オル・シャツカの苦痛の魔剣

 厚く、黒い雲から音を立てて雨が降っています。

 葉っぱの生い茂る木に覆われた山の奥、頂上近くの特別木がなく開けた場所に立っている一軒の家は、その雨に打たれてタン、タンと歌うように音を響かせています。

 その家の中、雨音を聞きながら一組の男女が仲好さそうに体をくっつけて隣同士に座っていました。

 女性の方は十代前半、白い髪を腰のところまで伸ばしている少女です。不規則に聞こえる雨の音が心地よいのか、赤色の目を閉じ、片手の指でトントンと床を叩いてリズムをとっています。その少女が体重を預けている男性は、茶色がかった髪の、少女より少し背の高い青年。少女の指の動きに合わせるようにして足で床を踏みながら、そこに重ねるようにして口ずさんでいます。

 青年の手には、深い青色の柄と刺突に特化した刃のない刀身を持つ剣がありました。それは一見、一般的にレイピアと呼ばれる何の変哲もない剣でしたが、この場にいる二人はそれが異常性を持つ剣、魔剣であることを知っています。その名を


「ノノ、鞘とってくれ」


 青年の声を聞いて、ノノと呼ばれた少女は床を叩いていない方の手を動かします。その手が数回何もない場所を通り、ようやくノノは目を眠たそうに開いて床に置いてある鞘を掴みます。


「はぁい、ししょー……んぅ」


 ノノから鞘を受け取った青年は、自分にかかっている重さが少し増したことに気が付きました。横を見れば、先ほどまではただ横に体重を預けていただけのノノが、今度は鞘を渡すために青年の方を向いた体勢のまま、前のめりに青年の体を支えにして眠ってしまっています。

 青年は一度やれやれといった様子で息を吐いた後、剣の刀身を拭く布を置いて、安心しきった表情で眠るノノの頭を撫でました。その後渡してもらった鞘にインディキュリアの降雨の魔剣をしまいます。

 以前に来た客がもっていたはずの降雨の魔剣がどうして青年の元にあるのか、青年はノノに話してはいません、ノノも青年に質問することはありませんでした。


「信頼……されてるね、モルガ……」


 きちんと手入れをした剣を持ったまま、ノノを起こすわけにもいかずに少し困っている青年の耳だけに、気だるげな声が届きます。ウルムケイトの魔剣、青年の腰に下げられている魔剣からの声。モルガと呼ばれた青年は、インディキュリアの降雨の魔剣を仕方なく床に置いて、ノノを起こさないような小さな声で返します。


「小動物になつかれてる人の気持ちがよくわかるよ」

「でも……嫌いじゃないでしょ……?」

「ああ、そうだね……まって、その言い方だと僕が幼い少女が好きみたいにならないかな……?」


 そんな他愛のない言い合いをノノが起きないくらいの音量でしながら、ゆっくりと時間は経っていきました。


 ――――――――――――――――――――――――――――――


 ドンドンと、強くドアを叩く音が静寂を破りました。

 モルガはまだ重たい目を擦りながら、ゆっくりと上体を起こして周囲を見渡しました。気が付けば雨は止んでいて、今はドアを誰かが叩く音しかしていません。どうやら気が付かないうちに眠っていたみたいだな、とモルガが考えて、目覚めた後のふわふわとした感覚に身を委ねようとし――、


「っ……! ちょっ、ノノ! 起きて!」


 だんだんと鮮明になってきた意識が、今聞こえているドアを叩く音がお客さんが来たという合図だということを理解します。

 急いで起き上がろうとして、体に眠気によるものとは違う妙にずっしりとした重みがあることに気が付きました。ノノです、何か幸せな夢を見ているようで、うつぶせにのしかかってにやけながらおなかに頬を擦り付けて眠っています。そんなノノの頭にモルガは容赦なくチョップをかましました。


「いてっ、ふあぁ……ししょー、どうしたの……」

「お客さん来てる! ちょっと隣にずれてくれ! あと、そこの床に置いてある魔剣、しまっておいてくれ!」


 チョップされたところを押えてまだ眠たそうに顔を上げるノノの頭を撫でた後、モルガはノノをくるんと転がして起き上がります。

 あわてて簡易的に服を整え、剣を腰に下げた後、走ってドアの前へ。今開けますと一言伝え、一瞬置いてからドアを開き――、


 その先には、だれもいませんでした。

 ウルムケイトの声の魔剣が、焦った口調で何かを叫んだような気がして、その声の意味を理解する前に、モルガは転がりながら外へと出ました。

 先ほどまでモルガが立っていた場所に大きな剣が振り下ろされ、開いたままだったドアに剣の先端がわずかに切れ込みを入れました。小さな、小さな傷。たったそれだけの傷しかつかなかったはずのそのドアは、その切り口からゆっくりと腐り崩れました。


「……一応、聞いておこう。持っているのは魔剣みたいだけれど、お客さんかい? それとも、猟隊の方だったりするのかな?」


 モルガは立ち上がると、腰の剣を鞘から少し引き抜きながら目の前を見ます。いたのはガタイのいい男。身に付けている服などが、厚めで皮膚の露出を最小限にした山登りにある程度適したものであることから、明確な敵意を持ってここまで登ってきたのだということがわかります。


