モルガの■■の魔■

 時刻は夜、木々が月の光を遮断し、闇に包まれた山の中を静かに登る一人の男がいた。

 短い黒髪の、縦に線の入った服を着ている男だった。暗闇の中に溶け込むようなコートで身を包み、腰には二本の剣を下げている。音をたてないように静かに進み、時々立ち止まっては何かを嗅ぎ分けるような動作をするその男の名を、ドライトと言う。


 真っ暗な森の中で彼に聞こえるものは、かすかに自分の呼吸と心臓の音だけだった。その音で、自分が今からすることに今まで以上に興奮していることをドライトは自覚し、にやりと笑った。


 魔剣と会う、今までもそのことに対して高揚していたが、今回は中でも別格だと彼は思う。製作者の存在がわかっていて、しかもそれが自分と同じように魔剣に人生を捧げるほどの情熱のようなものを捧げてきた相手だからだろうか。いずれにせよ、この嗅覚に一番感謝することになるのは今日だろうと予測を立てた。

 鍛冶師の――モルガの住んでいた国で聞き込みを行っても、だれも情報を話そうとする人はいなかった。ノノゼアンシスの友愛の魔剣が本当に人の形をしているのか突き止めるときに嗅覚が反応していなければ、もう少し時間がかかっていたかもしれない。


 そんなことを考えているうち、ドライトは他とは違う開けた場所に出た。頂上に近い開けた場所、そこには一軒の家と小屋が建っている。彼は懐から取り出した単眼鏡で周囲の様子を確認すると、素早い動きで小屋の入り口に近づいた。

 扉を開くと、そこには箱にしまわれた大量の剣があった。彼は一度まわりをぐるりと見渡すと、箱のひとつを掴んで引き寄せるように動かす。その下にあったのは、地下へと続く階段だった。


「やはり下ですか……使われないような場所への保管は、魔剣の方が抵抗するはずですが……」


 そう言いながらドライトは臭いを嗅ぎ直す。魔剣の臭いがするのは間違いなくこの先だと彼は冷静に判断する。

 罠の類がないことを確認しながら一歩一歩ゆっくりと歩を進める。薄ぼんやりとした明かりが等間隔で灯っている石造りの階段を抜けた先、殺風景な四角い部屋の最奥にその剣はあった。


「……これが」


 ごくりと唾を飲み込んだ。その剣は鞘に納められたまま飾られるように台座の上に横たわっている。

 それは形こそ上にあった剣と同じものだが、彼にはそれが魔剣だとわかった。ゆっくりと、噛み締めるようにその剣に近づく。手を伸ばせば届く距離、彼は気づかないうちに震えていた手を静かに持ち上げると、ゆっくりと剣の方に伸ばし――


「……ねえ、ひとつ提案したいんだけど」


 かつん、と音が鳴った。手を止めたドライトがばっと振り返る。

 少し茶色がかった髪の、背の低い男が階段の前に立っていた。手には何も持っておらず、腰にも剣を下げていない。虚ろな目だけをドライトに向けている。


「……これはこれは、モルガさん。提案とはなんでしょう」


 あくまで余裕そうな笑顔を崩さないまま、普通通りの口調でドライトは男に言い放つ。一方のモルガと呼ばれた男は、髪の毛を指でいじりながら疲れたような声で答えた。


「このまま何もしないでさ、外に出て行ってもらえないかな。ここに来たことは誰にも言わないし、お客さんとして来ればちゃんと応対するからさ」


 いいながら、モルガは両手を上げると武器を持っていないことを見せる。ドライトは小さく息を吐くと、


「その提案を、私が受け入れると思います?」

「もしかしたら、そのまま帰ってくれるんじゃないかとは」

「冗談がお上手だ、あなただって目の前に魔剣があって素直に引き下がろうとは思わないでしょう?」


 表情を変えずに言ったドライトに対し、モルガは小さく頷く。そして階段に座ると、諦めたような口調で言った。


「わかった、どうせ戦っても勝てないし、気絶させられて終わるのが関の山だ、それなら見ていられる方がいい。ただし、丁寧に扱ってほしいな。そして――美しいと、そういってほしい。それは、僕にとって重要な剣だから」

「わかりました、同じ魔剣を愛するものとして丁寧に扱わせていただきます。それでは――」


 言葉を聞いて、ドライトは満足げに剣に手を伸ばす。罠はなかった、モルガはただじっと彼の方を見つめているだけだ。

 強く握りしめ、剣を体の前に持っていく。深く息を吸って吐く、剣を持つ両手の震えが止まるのをドライトは実感する。鞘を持つ手と柄を持つ手の両方にギュッと力を込めた、少年のような期待とともに剣を抜き放ち――




