ヌガヒの竜墜の魔剣

 思考が巡る。

 寄せては返す波のように、あるいは浮き出て割れる泡のように。

 浮かぶのは、知らない記憶。頭の奥から焼けるように現れて、それが何かを理解する前に、おぼろげになって消えていく。

 それがずっと、ずーっと続いて。思い出す度に忘れてしまって、忘れる度に思い出して。痛くて痛くてたまらなくて、それでも本当にゆっくりと、思い出すまでが長くなってきた気がしたから。

 だから私は、考えることをやめることにしました。



 ――――――――――――――――――――――――――――――



 緑の色濃い山の奥、頂上に近い場所に一軒の家が建っています。

 その家の一室、石造りで出来た部屋の中で、一人の青年が椅子に座っていました。

 彼以外誰もいない部屋の中は、時の流れすら感じないほど静かに、ただ一定の間隔でしゃっ、しゃっ、と小さな音が繰り返し、繰り返し響いています。


 茶色がかった髪の、少し背の低い青年。椅子に座っている青年は、少し身をかがめながら剣を研いでいました。それは無駄のほとんどをそぎ落とされた、その道の達人のような動き。しかし、


「……モルガ、いつまで逃げてる気……?」


 青年が腰から下げている剣から、青年だけに聞こえる声が届きました。

 モルガと呼ばれた青年は、剣を砥いでいた手を止めるとその剣を鞘にしまって自分の隣に置きます。積み上げられた剣の山が、カシャンと音をたてました。


「やるなら……せめて、真剣にやりなよ……」

「……そう、だな」


 モルガは椅子から立ちあがると、その場で一度小さく伸びをします。そして腰につけている剣を引き抜くと、その刀身を静かに眺めます。

 ウルムケイトの声の魔剣。声を発することのできる特異性を持つこの魔剣は、静かに言葉を続けます。


「それで……どうするつもり……?」


 モルガは少し俯くと、皮肉めいた笑みを浮かべました。


「どうすればいいんだろうな、僕は……わかんないや、剣にしか興味がなかったから……だめだ、ノノになんて言葉をかければ良いのかわかんない」


 ナスティノルニスの調律の魔剣に記憶を戻してもらおうとした日から、すでに数週間。目覚めたノノは、一言も言葉を話すこともなく、ただ決まった時間に料理を作って部屋に戻る、自動で動く道具のようになっていました。


「でも……大事なんでしょ……? 剣の研ぎより意識がいくくらいには……」

「……ああ、そうだ」

「じゃあ……モルガは、ノノときちんと話し合わないと……でしょ?」

「……だね」


 こくん、と小さくモルガは頷きます。


「……次のご飯の時で良いよな?」

「……話す内容も考えて……夜ご飯の時にしたら……」


 ウルムケイトの声の魔剣を鞘に収めて、モルガは一度息を吐きます。

 そうしてとりあえず部屋から出ようとして、戸に手をつけるとほぼ同時。玄関の方からノックの音が転がってきました。


「はーい、今行きます!」


 音に聞こえるように大きな声で叫びながら、モルガは駆け足で玄関の方へと近寄ります。待つよーと同じくらいの音量で返ってきて、やや遅れてモルガがドアを開けました。


「君が魔剣の研ぎ師ですか?」

「はい、僕の名前はモルガ。道の悪い山の奥までご苦労様です。ここに来たということは魔剣の研ぎの依頼と考えてもよろしいでしょうか」


 玄関の前に立っていたのは、短めの黒い髪の、縦に一本特徴的な黒い線の入った服を着た男。少しわざとらしい笑顔を浮かべながら、男は懐から一本の剣を取り出しました。

 平べったく長い刀身。その刀身には細長い竜が刻まれていて、芸術品のようなある種の威圧感を放っています。


「ヌガヒの竜墜の魔剣と言いまして。ああ、すいません……本当は特異性についても永遠話していたいのですが、本日は時間がなく……」


 演技のように頭に手を当てて露骨に悔しがりながら、男は大きくため息をつきます。モルガは少し曖昧な笑みを浮かべて、モルガは男の差し出した剣を受け取ります。


「ええ、かまいませんよ。永遠語り尽くせる自信があると言うことは、お好きなんですか?魔剣」

「ええ、好きです魔剣! あの美しさ、素晴らしさ! 筆舌に尽くしがたいと言うものだ……」


 少し恍惚とした表情を浮かべて語る男を前に、モルガも少し笑顔を浮かべます。

「では、研ぎを始めましょうか」というモルガの声で、二人は家の中へと入っていきました。



 ――――――――――――――――――――――――――――――



 研ぎを終えて、モルガと男は石造りの作業室から出てきました。見送りのためにモルガと男が同時に歩いていると、男が一つの部屋の前で止まります。


「……どうかしましたか?」


 不審がったモルガが聞いて、


「いえ……この部屋に人はいるかな?」


 男が答えます、モルガはその問いに少し驚いた後、


「弟子が一人この部屋にいます、何か聞こえましたか?」

「いいえ……なるほど、そういうことでしたか」


 何か納得したように、男が大きく頷きました。モルガはその動きに少し疑問を持ちながらも、気にせず男を玄関まで送り届けます。


「わざわざご親切にどうも。そうだ、最後になりますが、名乗らせていただいても?」

「……? 構いませんが……」


 家から二歩外に出た男が、振り返ってモルガに言います。家の方に向き直っていたモルガが困惑しながら返事をすると、男は自分の胸の前に手を持ってきて言いました。


「私の名前はドライト。機会があればまたお目にかかりましょう」



 ――――――――――――――――――――――――――――――



 山から下りた男を、鎧に身を包んだ男たちが待ち構えていました。鎧の男たちは片膝をついて挨拶します。


「ああもう、堅苦しい挨拶は苦手だよ。」


 先ほどドライトと名乗った男は、鎧の男たちに立つように言います。片膝から立ちあがった男たちは、あくまで目上の者と話すときの言葉遣いで言いました。


「ドライト様、彼らはやはり……」

「うん、間違いない。この私の鼻がそう教えてくれたよ」

「では、実行と言うことで!」


 男たちの言葉に、ドライトは「ああ」と答えた後、獰猛そうな笑みで言いました。


「後はそちらに任せるよ、準備は十数日くらいかな? ……あのを捕獲する、面白くなってきたね」

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