ホロシアスの羽音の魔剣

 誰にもこれを見られてはいけない。

 誰かがこれを見なくてはいけない。


 だから、この山に住むことに決めた。選んだ場所が国からそう遠くなかったのも、家を作るくらいさせてくれというみんなのお願いを受け入れたことも、自分の中途半端なところを自覚させられて嫌になる。

 あるいは、そういった中途半端なところがアレを作ってしまった理由なのかもしれない。


 思考は巡り、漂い、こびりつき、ズキズキと大事な何かを締め付ける。

 なにかに足を引っ掛けて転んだ、ぬかるんだ土が手について少し気分が落ち込んだ。家の周り以外はまだ整備されていない、川までの道程くらいはきちんと整えておくべきかもしれないと思いながら、足を引っ掛けてしまったなにかを掴む。


 カシャン、と音が鳴った。この感触を、この重さを、何年も前からずっと触れてきた。理性がそれが剣であることを理解して、感覚がそれが魔剣であると判断したのと同時、


「……やあ、ボクはウルムケイト……ウルムケイトの、声の魔剣……キミは、ボクを使ってくれるかい……?」


 その声を聞かなかったら、今自分は何をしていただろうか。

 その声を聞いたから、魔剣の研師をすることに決めた。


 それがどんなに愚かで。それがどんなに許されなくて。それがどんなにやるべき事じゃないと知っていても。


 ――どうしようもないくらい、魔剣が好きで仕方なかったから。




 ――――――――――――――――――――――――――――――



 緑の色濃い山の奥、頂上に近い場所に一軒の家が建っています。

 夜も明け、眩しいくらいの朝日が差し込む部屋の中に、一組の男女がいました。


「ししょー! もう朝だよー!」


 そう叫びながら目の前の布団をぺちぺちと叩いているのは、十代前半頃の見た目の少女。腰のあたりまで伸びた白い髪を揺らしながら、赤い目を不満そうに細めて目の前にあるワームのような形の布団を見つめます。


「ノノ……もう少し寝かせてくれ……」


 その中から細々とした声が聞こえました。少女のことをノノと呼んだその声に対し、


「……でもししょー、眠たいわけじゃないよね?」

「……まあ、そうだけど。たまには勘にしたがって見るのも悪くないかなってな……」

 ‪‬「今日は勘より起きることが優先ですっ!」


 ノノが布団を揺すります、中からうーと呻き声が返ってきました。

 ノノが布団を揺すります、中からあーと呻き声が返ってきました。


 ノノはわざとらしくため息をつくと、


「……じゃあししょー、ししょーは私の作った朝ご飯、食べないってことでいいんだね?」

「……分かったよ、起きるからご飯は作ってくれ」


 そう言ってもぞもぞと動き出した布団を見て、ノノは一言、うんっと返事して立ち上がります。歩きだそうとしたノノに対して、布団から顔を出した茶色がかった髪の青年――モルガは声をかけました。


「なんだか今日はやけに上機嫌だな……」

「えへへっ、だって今日は」


 ノノが笑顔で振り返り、


「打たせてくれるんだよねっ、剣!」



 ――――――――――――――――――――――――――――――



 良い剣を、ひいては良い物を作ることに置いて、良質な素材と言うものは欠かすことのできないものです。

 腕の良い職人のすることはあくまでその素材の持つ力を最大限に引き出すことであり、どういう方向に、どこまでの力を持っているのかは素材によって多種多様に分かれています。湿気った炭のままでは炎が付かないように、あるいは木で作った剣で岩を切ることができないように、与えられた素材の限界以上のことを行うことは不可能です――モルガのような例外を除いて。


「剣の素材になる金属は、自然にある鉱石からいろんな手間をかけて作られた物だ。特に良質な物はな」


 まじまじと台の上に置かれた金属を見続けるノノに対し、火炉の点検を行いながらモルガは語りかけます。

 家を建ててもらう時に勝手に作られた設備達は、絶対に自分で使うことはないと分かっていても捨てることができず、綺麗なままいつでも使えるように残っていました。


「……これを作るのは僕達だけじゃ不可能だし、これを買えるのも運ぶ誰かがいるからだ……今は僕がいるから関係ないけれど、一人じゃないって思いながら剣を作るのも、もしかしたら重要だったのかもね」


 ぽつりと零れた誰にも向けてないような言葉に、ノノは小さく頷きました。やがて全ての点検が終わったようで、モルガはノノの方に向き直すと少し芝居がかったように姿勢を正して、


「さてノノ、剣の作り方はきちんと本で覚えてきた?」

「大丈夫だよししょー! 迷ったところがあったら聞いてもいいよね?」

「もちろん、そのために僕がついているようなものだからな。緊張も大丈夫か、それじゃあ早速――」


 そう言って動き始めようとしたのとほぼ同時、コンコンと遠くからドアを叩く音が転がってきました。


「……火をつける前でよかった、次からはちゃんと入口に作業中ってつけておこうか」


 若干気まずそうな顔をしながら、モルガはゆっくりと玄関の方へ向かいます。

 ドアの向こうにいるであろう客に一声、少々お待ちくださいと投げかけてから、モルガは自室に置いてあった剣を腰に下げてドアに手をかけました。


「いらっしゃいま――」


 ドアの前に立っていたのは、短い黒髪の、縦に一本線の入った服を着ている男でした。

 それが誰なのか、人を覚えるのが苦手なモルガでもすぐに思い出しました。しばらく前にヌガヒの竜墜の魔剣を持ってきた客。そして、以前ルーが出会ったと言っていた、ドライトという名の男。


