ツティアの牙の魔剣

 緑の色濃い森の奥、頂上に近い場所に一軒の家が建っています。

 その家の玄関から少し遠く、玄関付近の様子が一目でわかるくらいの距離で、一人の少女が一匹の竜と遊んでいました。


「クーっ、お留守番頑張ろうねっ!」


 その言葉にひゅるるっ、と高い鳴き声で返したのは、細長い棒のような体と爪の生えた四足をきめ細やかな毛で覆った、緑色の目を持つ竜。頭から生えている二本の触覚と、色鮮やかな赤や黄、黒などの色で模様づけられた四対八枚のガラス細工のような羽が特徴的なその竜は、一般的にポレンバタフライという種族の仲間です。

 そんな、人の体の数倍もの大きさを誇る竜の頭を笑顔で撫でるのは、十代前半頃の背の低い少女。特徴的な赤い目で竜と向き合い、腰まで伸びた白い髪を揺らしながら、クーと呼んだ竜の頭に手を届かせるために背伸びをしています。


「ししょーは夜までには帰ってくるっていってたから、後で木の実も集めよっか!」


 少女の腰には、青い柄と細身の刀身の剣――インディキュリアの降雨の魔剣が下げられています。普段は家の中にしまってある剣ですが、今日は特別。

「クーも育ったことだし、クーと一緒ならノノもお留守番できるか?」

 と言ってどこかに出かけに行った師匠が帰ってくるまでの間、ノノと呼ばれた少女はインディキュリアの降雨の魔剣を護身用に持ちながら師匠の帰りを待つことになりました。


 そうしてノノがクーと遊んで、一緒にご飯を食べて、クーの背中でうとうとし始めた頃――、それは、唐突に現れました。



「ん……ぅ……どうしたのー? クー……」


 突然のクーの鳴き声に、背中に乗っていたノノは眠たそうに目を擦りながら応じます。空を見上げながら、今までより高めの声でひゅるっ、ひゅるるっと鳴くクーに釣られて、ノノも空の方を向きます。木によって視線が遮られていることを、ノノが背中を撫でながらクーに伝えると、クーはその場で羽を広げて背中に乗せたノノと一緒に空の世界へ。

 ところどころに雲が浮かんでいる、晴れやかな青空の向こう。何一つ遮るもののないその空の景色の中に、ノノは一つの影を見ました。まだ遠かったその影は、咆哮と共に近づいてきて――、


「わっ! わわっ!?」


 その風圧にひるみながら、ノノはギュッとクーの背中に抱き着きます。その風が少しおさまって、白い髪を風になびかせながらノノは飛んできた影の方を見上げます。


「わぁ……」


 竜が、飛んでいました。クーの体より一回り大きい、緋色の鱗に身を包んだ竜。

 ノノがその姿にしばらく見惚れていると、その周囲を金色の鱗粉が包みました。発生源はクーの羽、それはクーの攻撃手段であり威嚇の手段。それを見たノノも、少し警戒の目で竜を見ます。

 太く発達した後ろ脚と、それよりは細い前足でノノよりも上に浮かんでいる竜は、首を動かしてクーとノノを見下ろすと、冷静な声で言いました。


「我らに敵意はない。その粉を収めよ、まだ幼き同族よ」


 静かで、そして威厳のある声。その一声で、クーは鱗粉を撒くことをやめました。

 同時に冷静になったノノはある違和感に気がつきます。クーと違って目の前の竜が喋っていることは、自分の師匠から長く生きた竜は様々な種族の言葉を覚えることができると教えてもらいました。ではどこに感じた違和感か、


「我ら……?」


 ノノがそうつぶやいたと同時、突然クーが飛ぶのをやめて、ゆっくりと地面に着地しました。合わせるように降りてくる緋色の鱗を持つ竜の背中から、今度は人ほどの大きさの影が飛び降りたのが見えました。先ほどよりも遠くない距離、ノノは目をこらしてその影の正体を見ます。

