ナスティノルニスの調律の魔剣

 私の名前はノノ、ししょーの弟子です。

 昔の記憶は、今はありません。気が付いたら今住んでいる山の中に倒れていて、そこをししょーに拾われました。ししょーに後から聞いた話では、私はそのときひどく弱っていて、名前を聞かれたときにかすれた声でノノと言っていたみたいです。自分の名前なんて、全く覚えていないのに。


 私の一日は、いつもししょーを起こすところから始まります。


「ししょー! おーきーてー!」


 今日のししょーはなかなか起きてくれません。普段から、朝は遅いだけであんまり弱いわけじゃないんだけどなぁ。

 でもそういう日も、別に悪いわけじゃありません。何しろ寝顔、そう、ししょーの寝顔が見られるんですっ! ししょーは仕事柄なのか、人の気配――特に視線に敏感です。だからこうして、じーっとししょーの寝顔が見られる日は珍しいのです。ううん、難しそうな顔。


「ししょー、しーしょー!」


 寝顔を十分満喫したら、そろそろ起こしにかかります。しばらくゆさゆさ揺すっていたら、ししょーは小さくううんと唸った後に、重たそうに目を開きました。私の起こす力の勝ちっ!

 体を起こしたししょーは、一度小さくのびをします。私はぴょんっと後ろに下がってそれが終わるまで待機。そのまま深く息を吐き終わったら、やっとししょーに話しかけられます。なんでもこれをしないと、一日のやる気が起きないのだとか。


「おはようししょーっ! 朝ご飯の用意してくるねっ!」


 ししょーが小さく手を振り返すのを見てから、私は料理部屋へと駆け込みます。今日の朝ご飯はどうしよう? 重たいものもだめですが、やっぱり朝の方がたくさん力を使うので、道具を用意しながら作るものを考えます。料理は女性の戦いだって、料理の作り方を教えてくれた方も言ってました。

 悩んだ結果、私は昨日釣って水槽に入れておいたお魚さんを料理用の板の上にのせます。ごめんなさいお魚さん、あなたの命をいただきます。


 料理をしているときの、この自分の意思と離れて手が動くような感覚には未だになれません。料理用の刃物――私が研いだもの――の使い方を教わったことは一度もないのに、手際よく作業が進んでいきます。

 ししょーは、記憶を失う前に食事処の娘として料理をしていたんじゃないかと推測を立てました。だとしたらありがとう昔の私、あなたのおかげで今の私はししょーにおいしい料理を作れてます。



 ――――――――――――――――――――――――――――――



 朝ご飯を食べ終えて、ちょっと食後の一休み。

 そしたら研ぎの時間です。木製の家の中に唯一ある、石造りの作業室へ。広い作業室は、真ん中を境に区切られていて、奥側には見たことも入ったこともないです。

 ししょーが研ぎの道具の整備をしているのを、私はじっと眺めます。近い将来一人で研ぎができるように教えるとししょーは意気込んでいましたから、私も負けてはいられませんっ! じーっとその様子を眺めて、眺めて、ししょーが作業台の横に一本の剣を置きました。


「じゃあノノ、始めようか」


 この研ぎの時間が、私はたまらなく好きです。

 ただただ無心に一本の剣に向き合う、という感覚はまだ私にはわからないけれど。綺麗な剣を見れて、その綺麗さをさらに引き上げることができて――、そして何より、ししょーに教えてもらうことができる。それがうれしくないはずがありません! もっといえば、ししょーに剣の作り方を教えてもらいたい、という希望のような、夢のようなものはありますがそれはそれ。

 椅子に座り、剣を持つ前に、一度ゆっくりと深呼吸。大きく息を吸って、それを吐く――、その途中に、玄関の方からコンコンというノックの音が転がってきました。


「ノノ、ちょっと待ってて」


 そう前置きして、ししょーは玄関の方へ行きます。たぶんお客さん、今日の研ぎの練習はお預けになりそうです。残念な気持ち半分、ししょーの研ぎが見れるかもって期待半分!

