メルクアルシェークの血華の魔剣

 木々と川に挟まれた細い道を、一人の女性が歩いています。肩にかかるくらいの長さのふんわりとした黒髪で、薬師の着るような白衣に身を包んでいます。腰のあたりにベルトが巻かれていて、そこに小さめのポーチがいくつかと水筒、そして手先から肘くらいまでの長さの太めの針が付いていました。

 ゆったりと流れる広い川は日の光を受けてきらめき、その真上を何匹かの蝶々が舞うように飛んでいます。

 女性が歩きながら顔の前に指を立てると、ややあって一匹の蝶々がその上にとまりました。赤と黒が混ざったような色の蝶々に、女性は微笑みかけながら言いました。


「ちょうちょさん、ちょうちょさん。この先に本当に魔法使いが住んでいるのかしら」


 その女性――セフィナという名の彼女がそこを目指しはじめたのは、今からほんの数時間前。自分の住んでいるセイホロという国から旅に出て、途中寄った場所で怪我人の治療などをしながら国へと戻る生活を繰り返している彼女は、その帰り道にあった村でで面白そうな話を聞きました。


 ここから少し離れた場所に小屋が建っていて、そこには花を自在に咲かせることのできる魔法使いがいる。


 という物です。

 道が狭いので旅の乗り物は村に預けて、「少し離れた場所」までセフィナは徒歩で行くことに決めました。「少し離れた場所」が何時間もかかる場所だとは、その時想像していませんでしたが。


「……騙されたかなぁ、引き返したほうがいいと思う?」


 ため息をつきながら、セフィナは蝶々に向かって話しかけます。もうしばらくそのまま歩き続けて、ふと彼女はあることに気が付きました。

 空を舞うように飛んでいる蝶々の数が、先ほどまで通っていた道と比べてハッキリと分かるほどに増えています。そして、そのうちの数匹が分かれ道の先、折れ曲がって木々の中へと続いている道の先に飛んで行っていました。


 セフィナは分かれ道の中心に立つと、少し考えるために足を止めます。村の人にはこんな分かれ道があるなんて聞いていません、どっちに行くべきか、それとも一度引き返すべきか。

 そんなことを思っていると、指に止まっていた蝶々がぴょんっと飛び始めました。そのままひらひらと木々の方へ舞うように飛んでいきます。


「あっ、ちょっと待ってよ、一人っきりは寂しいんだけど!」


 そう言いながら、セフィナは見失わないくらいの速さで追いかけます。しばらくそうして歩いて、開けた場所に出た瞬間、セフィナはぴたりと足を止めました。

 大きく円状に開けた場所で、中心には木製の小屋が建っていました――それすらも一瞬気が付かないほどの鮮やかな赤色が目に映りました。彼女は口を少し開いたまま、その光景に圧倒されてその場から動くことができませんでした。


 セフィナはゆっくりと、その光景を整理していきます。

 花です。道で区切られながら、鮮やかな赤い花が咲き誇っています。その上を蝶々や蜂が、さらにその上を鳥が飛んでいて、幻想的とすら捉えられる光景を作り出していました。


「あ、あのっ……何かご用でしょうか……?」


 真横で聞こえたその声に、セフィナはびくっとしながら振り向きます。そこに立っていたのは、ドレスのような黒い服を着た、茶色い髪の女性でした。手にはじょうろを持っていて、セフィナを見る目はどこか怯えています。


「……えっ、と……あなたが、花の魔法使いさん……?」


 セフィナは動揺しながらも、何とかそれだけ絞り出しました。その言葉を聞いた女性は、


「……ああっ、お花を見に来られたのですねっ! どうぞ、好きなだけご覧になってくださいっ!」


 パッと目を輝かせながら、お辞儀をして言いました。そして顔を上げると、


「……その前に、少し休んでいかれますか? 村からも遠いですし、道も細いので、さぞかし疲れたと思いますのでっ」



 ――――――――――――――――――――――――――――――



 小屋の中は、普通の家と同じような作りになっていました。花の女性は、家の裏ではお花のほかにも食べるための野菜を育てているんですよ、と言いながら二人分の椅子を並べます。