 それは人型の、しかし明確に人ではないとわかるような、黄色い鱗で体を覆った首が少し長い生き物でした。竜人と呼ばれる種族でいいのかノノが悩んでいると、その黄色い鱗の竜は、一本の剣をノノとクーの目の前に置きました。

 クーからのひゅるるという催促で、ノノはぴょんっと地面に着地するとその剣を拾い上げます。


「ツティアの牙の魔剣……我はこれをそう名付けた」


 その頭上から、竜の声が聞こえます。見上げてみれば、良い名だろうと言いたげな竜の顔。


「良き名だろう?」


 言いました。


「うんっ! とってもかっこいい!」


 ノノの笑顔で言った返事に、竜は少し気をよくした様子。それを見て自分も何かいいことをしたような気分になったノノは、拾い上げた剣をちらりと見つめます。

 小さな剣でした。普通の短剣とは違う、普通の大きさの剣をそのままきゅっと小さくしたような形の、少し不思議な印象を持たせる剣。

 ノノがその剣について聞こうとして、それより先に竜が口を開きます。


「娘、山の長たる汝よ。我が剣、再び甦らせることができるか?」

「えっ? えっと……」


 その言葉を、ノノは頭の中で整理します。娘、これは自分のこと。山の長、これは今この場に自分しかいないから、多分そういう勘違い。剣を甦らせる、魔剣を持ってきたということは研ぎ直してほしいということで――、


「あっ」

「……どうした? 娘よ」

「えっと、今ししょーがお出かけ中で……私はまだ、魔剣を研げないんです」


 数秒の静寂が起きました。少しおろおろとするノノに向かって、竜がしゃべります。


「……つまりだ娘、貴様は山の長ではない、と?」

「うん……」

「……くくっ、誇るがいい娘よ、汝はこの我をして山の長だと思うに十分な風格を持っているということだ」


 いままでにない複雑そうな喜び方をしたノノを見ずに、竜は一度唸るような声を出しました。クーが心配そうにひゅぅと一鳴きして、竜は再びノノの方に顔を向けます。


「しかし、魔剣の修復を頼めないのは残念だ……」

「えっと、夜頃には帰ってくるって言っていたので、明日になっちゃうかなって思うっ! ……ますっ」

「ならば、今日のところは帰るとする。明日またここに訪れよう」


 わかりましたっ! というノノの返事で、竜はゆっくりと翼を動かします。その動作を見たノノは、飛ぶ前に一つ質問を投げました。


「ねえっ! ツティアの牙の魔剣はどんな魔剣なのー?」

「ほう、知りたいか……ならばよい、我の背中に一時乗ることを許そう!」


 その言葉に驚いたのは、背中に乗っていた黄色い鱗の竜。


「よろしいので?」

「ああ、奴はなぜだろうか、人にしては好感を持てる」


 クーの背中から飛び移るようにしてノノが背中に飛び乗ったのを見て、竜は翼を動かします。竜の足元に置いていた剣は、一瞬見ない瞬間にその足で握れるほどの大きさに。

 その変化に驚く間もなく、竜は速度を上げて空に飛びます。


「そうだなっ、あれだ、あの石がいい!」


 飛ばされないようにしがみつくノノに、目の前から声がかけられました。ゆっくりと目を開くと、そこはもう山から離れた平原。そこにある石の一つを見ながら、竜は高らかに叫びました。


「これがっ! ツティアの牙の魔剣の力たる剣の大きさの変更と、我が肉体による必殺の技である! 汝、しかと見届けよ!」


 そして次の瞬間、視界は一気に急降下。飴細工のように左右の視界が溶け行く中で、ノノはその一撃を見ました。



 そうして、ノノは思いました。今日、竜が来たことは明日再び訪れるまでししょーに秘密にしておこう、と。

 こんなにすごい物を見たんだよって言って、ししょーのうらやましがる顔を見たみたい、と。

 そしてそんな思いは――、


 早めに帰ってきた師匠の、「山の方に大きな竜と爆発を見たっていろんな人から聞いたんだけど!」という焦った様子の言葉の前に、脆くも砕け散りました。

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