フレムリアの色彩の魔剣
こんなはずじゃなかった。
こんなことのためにこの剣を作ったわけじゃなかった。
何人あの場所にいた? 鍛冶屋のみんな、師匠……セフィナ。みんな、みんな呼んだのは自分だ、ただ「完成するところを見て欲しかった」なんて理由で多くの人を巻き込んだ。
目に見えるような怪我をしたわけじゃない、そして誰もこのことについて話はしないだろう。だから裁かれることすらできない、誰も「お前は悪だ」と言ってくれない。
叫んだし、吐いた。血が出るほどに自分を恨んだ。剣を守る神様がいるのなら、きっと許してくれないだろう。だって、自分で望んで作ったあの剣に――
――名前をつけることさえ、怖くて出来なかったのだから。
――――――――――――――――――――――――――――――
緑の色濃い山の奥、頂上に近い場所に一軒の家が立っています。
その家の一室、あまり使われている様子のない、剣についての書物などがある物置のような部屋の中に一組の男女がいました。
一人は腰の長さまで伸びた白髪の、少しぶかぶかのセーターを着た十代前半頃の少女です。厚めの本を手に、しかし本の内容よりも目の前の方が気になるようで、赤い目をチラチラと動かしながら椅子に座っています。
その少女の目の前にいるのは、
「いいねいいねー、もう少しそのままでねー」
大きな紙を板に重ね、ちらちらと少女の方を見ながらものすごい勢いで手を動かしている男。若干暗く感じる緑色の髪の毛、年相応に思える濃いめの髭に、少年のような笑顔を浮かべています。正面に座っている少女からは、その絵描きの男がどういう風に自分を――ノノを描いているのかはわかりません。
「えっと……その……」
流石に気まずかったようで、ノノが口を開きました。
絵描きの男がこの家に訪れたのは、今から数十分前のこと。絵を描いて、それを売ることを仕事にしていますといったその男は、しかしながらただ絵を描きに来たというわけではなく、お客さんとして魔剣の研ぎの依頼に来ました。ノノの師匠――モルガに魔剣を見せ、「研いでいるところを絵に描かせてほしい」というお願いをやんわりと断られたため、その待ち時間に今こうしてノノの絵を描いています。
「はいよっ、何か用かな?」
手は動かしたまま、軽い口調で男が言葉を返します。
普通の剣を研いでいるときのししょーはものすごく集中していたし、物作りをする人はみんなそうなのかと思っていたけれど絵を描く人は違うのかな? と思ってから、でもいきなりししょーに顔近づけてはしゃぎながら絵を描かせてってお願いしてたから、この人が変わっているだけかも。とノノは考え直しました。
「……あなたは、どうして絵を描く仕事をやりたいなって思ったの?」
あくまで間を持たせたくて口から漏れた言葉だったので、ノノは少し言葉に詰まった後、なにか閃いたような顔を浮かべて言いました。
「ふむ、ノノさんは何でだと思う?」
意味ありげにふっふっふと笑いながら、絵描きの男は一度手を止めてノノの方を見つめます。
ノノは読んでいた本を一度閉じると、少し目線を下げて考え始めます。ノノゼアンシスの友愛の魔剣として過ごした長い時間のことは、「経験」としてはノノの中に残っても「記憶」としてはノノの中に残っていません。故に、ノノが知っている「仕事として何かを作る」人は、師匠のモルガだけ。
このノノの質問も、ししょー以外の人はどんなことを思って物作りをしているんだろうという疑問から、
「ええっと……世界で一番綺麗な絵を書きたいから……とか?」
故に、ノノの答えはモルガがどういう理由で剣を作っていたかというものになります。
絵描きの男はその言葉を聞いて深く頷くと、笑顔をノノに向けて、
「……目標が単純っていうことは、決して幼稚であるってことじゃない。その目標は抱き始めることも大変だし――抱き続けることも大変なものだよね、そして、誰もがどこかに持ってるものだ」
再び手を動かし始めた絵描きの男を見て、ノノはさっきまでと同じ姿勢に戻ろうとします。その動きを、絵描きの男が手で軽く制しました。
「俺はね、絵を描くっていうことは何というか……自分の世界を相手にぶつけるっていうことだと思うんだ」
先ほどまでとはノノの体勢が違うことを気にも止めず、絵描きの男はなめらかに腕を動かしながら話を続けます。
「口べたで上手く伝えられるかはわかんないんだけどさ、自分の中で最高の絵って、きっと俺の頭の中にしか存在しない……きっと形が明確に定まってないものなんだと思うんだ。それに明確な形を与えるってことは、どうしようもなく頭の中にある最高の絵からは遠ざけてしまう行為で――」
手を動かす男の顔は、もうノノの方を向くことすらなく絵の描かれている紙に向けられています。ノノもそれを気にすることなく、じっと絵描きの男の言葉を聞いています。
「そして、それそのものがとても素晴らしい行為だと思うんだ。自分の中の伝えたいこと、自分の見る世界、自分が見た素晴らしい景色、そういうものを少しでも他の人に伝えるために、限界まで自分の伝えたいものに近づけて、みんなに伝わるような一つの形にする。俺はそんな絵が大好きで……うん、かなりとおまわりになっちゃったけど、俺が絵を描く仕事をやりたいって思った理由は、より多くの人に自分の世界を見せたかったから、かな」
