この国に人がいない理由、私が今もここに残っている理由。彼のことについても話した、綺麗なものを見るために旅をしているらしい。

 いい感じの時間になってきたので、彼の元に夜ご飯を持って行って食べた。怪我人には特別な料理を出すべきだったかもしれなかったが、食べてくれたようで何よりだ。


 ◇

 鉄の日 晴れ


 書けることは色々あるだろうけれど、書くことができそうにない。

 朝は牧場の方にいたから、昼頃の時間帯だ。私は、トルマに「怪我が治ったらどうするのか」と尋ねた。

 その質問をしたことが、私にとっては驚きだった。旅を再開する以外のどんな返答を求めていたのだろうか、まさかここに一緒に暮らすとでも言って欲しかったのだろうか、と。今なら分かる、私はもう、一人が嫌だったのだろう。今まで感じなかった孤独が、自覚した瞬間もう治らない傷になって現れたのだろう。


 そして彼は「旅を続けます」と言った。安心したし、不安になった。ただ一言そうかと言えばいいだけなのに、湧き上がる感情に言葉が詰まった。

 そんな私に、彼はこう続けたのだ、


「よければ、一緒に旅をしませんか」と。


 その何気ない一言で、私は彼のいる部屋から逃げた。そうして今、心を落ち着かせるためにここにいる。(私は普段夜に日記を書いているが、今日まだ夜にはなっていない)


 この国を出た人は、私を誘ってくれなかった。「この国はもうダメだ」とか「貴女も死にたくないならここにいてはいけない」だとか、そういった言葉ばかりだった。


 一緒に旅に行く。私の知っているこの灰色の世界から、さらに広い未知の世界へ出ていく。それは、とても魅力的な言葉だった。それに、一人はもう嫌だった。

 でも、私はこの国が大好きだ、この世界しか知らなくてもいいと思えたほどに、私はこの国が好きだ。



 私は、どうすればいいのだろうか。




 ――――――――――――――――――――――――――――――




 雨が降る中を、三人の男達が走っている。暗闇に紛れる黒いコートに身を包み、周囲を警戒しながら目の前に見えた門を抜けた。


「本当にここにお宝があるんですかねぇ……?」

「ばかっ、ここまで来てそんな話すんなよ!」

「……いずれにせよここは誰も帰ってこない魔の国だ。警戒を怠るなよ」


 三人の男は周囲を注意深く観察しながら進んでいく、国の中はしばらく誰も住んでいなかったことが分かるほどに荒れていた。


「んっ、なんだこりゃ……」


 散策中に入った家の中で、一人の男があるものを見つけた。それは紙の束だった、彼はそれを拾うと捲り始め――



 雷鳴が轟いた。

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