 ――嵐のごとき一閃だった。

 鞘がカランと音を立てながら地面に落ちて、その音で思い出したかのように鮮血が飛び散った。早く、しかし荒々しい剣の一振は、握ったままの腕を捻じ切り飛ばした。


 それを、ドライトは呆然と眺めている。その右腕には肘から先がなく、左手には一本の剣が抜かれている。

 たった今腰から引き抜き、彼自身の右腕を切り飛ばした剣が。



 右手が音を立てて地面に落ちる。同時、右手が掴んでいたモノも地面に落ちた、鉄の棒のような音がした。



「あ、」


 彼は見た。切り離された自分の腕を、そしてその手が掴んでいるソレを。


「あああぁぁぁぁぁっ!」


 絶叫する。痛みによるものでは無い、まるで見たくないものを見てしまったような。

 傷を意に介さず、地面に落ちたソレからできる限り離れるように走り出す。ソレに触れていられる自分の腕すら穢らわしいもののように思えた。吹き飛んだ腕から一番遠くの壁に背中を付けると、吐き気を抑え込むように口元を手で塞いでソレを視界の端に捕える。




 ソレは、細長い鉄の棒だった。

 ソレは、片側に刃の付いた棒だった。

 ソレは、持ち手がついていた。

 ソレは、僅かにしなっているようにも見えた。

 ソレは、明かりを反射してほのかに光っていた。

 ソレは、とても醜くみえた。

 ソレは、注意から外したくないような異物だと理解した。

 ソレは、とても穢らわしいものに思えた。

 ソレは、ソレを認識するたびどこかを抉られていきそうなナニカだと認識できた。


 ソレは、剣ではなかった。

 ソレは――、


?」


 気付けばモルガが立ち上がって、ソレを手に持っていた。


「これが、あなたが求めていたものだ。僕が目指して、そして作れてしまった剣だ」


 ソレを優しく撫でながら、諦めの混じったような声でモルガはつぶやく。少し歩いて落ちていた鞘を手に取ると、それを腰に下げてドライトの方を向いた。


「なあ、あなたはこの剣を見てどう思った?」


 剣を向ける、その顔に返事を期待するような様子は微塵もない。

 ドライトは答えない。まるでソレについて何かを言うことすらいやだとでも言いたげに口を噤む。


「……この剣が、気持ち悪いって、見てて不快になるって、そう思った?」


 図星をつかれたようにドライトの顔がゆがむ。気にせずにモルガは言葉を続けた。


「なあ、どっちが正しいんだろうね。この剣は僕が思うように見る人を魅了するような出来のもので、それを僕以外のみんなが魔剣の力のせいで醜いものと思わされているのかな」


 剣を持ったまま、ゆっくりとモルガは歩きはじめる。その先は、今ドライトが立っている場所。


「それとも、みんなの反応の方が正常で……僕が、作った僕だけがこれを良いものとしてみようとしている?」


 ハハ、と乾いた笑みがこぼれた。


「どっちでもいいか……どっちでも、どうしようもないもんな。僕がこの剣を綺麗だと感じていて、みんながこの剣を醜いと感じていることだけがまぎれもない事実だ――魔剣が好きなあなたなら、って少しは期待もしたんだけれど」


 ゆっくりと、ただし止まらずに、モルガはドライトの方へと一歩一歩近づいていく。


「……物には、名前が必要だ。人にだって魔剣にだってそれがある。名前は、そのものをそれとして定義づけることができるもので……作り手から作られたものに送れる感謝の一つだ」


 足を止める。すでにドライトとの距離は数歩とない。

 逃げることは不可能だ。本能も理性も、ソレに一歩でも近づくことを拒絶する。


「なあ、僕は……剣を、何かを作るべきじゃなかったのかな――何かを作っていい人間じゃなかったのかな」


 モルガの腕が持ち上がる、彼の持っているソレも一緒に。


「僕は、だって、その特異性から逃げたんだ。僕はその剣に――」


 ソレの先はドライトの目の前に。


「名前を付けることができなかったんだから」




 ――――――――――――――――――――――――――――――



 肩に男を担ぎながら、ふらふらとモルガは歩いていました。

 傷はなく、着ている服も汚れていません、返り血の一つすら浴びていない――肩に担がれた男も同様に。


 やがて、近くの国へと続く下り道が見てきました。足を延ばした瞬間、隣から声をかけられます。


「……生きて、帰して大丈夫なんですか……?」


 隣を見ると、濃い緑色のマントに身を包んだ少女が立っていました。風景に溶け込んでいる彼女の名を、ラルと言います。


「うん、きっとね……ラルさん、依頼通り、彼が来るのを見張っててくれてありがとう」

「依頼の方は、私の仕事ですからお構いなく……えっと、その人も、帰すのなら私がやっておきますね」


 ならいいんですけど、と不安そうに言葉を続けたラルに、モルガはならお願いと言って担いでいた男を地面に下した。

 しばらくの沈黙のうち、モルガが家に向かって歩き始めた瞬間、ラルがあっ、とためらいがちに声をもらした。


「……どうかした?」

「えっと、その……多分、変なことを言ってると思われますけど……どうしても、これだけお願いしてもらいたいんです」


 疑問そうな顔で、モルガはラルの方を振り向きました。

 ラルは静かに、そして強く言いました。


「必ず、今日の内に会ってください……モルガさんのことを、いつもお家で待ってる人がいるんですから」

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