ヒデュスの樹木の魔剣

 ゆったりと流れる川に、一つ大きな波紋が生まれました。

 釣り竿を持った男が一人、川の前で胡座をかいています。

 眠気を誘う暖かな風が吹き、あたりの草を揺らしました。男が口元に手を当てて一度大きな欠伸をしたのと同時、


「どう? 釣れてますか?」


 後ろから、まだ若そうな男の声がしました。

 全然。そう返すために振り返ろうとした男の耳元で、びゅんっ、と一つ風を切る音がしました。


「いやまあ、別に答えてもらう必要はないんだけど」


 若い声の男の言葉を聞きながら、釣りをしていた男はちらりと自分の左側に視線を向けました。そこにあったのは、日の光を受けて輝く銀色の刃。

 若い声の男は、剣を向けたまま静かに言いました。


「何をしに来たかは、言わなくてもわかるよな?」



 ――――――――――――――――――――――――――――――



「剣の名を、ヒデュスの樹木の魔剣と言う」


 緑の色濃い山の奥、頂上に近い場所に一軒の家が建っています。

 その家の中、入ってすぐの玄関で男は一本の杖を持って言いました。青色の、山に登るには少し薄い生地の服を着た男です。

 その言葉の向けられた先にいるのは、少し茶色がかった髪の背の低い男でした。腰に下げた剣の柄を左手で軽く触りながら、あまり乗り気ではない顔で杖を持った男のことを眺めています。


「……なにか、失礼でも?」

「あー……いえ、大丈夫ですよ」


 その表情を不審に思った男に話しかけられて、作り笑いを浮かべながら手をひらひらと振り、


「僕の名前はモルガと言います。お話、続けてください」


 そうか。と一言おいて、杖を持った男は話を続けます。この杖は仕込み杖になっていて、持ち手を捻ると表面の鞘が取れて刀身に変わること。普通の剣と同じ研ぎ方をしようとすると研ぎ師が命を落とすこと。そしてそれを可能とする特異性――剣から種を飛ばし、その種が触れた相手に、栄養を吸い取って伸びる根を埋め込む、いわば苦しませて殺すためのような特異性を持っていること。


 その全てを、モルガはあまり表情を変えずに相槌を打ちながら聞いていました。

 話が一段落し、石造りの作業部屋につきました。他の部屋より広いこの作業部屋は、手前が研ぎ用、奥が鍛冶用で分かれています。


「さて、それでは僕は今から研ぎを始めるので、終わるまで外で待っていてください」


 そういって、モルガは男の方に手を差し出します。腰から下げていたヒデュスの樹木の魔剣を外し、モルガにしっかりと手渡して、


「なあ、研ぎ師の兄さん」

「……なんでしょう」

「一つ、お願いがあるんだ」


 真剣な顔で、男はモルガに向かって言いました。


「この剣で殺してほしい人がいる」

「それは、また……」


 ずいぶんと物騒な。とあまり表情を変えずに言ったモルガに対し、男は静かに話を続けます。


「この剣も、もともとはそいつの――ブシディアってやつのものだ。俺はあいつに……いや、何をされたかは言いたくねえが。まあ、ひどいことをされてな」

「それで、剣を奪ったと?」

「そうさ、あいつに復讐するためにな。……でも、あいつの目を……なにか、見透かしてくるようなあの目を見ていると、恐怖で体が止まっちまう……だから、なっ、もちろんタダでとは言わない。報酬は」


 そこで一度言葉を切ると、男は目線を下に落とします。

 その先にあるのは、ヒデュスの樹木の魔剣。


「この魔剣をあなたにあげる、永久にだ! もともとあいつの持っていた魔剣なんて持っていたくないし、こんな職業やってるんだから魔剣が好きなんだろ? だから、なあ、頼むよ!」


 ほとんど叫んでいるに等しいその言葉に、モルガはゆっくりと目を閉じ――、



 ――――――――――――――――――――――――――――――



「だからさブシディア、いい加減に」


 そして今、若い声の男――モルガは、刀身を見せたヒデュスの樹木の魔剣を鞘に納めました。一見してただの杖にしか見えない状態になったその剣を、釣りをしている男――ブシディアの膝の上に置きます。


「えっと、他人の感情を誘導する話術だったっけ? それの実験相手を依頼主に使うの、やめてほしいんだけど」

「……今日の奴はどんな反応をしていた?」

「断ったら素直に引き下がったよ、おかげで殺さずに済んだ……いや本当に、ノノ……えっと、まだ若い弟子が最近できたから、出来るだけ死体は見せたくない」


 今日は外で遊んでたけどな。と呆れながら付け足したモルガに対して、ブシディアは興味がなさそうに一言「そうか」とだけ返します。モルガはため息をつくと、


「渡しに来る手間もあるし、次からはできればお前自身が依頼に来てもらいたいんだけどな」

「無理だ」


 短い声でブシディアが返しました。ゆっくりと振り向きながら立ち上がります。釣り糸に魚がかかったようで、ぽちゃんと音を立てて浮きが沈みました。


「お前は、あの剣をまだ家に置いているんだろ? じゃあ、家には近寄りたくない」

「……悪かった」

「いや、悪くないさ。誰も悪くない、あの剣もだ……でも、近寄りたくないっていうのは事実としてある、だから無理だ」


 しん、と場が静まりました。ブシディアは小さく息を吐いた後、後ろを振り返って餌が釣竿ごと持って行かれたことに気が付きます。


「……今日の釣りは終了だな」


 そういって荷物をまとめ始めたブシディアに、モルガは一つ疑問を投げかけました。


「そういえばその魔剣、前回研いだ時からそんなに時間経ってなかったけど、なんでまた急に依頼してきた?」

「ああ……そうだ、言い忘れるところだった」


 背中を向けたまま、答えが返ってきました。


「最近、お前が昔鍛冶屋をやっていた付近の人に、いろいろなことを尋ねているやつがいるらしくてな……主に、魔剣のことだ」


 びくっ、とモルガの背筋が伸びました。思い出すのは以前に自分を監禁した魔剣猟隊のこと。


「僕の作った魔剣について、か? ……だれか、それを喋ったか?」

「……はは、だれがアレの詳細を人に話せるか。……むしろ、話せなかったからこそだ。好奇心で探ってくるような輩だ、絶対にお前のところに訪ねに来る」


 乾いた笑みを浮かべながら、ブシディアは荷物を背負って歩きはじめます。モルガの横を通り過ぎる瞬間に、小さな声で言いました。


「……絶対に奪われるなよ。あれは、お前の剣だ」


 一人、残されたモルガの顔を川の水が映しました。

 やがて、水面に波紋が生まれて、その顔をゆがめました。

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