 ししょーの後ろに少し早足でついて行って、一緒にお客さんを出迎えます。ガチャリのドアが開いて、その先にいたのは一人の女性でした。


「ああ、良かった人がいて……誰もいなかったら、山を登った苦労が無に帰るところだったわ……」


 開口一番、その女性はそんな一言。口調的には、襲いに来たようではないなーって思いました、優しそうというよりは、そういう争いごとを面倒に思ってそうだなって印象。


「どうも、僕の名前はモルガ。こちらは弟子のノノです」


 ししょーが自己紹介して、自分の胸あたりに置いた手を動かして私の方へと向けました。第一印象、大事なのは元気です。


「ノノですっ! ししょーのお弟子さんをしていますっ」

「あら、偉いのね……元気もとってもあって、良いと思うわっ」


 褒められました! 少し嬉しくもあり、少し恥ずかしくもあり。

 思わずぴょんぴょんと跳ねてしまいました、目の前の女性が楽しそうに微笑みかけてくれています。


「こんな山奥まで、お疲れ様です。ここに来たということは研ぎの依頼でよろしいでしょうか?」


 こほん、と一度咳払いをしてししょーは女性に話しかけます、ここから先はししょーのお仕事。将来的には、私もししょーみたいに魔剣の研ぎ師をすることになるのかな? なんてちょこっとぼんやり考えていたら、女性の方が一本の剣を取り出しました。

 それは一見すると槍のようにも見える……多分、実際に槍として使える、刃の付いた棒状の武器でした。


「ナスティノルニスの調律の魔剣と言います。特異性は……多分、斬ったものを整えること……だとおもう」

「……多分?」


 ふと浮かんだ疑問が、思わず口から出てしまいました。あわてて口を押えながら、その女性の方を見ます。なにやら悩んでいる様子? 失言しちゃったかなって少し落ち込んでいたら、女性の顔が近づいていてびっくりしました。


「そう、多分。よくわからないのよねぇ……ただ、中途半端に切れ目を入れたものは、その切れ目に合わせるようにすぱーんって真っ二つになっちゃうし。逆にすでに少し切れているものを切ったら、何もなかったかのようにつなぎ合わせちゃうのよ」


 わかったような、わからないような。多分今の私、すごい悩んでいる顔しています。助けてししょー! って気持ちでししょーの方を見たら、ししょーも悩んだ顔をしながら、わたしとは反対側の腰につけている剣を触っています。

 ウルムケイトの声の魔剣! 魔剣と直接おしゃべりができる魔剣でもあり、触れていると会話できる魔剣でもあります。私も触れとけばよかったけど、多分もう遅いみたい?


「……なるほど、特異性はそれであっています。……そこで、一つお願いがあるのですが……」

「あら、なにかしら? 直してほしい物でも?」


 その言葉に、多分私が一番驚いてます。いつもなら、ここでもう研ぎの話になってるのに。


「弟子のノノが、記憶喪失なんです。……貴方の魔剣で、昔の記憶を呼び起こすことはできるでしょうか」


 次の言葉は、さらに私を驚かせるものでした。

 いや、でも、できるのかなっ? 整える、私の記憶のない部分を、ある部分に整える……?


「大丈夫だけれど、そちらのノノさんはやってもいいのかしら?」


 大丈夫なようです。そしてその言葉に、私は大きく迷います。失った記憶がどんなものなのか、思い出さないほうがいい可能性もあります、なにしろ私、見つかったときは痛みでうずくまっていたらしいです。


「……はいっ、お願いします!」


 結局のところ、好奇心に負けました。

 女性の剣が、ゆったりとした速度で振り下ろされ、器用に指先だけをかすめて――、



「あっ……?」


 ザッと、変な音がしました。その場から動けないのに、強引に引っ張られているような。


「ぃっ……に……?」


 あ れ? 痛い、痛い痛い痛い痛い。どんどん頭にもやがかかって、痛みが増していって。


「ぁ……ぁぁっ……!」


 そのもやが、少しだけだけ晴れて。

 いつもより、なぜだか少し目線が高くて。知らない。

 目の前に、少しうつろな目の男が。知らない。

 その握られた拳が、目の前に迫ってきて。――こんな記憶、私は。


「ぁぁぁぁぁぁっ!?」


 もやのかかってない景色の中で、ししょーが、なにかを、叫んだような。

 私の、名前は――

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