モルガの作った剣
緑の色濃い山の奥、頂上に近い場所に一軒の家が建っています。
その家の外、麓へと続く道の前に一人の男が立っています。少し茶色がかった髪の、背の低い青年。武器は付けていません。怪我もしておらず、体にも服にも一切血はついていませんでした。
虚ろな表情で、青年は歩みを進めます。ふらふらと揺れながら、ゆっくり、ゆっくりと前へ進んで行きます。
倒れてしまいたい、と思いました。
このまま消えるのもいいか、そうも思いました。
その度に、青年の頭の中に言葉がよぎります。
家で、帰りを待っている人がいる。その人の表情を、彼はいつでも思い浮かべることができます。記憶を失っていた少女、自分の研ぎに興味を示してくれた、自分を師匠と慕ってくれた、自分の剣を目標としてくれた――魔剣の少女。
自分のしたことを彼女が知ったらどうするだろうか、彼女の同族ともいえる魔剣を、名前を付けもせずに倉庫の奥にしまって、その上で魔剣のよさについて話していた自分のことを、彼女はきっと嫌いになるだろう。
そう思ってもなお、彼の足は止まりませんでした。会ってくださいと言われたこと以上に、彼自身が彼女に会いたいと思っていました、自分が許されることがないのだとしても。
やがて、青年は家の前までたどり着きました。一瞬ためらって、家の中へと入ります。静かな家の中を一歩一歩進んで、自分と彼女の、ノノの部屋の前にたどり着きます。
目を閉じて一呼吸をし、部屋の中に入って、
「おかえりなさい、ししょー」
優しい声で、ほぼ笑みを浮かべて、ノノは静かにそう言いました。その声だけで青年の、モルガの頬を涙が伝いました。
「ノノ」
「座って、ししょー。ゆっくりでいいから」
そう言って、ノノポンポンと自分のすぐ前の床を叩きました。ノノのすぐ近くにモルガも座ると、ノノが優しい声で言葉を続けます。
「ししょー。魔剣の話、聞きたいな」
「……そうだな、それじゃあ、」
ある魔剣と、それを作った男の話だ。聞いてくれるか? ノノ
――――――――――――――――――――――――――――――
「その男はさ、昔ある魔剣を見て、それをとても美しくてきれいなものだなって思ったんだ」
「うん」
「でもな、実はその魔剣を見せてくれた人は魔剣の力を悪いことに使うやつでさ……その男の両親も、その人とその魔剣に殺されていたんだ」
「うん」
「その人はちゃんとつかまって……それで、男はその人のこと、心の底から憎かったし、恨んでいたし、殺したいとも思って。両親が死んだこと、悲しかったし悔しかったし、いろんな感情があった、あったのに……なんでかな、魔剣が綺麗なものだって感情だけ、ずっと残って消えないんだ……」
「……うん」
「辛かった、嫌だった。自分の両親を殺したものに、好意的な感情を抱く自分に吐き気がした。忘れたかった、忘れようとした、それでも忘れられなくて……だから、その男はこう思ったんだ。……絶対に達成できないことを目標にして、それを目指し続けようって。何も生まれないことでいいから、それ以外のことを考えなくていいように……って」
「……それで、魔剣を作り始めたんだね?」
「……そうさ、矛盾してるだろ? 魔剣が引き起こしたことを忘れるために、魔剣を作ろうと思ったんだ。それでも、その男にはそれが一番不可能なことに思えたんだ、誰も傷つけない魔剣を作るなんて、僕には絶対できないと思ってさ……はは、は……」
「ししょー」
「は……ははっ、できたんだよ、作れてしまったんだよ! 僕はっ、僕は……! 作れてしまったんだ、ノノ……! 誰も怪我しない魔剣だ、誰も悪用できない魔剣だ! だって誰も、ウルムケイトすら、あの魔剣と話すことを嫌がったんだから!」
「……ししょー」
包みこまれるような感覚に、体の震えが止まった。暖かくて、心地よい感覚だった。
顔のすぐ横にノノがいる。頭を撫でられる感触がして、やっと彼女に抱きしめられていることが分かった。優しく背中をさすりながら、耳元でノノが言葉を続けた。
「落ち着いて、ししょー。ゆっくり、ゆっくりでいいから」
優しい言葉だった。
続けなきゃいけない。彼女を裏切るような言葉でも、彼女をがっかりさせる弱さでも、信頼して待ってくれている彼女に応えなきゃいけない。
「……僕は、逃げたんだ。両親を失った悲しみからも、剣を作るってことからも……出来上がった剣からも」
剥がれていく、自分を守っていたものが少しづつ。
「名前を……名前を、付けてあげられなかった」
剣を作ろうとしたノノに、最初に言ったことだ――守れなかった自分を棚に上げて。
「その剣が、そういう物であるって認めたくなかった。だから名前を付けないで、人目の付かないところにしまったんだ。ウルムケイトに会って、それが魔剣に対してやっちゃいけない事ってわかった後も、僕はそうし続けた……はは、傷つけたくない人はもう全員それを見たっていうのにな」
ノノはどんな顔をして聞いているだろうか。怒ってるだろうか、呆れているだろうか。それとも、もう関心すら持っていないだろうか。
「なあ、ノノ……わからないんだ、僕はどうやったら償えるのかな……いろんな人を傷つけて、自分で作った魔剣にも酷いことをして……ノノ、やっぱり僕は――」
そうだ、僕は、
「剣を作っていい人間じゃないんだ。魔剣とかかわっていい人間じゃないんだ。なんで、気づいているのにできないんだろうな……なんで、僕は――」
ノノが動いた。
斬られるか、それともここから離れるか。斬られたなら、そのまま死のう。いなくなったなら、一人で消えよう。最初から、きっとそうするべきで、
「ねぇ、ししょー」
抱きしめられる力が、少し強くなった。
「ししょーはさ、私がこの世界にいないほうがいいと思う?」
「……何言ってるんだよ、ノノ。いいわけないだろ……!」
「そう……なら、いいんだよししょー。ししょーは、剣を作っても魔剣とかかわってもいいんだ」
「……なにを」
「だって、わたしを作ったのはししょーだからっ。空っぽだった私に、何もなかった私にいろんなことを教えてくれて、今の私を――ノノを作ってくれたのは、ししょーだからっ!」
声も、言葉も、手も。彼女のなにもかもが、ただただ優しかった。剥がれた中にある何かを溶かしてくれるような、そんな暖かい優しさだった。
「だから、いいんだよししょー。それでも自分が許せないなら、ゆっくりと変えていけばいいの、私はずっとししょーの傍にいるから。だから、大丈夫だよ、ししょー。今はたくさん泣いて、ゆっくりと眠って……また、歩いていこう? また……いろんなものを、作っていこうよ、ししょー」
――――――――――――――――――――――――――――――
青年は、静かに泣き続けました。
少女は、青年を抱きしめて撫でてあげました。
やがて、泣く声が消えて――
「おやすみなさい、ししょー」
小さな寝息が、二つ――
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