「……? 猟隊が何のことかは知らねえがよぉ、客じゃあねえな……強盗か? ま、なんでもいいが」


 男は、振り下ろした剣を構え直してモルガの方に向き直りました。モルガはその動きを見ながら、少し引き抜いた剣の柄の先を男の頭に合わせます。

 それは、ウルムケイトの声の魔剣の本来の――、武器としての特性。鞘にしまう時に周囲に音を散らす能力に、使用者にも攻撃がいかないよう指向性を持たせたもの。当たれば即死とまではいかずとも、気絶か、最低でも平衡感覚を狂わせることはできます。


「目当てはわかるだろ? 魔剣だよ、こいつを手に入れたのは最近だが、こんなにいい武器は他にねえ! 他にも魔剣がないか探しているときにここのうわさを聞いてよぉ、なあ、砥いでる途中の魔剣とかあったりしねえか? もしかしてお前が持ってるその剣が魔剣だったりしねえのか?」


 喋りながら左右に揺れる男の頭を、剣の柄の先が追います。一発限りの技でこそないものの、それは魔剣のという共通した優位性。一発で確実に当てるための機会を待っていると、男の動きがぴたりと止まりました。

 ここだ、モルガは剣を素早く鞘にしまいます。キンとした音が響き――、同時、男は身をかがめました。

 モルガが外したと思った瞬間、男は短い間を一気に詰めて剣を突き出しました。とっさの判断で鞘にしまったままの剣で受けるも、その質量に押し負けたモルガの体は一度宙に浮いて後ろへと吹き飛ばされます。


「狙いがわかりやすすぎだ、お前人と戦ったことねぇな?」


 背中から地面に叩き付けられたモルガは、苦しそうにしながら男の方を見ます。吹き飛ばされたことで先ほどよりも距離が開き、幸運にも後ろは表道、後退しようとすれば出来る位置取り。しかし続けてモルガは気が付きます、先ほど向こうの剣を受け止めた鞘が、先ほどのドアと同じように朽ちて崩れていきます。


「……ウルムケイト、あれは何だかわかったか?」

「オル・シャツカの苦痛の魔剣……特異性は、傷を負わせるか傷のある部分に触れることでそこから腐らせていく……陰気な奴だ……」


 鞘がなくなった剣を構え直しながら、モルガはゆっくりと立ち上がります。男は油断なく構えながら、ゆっくりとモルガの方へ歩きます


「……モルガ、わかってると思うけど……勝てないよ、体格も向こうが上……剣術もこっちは素人で、相手は油断をしていない……ボクの攻撃用の特異性も失った……」

「じゃあ、どうする? 逃げるとは言わないよな」

「言うよ、逃げよう……山の道の知識は、モルガの方が詳しい……位置的にも、十分逃げ切れる……」


 モルガが言い合いをしている最中にも、男は確実に距離を詰めています。先ほどよりはまだ遠い、しかし数秒で詰められるような距離。


「知ってるだろ、あいつが見つけてしまう可能性がある以上、僕はを置いては逃げれない!」

「たとえ見つけたとしても……はキミ以外には扱えない……! それに、キミが死んでもおなじことだ……」

「くっ……! それに、あそこにはまだノノが――」

「ボクを上に掲げろ!」


 今まで聞いたことのないウルムケイトの声の魔剣の絶叫に、反射的にモルガは右手で高々と剣を掲げました。突然の行動に驚き、剣を見上げて動きを止めた男の向こう側、モルガは一瞬それを見ました。

 小さな影が、男に突っ込んでいきました。それは、白い髪の、手に青い柄の細身の剣を持った少女。


「ノノ!」


 その影が男と接する前に、男が振り向きざまに剣で一閃。それだけでその少女は横に弾き飛ばされました。ただ一つ、男の脇腹に傷をつけただけ。

 モルガは走りました。目の前の男を無視して、一直線にノノの元へ。男がそれを追おうとして、そして膝から崩れ落ちました。たった一つ、小さな傷だけで人を殺せるのは何も男の持っていた魔剣だけではなく、今日モルガが手入れをして、しまわずに床に置いておいた――、そして先ほど、ノノにしまうようにと頼んでいた剣もまた同じ。


「ノノ! よかった、怪我はしてない。傷も見えない、大丈夫だ!」

「気絶してるだけみたい……? 近くて刃の部分には当たらなかったみたいだね……まったく怪我をしてないのは、少しおかしい気もするけど……」

「いいよ、細かいことは。ノノが無事でよかった……とりあえず、帰ろう。剣も持っていかないと。」


 再び降り始めた雨の中、気絶したノノをおんぶして、モルガは再び歩き始めました。


 ――――――――――――――――――――――――――――――


「……あれ? ししょー……?」

「起きたかノノ、今おんぶしてるから、あんまり暴れないように。大丈夫か? どこか痛いところはないか?」

「ううん……ししょーは……?」

「僕は大丈夫……ノノのおかげだ、ありがとう」

「えへへ……どういたしまして。よかった、ししょーを守れて……」

「でもノノ、お願いだから……もう、あんな危険なことはやめてくれ。傷つくのは、僕だけでいい」

「……ねぇ、ししょー……ししょーは今日みたいに死にそうな目にあったこと……以前もあった?」

「ああ、まだ両手で足りるくらいだけど……本当に、運がよく無かったら死んでたみたいなことは、前もあった」

「研ぎ師を、辞めようって思ったことは……?」

「それは、一度もない」

「……それは、どうして?」

「いろんな魔剣に会える喜びの方が強いから……でも、もしかしたら――、これを、僕が過去への償いだと思っているからかもしれない」

「……いつか、話してくれる? ししょーの過去のこと……」

「……ああ、きっと、いつか……寝ちゃったか? ――ごめんね、ノノ。おやすみなさい」

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