すっ、と手を止めて膝の上に置くと、絵描きの男は人なつっこそうな笑みを浮かべて、
「ごめん、人に言葉を伝えるのは慣れてなくて……長くなっちゃったね」
「ううん、とってもすてきなお話だったよ!」
「そう……? ならよかった、色塗りはまだだけど絵は描き終わったよ、協力ありがとねっ」
集中を解くように一度息を吐いて、男はノノに頭を下げます。
「えっ、もうっ!? それに、私途中から動いちゃってたけどよかったの……?」
驚いた様子のノノに、
「うんうん、俺から見た相手を描いているから、一度自分の中でイメージが纏まれば後は見なくても描けるのだ! ……似顔絵だと思った相手には苦言を言われるけど。見てみる?」
うんっ、と元気よく返事したノノに対して、男は自分の方に向けていた紙をひっくり返しました。
「……これが、あなたから見た私……」
「どう? 気に入らなかったら申し訳ない」
「ううん……とっても素敵っ!」
前傾になってじーっと描かれた絵を見つめていたノノは、パッと顔を明るくさせると男のほうに顔を向けて言いました。男もつられて笑いながら、
「そうかっ! いやー、よかったよかった! 色塗りは魔剣が研ぎ終わるのを待たないとだから、ノノさんのお師匠さん待ちかなー」
「色塗りと魔剣が関係してるの?」
「うん、それじゃあ待ち時間はこっちの話もしようかな」
描き終わった絵を丁寧にバックパックの中にしまいながら、男は意識を切り替えるように一つ呼吸を置きます。
「俺の持っている魔剣はフレムリアの色彩の魔剣っていって……名付けたのは俺なんだけどさ、かなり昔に山に絵をかきに行ったとき、変色した地面の中に埋まってたのを……危ない、話がそれるところだった」
どう話せばいいものかと頭を掻いた男に対し、ノノは助け舟を出すように、
「どんな特異性を持ってるの?」
「そう、色彩の魔剣って名付けた理由でもあるんだけど、こう……柄の一部がパカって開いて、中に小さめの瓶が埋まってるんだ」
「……瓶?」
「そう、それでな? その瓶を取り出して、好きな色をひとつ思い浮かべながら柄に入れ直す、するとこう……小さめの鞘付きナイフみたいな形の剣なんだけど、その先端から考えてた色と同じ色の、絵の具みたいな液体が出てくるんだ」
「なるほどっ、それで絵を描いてるんだね!」
納得した表情のノノに対し、男は顔を上げて天井を――あるいは、その先の空を見ながら言いました。
「まあ、元々の利用方法じゃないからとっても不便なんだけどね。それでもなんで使ってるかっていうと」
「いうと……?」
「似てるって思ったからさ、フレムリアの色彩の魔剣は人にその絵の具のような液体が当たった時、その色に応じた感覚に襲われる特異性があってさ、赤だったら熱いとか、青だったら冷たいとか」
それって。と前置きして、男は一仕事終えたような顔で伸びをしたあとに言いました。
「絵と同じだろ? 感じとるものが居てこそで……そしてそれは、同じ人間であるほどいいのさ」
――――――――――――――――――――――――――――――
「お待たせしました、フレムリアの色彩の魔剣、責任をもって研がせていただきました」
「ありがとう! これ、依頼金ね!」
しばらくして、モルガの手から研ぎ終わったフレムリアの色彩の魔剣が絵描きの男に手渡されました。男は手渡された剣を見てうんうんと頷くと、笑顔を浮かべながら頭を下げます。
「ししょー、ししょーっ! ししょーも絵を描いてもらったら?」
「あー……研ぎも終わったので、今なら大丈夫ですが……」
ノノに服を引っ張られ、一応確認するようにモルガが聞きます。
「描きたいのは山々なのですが、送り迎えをしてくれる方との約束の時間が来てしまうので……」
それに対し、絵描きの男はやんわりとした口調で断ると、大きく手を振りながら山を降りていきました。
山の麓、待っていた二人の男と移動用の馬車に手を振ると、絵描きの男はバックパックから道具を取り出しながら、
「悪いけど、出発までもうちょっと待ってもらっていいかな? 揺れ始めると忘れちゃいそうで」
その言葉に対し、男達は疑問符を浮かべるような表情になりました。
「……まだ出発まで時間もありましたし、もう少し残ってくればよかったのでは……?」
「馬鹿、あまり迷惑かけるわけにもいかないだろ、それに――」
言葉を切って、絵描きの男は紙に向き合います。それからゆっくり目を閉じて、思い起こすのはモルガの姿。
(じっくり見れば、相手が自分についてどう思われてるか知りたくないなんてことくらいは分かるからな)
それから、男はゆっくりと手を動かし始めました。描く上で必要なのは、自分が相手を見て何を思い浮かべたか。
「剣が生えた少女と、剣が刺さった青年か……研ぎ師ってみんなあんな感じなのかな」
男は、小さく呟いて――
でも魔剣専門の研ぎ師なんて変わった仕事をしているし、向こうが変わっているだけかなと考えて、小さく笑みをこぼしました。
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