 セフィナが座ったのを確認すると、女性は開口一番、


「お花たち、どうでしたかっ!」

「えっと、どうって言われても……あまりにも綺麗で、その場から動けなくなっちゃいました。とっても見事だと思います」


 セフィナが素直に言って、


「ありがとうございますっ! 大事に大事に育てた、わたし自身のようなものなので……その、とっても嬉しいですっ」


 少し照れながら、かみしめるように女性が言いました。

 そして何かに気が付いたような顔を少し浮かべると、一転して申し訳なさそうな顔を浮かべます。


「あっ、ごめんなさい……本当なら、せっかく来ていただいたんですし、お花を一つ差し上げたいのですが……実は今、自力でお花を増やすことができないんです……」

「それは」


 女性の話に、食い気味にセフィナは言葉を被せます。


「あなたが左腕を怪我していることと、何か関係があるのかしら」


 その言葉に、女性は驚いた表情を見せます。


「腕の怪我、わかってたんですか……?」

「こうみえて私、いろんな怪我人の治療をしているので。左腕、ずっとかばっているようでしたし」

「……えっと、関係ないわけでもないんですけど……その、長くなるかもしれませんが、お話……聞きますか?」


 セフィナがこくりと頷いて、女性は一度咳ばらいをした後に話しはじめます。


「まず、あのお花についてですが……あれは、魔剣によって作り出されたものです」

「……魔剣?」

「はい、メルクアルシェークの血華けっかの魔剣……って、見つけた場所の石に刻まれていました。血液に触れると、それを赤い花へと変換する魔剣です、なぜか私に刺しているときだけはそうならなくて、引き抜いた瞬間に花になるのですが……」

「知っているということは、その怪我は……」

「はい、お花を作るために、私が自分で刺しました」


 その言葉に、セフィナは顔をしかめました。気が付いていないようで、女性は話を続けます。


「最初は、外に出た血だけに作用するものだと思っていました。いまだになぜ私だけが例外なのかはわからないのですが……ともかく、私はこの剣でいっぱいお花を増やそうって思いました。理由は、その……綺麗だったから以上のものはないんですが……」


 どうして正しい特異性に気が付いたかは伏せたまま、女性は一呼吸を置きます。セフィナもそこに深く突っ込むことはせずに次の言葉を待ちました。


「今から少し前くらいの、つい最近のことでした。私がいつものようにお花を増やそうと剣を掴んだときです。血が触れていないのに、突然たくさんのお花が刀身から咲き始めて、花束のように剣を包んでしまいました。とても綺麗で見惚れていたのですが……しばらくして、その花を取り除くことができないことに気が付いたのです」

「だからこれ以上増やすことはできない、と」

「はい……それからずっとそのままで。私、何かこの魔剣をおかしくさせるようなことをしてしまったのでしょうか……」


 顔を俯かせて悲しそうにつぶやく女性を見ながら、セフィナは以前とある人に言われたことを思いだします。「魔剣は使われたい……というより、使われないと剣でいられないんだ。周りに使用者がいないってことは、僕達で言う死となんら変わらない。だからセフィナ、君の持つ魔剣が君を傷つけることはないよ」そんな感じの言葉でした。

 魔剣の声を聞く手段がある彼が言ったのだから間違いありません。そうした情報も整理しながら、彼女は言葉を選びます。


「いいえ、魔剣はあなたのことが嫌いになったのではなく、あなたに傷ついてほしくないんじゃないかしら。だからあなたが自傷しないように、自分の体を花で包んだ」

「……そう、なのでしょうか」

「ええ、きっと。だからあなたがいまするべきことは、その左腕を直して安静にすることだと思うの。そして私は、その手伝いが出来ます」


 セフィナが腰のベルトについていた針を手に取ります。女性がそれを疑問そうに見つめ、セフィナはやさしめの声で言いました。


「これ、セフィナの薬の魔剣って呼んでいるのだけど、怪我の治りを早くする効果があります。さて、治療にはされる本人の意思が大事だから一つ聞かせてもらうわね。……あなたは、その怪我を治したいと思う?」


 女性がこくんと頷いたのをみて、セフィナはにっこりとほほ笑みます。そして椅子を立った彼女に、女性は何気なく、そしてどこか何かを含んだような顔で言いました。


「……その、何となくそう思っただけなんですけど……私の剣の花を取り除いて斬れる状態にすることができる人って、ご存じじゃないですか?」


 セフィナは、笑顔のまま答えました。


「いいえ、知りませんよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る