 争いごとが得意ではなくても、モルガには身を守る手段があります。相手が言葉を発する前にモルガの手は腰の剣を掴んでいました。ウルムケイトの声の魔剣、ほんの少しだけ引き抜き、鞘にしまう短い動作だけは研ぎをするように素早く滑らかに行うことが出来、


「と」


 そんな小さな声と共に、引き抜こうとした剣はガッチリと押さえつけられていました。首元に添えられた剣を、モルガは一瞬認識すら出来ませんでした。


「やだなぁまったく、私は君と戦いに来たわけじゃないんですよ」


 ぱっ、と離れるとおどけるように手を振ったドライトを睨みつけながら、モルガは構えをとかずに一歩後ろに下がります。少し遅れて着いたノノは、庇うようにしてモルガの前に出ました。


「……魔剣猟隊。狙いは僕か、それともノノか?」

「確かに、ノノゼアンシスの友愛の魔剣に興味が無いわけではありませんが……研ぎ師の所に来る理由なんて決まってるじゃぁないですか」


 そう言って、彼は手に持っていた剣を横に振りました。薄く長く、刃の部分がギザギザになっている長剣。びゅんっ、と空気を切り裂く音とともに、甲高いビィィと言って様な音が響いて、思わずノノは両手で耳をふさぎます。


「ホロシアスの羽音の魔剣、振ったときに相手にとって不快な音を響かせる魔剣さ。単純だけど、面白いでしょう? 特に不快な音というところがいい……相手を直接には傷つけず、しかし近づくものを追い払う力……実に魔剣らしい」


 ノノは恍惚とした表情で語るドライトを緊張した目で見つめながら、気遣うように後ろのモルガを見ました。モルガは既に剣から手を放し、数秒悩むような素振りを見せた後、家の方へと振り返ります。


「ししょー……?」

「……魔剣を研いでもらいに来たのならお客さんだ、部屋に入らない研ぎができないだろ?」


 言いながら部屋の中に入って行ったモルガについて行くように、ノノとドライトは家の中へと入っていきます。全員が石造りの部屋に入ったことを確認すると、モルガは部屋のドアを閉め、


「それでは少々お待ちください――ただし、部屋の外へは出ないように。あなたの剣は僕が研いでいるので」

「なるほど、人質としては正しい選択ですね。しかし身を守るならむしろ外にいてもらった方が都合がいいのでは? それとも、何か見られたくないものでも?」


 モルガは答えません、代わりにドライトの方を一度睨みます。


「おっと失礼、喧嘩を売るつもりではないのですが。代わりと言ってはなんですが一ついい情報を……私達魔剣猟隊は、もうあなた方を狙うつもりはありません」


 モルガの手が一瞬止まり、俯いていたノノがばっと顔をあげました。


「いやぁ、あなた方の確保を担当していた隊のリーダーが死亡、その部下のほとんどが退隊を志願したとなっては。想像の中で膨れ上がった恐怖が隊の中を伝播していきましたし、国の人が誰も魔剣の詳細を喋らないような不確かで危険なものに、これ以上リソースは割けないとのことで」


 視線を向けられて、ノノは少し怯えたふうに顔をそらします。

 一度小さく息を吐いて、ドライトは言葉を続けました。


「私も魔剣を愛するものとして、仕事以外であなた方を傷つけるつもりはありません、ですからどうかご安心を――そして一つお願いが」


 モルガはドライトの方を見ずに作業を続けます。


「作った魔剣を見せていただきたい、もちろん持ち帰ったりなどはしませんので」


 モルガは答えません。


「魔剣に魅入られて、様々な魔剣を探してきたおかげか、いつからか私は魔剣の匂いを嗅ぎ分けることができるようになりまして。ノノさんを見つけたのもこれが理由なのですが、そんな私の鼻が伝えてくるんですよ。少し離れた小屋に――」


 言葉を遮るようにして、ドライトの首元に剣が突きつけられました。たった今研いでいたホロシアスの羽音の魔剣、


「……研ぎが終わりました。研ぎの最中に出る音よりも大きな音を出してくれというのが条件だったので、手間が省けて助かりました」


 その剣を持たせると、モルガは部屋の扉を開き、


「代金は忘れずに、帰り道では足元に……それと、後ろにもお気をつけて」

「……わかりましたよ、いい仕事をありがとうございます。別の魔剣を研いでもらいに来るかもしれないので、その時はまた」



 ――――――――――――――――――――――――――――――



「ししょー……」


 静かになった家の中で、ため息をついたモルガに向かってノノは心配そうに声を投げかけます。


「……ごめん、ノノ。剣作り、明日でもいいか?」

「……大丈夫、心配しないでししょー。私はししょーのペースに合わせるから、ししょーも自分のペースで、ね?」


 そう言ったノノを撫でると、ほんの少しだけ笑顔を浮かべてモルガは自室の方へと歩いていきました。

 ノノはそれを、静かに見守っていました。

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