ウルムケイトの声の魔剣

 緑の色濃い山の奥、頂上に近い場所に一軒の家が建っています。

 その家の中、他の部屋が木材で出来ている中で、一室だけ石材で出来ている広い部屋がありました。広いとは言っても、その部屋は奥と入り口側を半分にするように向こう側が見えない仕切りで分けられているため、実際にはほかの部屋とそう大きく広さの差があるわけではありませんが。

 そんな部屋の入ってすぐのところには、左右に少し間を空けて二つの作業台が並んで置かれていました。台の周りは少し盛り上がっていて、中から液状のものがこぼれても台の外には流れないようになっています。


「それじゃあノノ、始めっ!」


 その作業台の端に椅子を置いて、そこにノノと呼ばれた少女が座っていました。ノノの目の前には、ノノの方に浅く前傾している木の台。その上には肉眼でぎりぎり視認できる程度の荒い目の砥石が乗っていて、足元に置いてある細い木の棒の先端がその砥石を押えています。その奥には水の入った桶。

 後ろに立っている青年の声と同時に、ノノが脇に置いていたものを掴みます。それは地域によっては刀とも呼ばれている片刃の剣から、分解することで柄を外したもの。

 ノノは座った状態で前傾しながら砥石を押さえている足元の棒に右足で体重をかけます。右手には布を巻き、左手には何もつけないまま刀身を持ちます、一見すると危険な状態ですが、手を滑らせなければ切れることはありません。


「ふぅー……」


 ノノは一度深く息を吐いた後、横に持った剣の刃を砥石に押し当てました。そのまま体重をかけ、剣を横に一定の間隔で引いていきます。

 しゃっ、しゃっ、という音が静かな部屋に小さく響きます。研いでいるとでてくる黒い汁は、時折指に桶の水を付けて拭き取ります。


 どれくらいの時間がたったのか、ノノは剣を砥石から離すとゆっくりと深呼吸をしします。

 時間の感覚がおぼろげになるほどの集中と、ずっと同じ体勢で体重をかけていたことによる疲労は決して小さなものではなく、ノノの頬を一筋汗が伝いました。


「はぁっ……」


 流れた汗をぬぐい、ノノはゆっくりと立ち上がります。少し屈伸運動をした後、くるりと回って後ろを向いて、青年に向かって笑顔を向けました。


「ししょー! どうでしょう!」


 ししょーと呼ばれた青年はノノからその刀身を受け取り、じっくりと真剣な表情で見つめます。数秒の静寂、刀身から視線を外した青年は、ドキドキしながら次の言葉を待っているノノの頭をわしわしと撫でました。


「ああ、上出来だ。次からは細かい研ぎの作業に入ろう、ここからも長いから気を引き締めて行こうな」

「やった! ししょーに褒められた!」

「ああ、褒めるよ。本当に筋がいい、僕が教わったときはもう少し時間がかかったぞ?」

「えへへーっ! ししょーの教え方が上手いからだよ!」

「そうか? そいつはうれしいな。じゃあ、そろそろお昼ごはんにしようか」


 ――――――――――――――――――――――――――――――


 魔剣と言う希少な代物を扱っていることと、こんな山奥に家があるという二つの要因で、ここを訪れる客の数はそう多くはありません。多い時でも30日に一人訪れるかどうか、次の客が訪れるまでに三桁くらいの日数がかかることも。

 その期間中に、青年――、モルガはノノに剣の研ぎ方を教えていました。


「ししょーししょー、ししょーに教えてもらいながら剣を研いでるときたまに思ってるんだけど、なんで普通の剣って魔剣と違って研ぐのにこんなに時間がかかるんだろうねー」


 お昼ご飯の川で取れた魚を焼いたものをゆっくりと食べ終えたノノが、机に突っ伏しながらモルガに向かって話しかけます。


「あのなぁノノ、剣の研ぎっていうのは本来短くても数十日はかかるものなの」


 モルガは魚を乗せていた食器を片づけながら、やや呆れた顔で返します。


「魔剣は普通の剣と同じ研ぎ方じゃ絶対に研げない、魔剣の方から研がれることを拒否してくる。代わりに条件さえ満たせれば、一日もかからずにきれいに研ぐことができる……たしか前にも教えたよな?」

「うん、教えてもらった」

「覚えてるならよし。魔剣は研ぎにかかる時間が短い代わりに、本当なら研ぐための条件を何年もかけて手さぐりで探さなきゃいけない。ノノ、お前が魔剣の研ぎが短く感じるのも、こいつのおかげってことだ」


 突っ伏していたノノの前にことんと何かが置かれる音がして、ノノはゆっくりとした動作で顔をあげます。

 置かれたのは、一本の剣。ちょうど今日ノノが研いだのと同じ形の、モルガがいつも腰に下げていた剣でした。


「今から畑の方を見に行ってくるから、お留守番ついでに手入れをしといてくれないか? 一緒に結構前に来た人の持ってた……そうだ、アルトノーツの紅の魔剣の研ぎ方も聞いておくといい、多分、いつかまた来るだろうしね」


 そう言って立ち上がり部屋から出ていくモルガを、ノノはいってらっしゃいと手を振りながら見送りました。そうして一人になった後、ノノはモルガが置いていった剣を手に取り――、


「久しぶり! ウルム!」


 ノノは手に持った剣に向かって元気よく挨拶をしました。

 もし、この場所にノノ以外の人がいれば、それはさぞかし変な光景に映ったことでしょう。しかしその行動の意味を、ノノとモルガははっきりとわかっています。

 それはノノがモルガと約束した、お客さんに聞かれても言ってはいけない秘密の一つにして、モルガの魔剣の研ぎ師という職業を一番大きく支えている道具。


「ウルムケイト……声の魔剣まではいれなくていいから、そこまでは呼んでって……前も言った……」


 ノノの話しかけた剣から、少し気だるそうな声で言葉が返ってきました。

、それはその名の通り、声を発する魔剣でした。


 ――――――――――――――――――――――――――――――


「ウルムケイトはお話しながら研げばいいんだっけ?」

「うん……もし長い間黙ったら……砥石を壊すから……」


 少し前まで長い時間座っていた椅子に座り、先ほどまでの集中した顔とは違う笑顔でノノは剣を砥石に当てていました。

 少し物騒なことを言ったウルムケイトの声の魔剣の言葉は、静かな部屋に響くことなく消えます。ノノはその声を耳で聞いたような、体全身で受け止めたような不思議な感覚に襲われました。この魔剣、音ではなく声を伝えるときは持ち主にしか聞こえないようになっています、それは機構ではなく、魔剣の持つ不可思議な特異性によるもの。


「アルトノーツの紅の魔剣は……切りつけたものを炎に変える魔剣……普通の研ぎ方だと勿論怒って砥石を燃やしちゃうから……数分に一度氷で刀身を冷やしてくれっていうのが条件だった……」

「炎みたいにきれいな赤色だなって思ってたけど、ほんとに炎の魔剣だったんだねっ! 他にはどんなこと言ってたの?」

「そうだな……能力と同じで熱い奴だったからいろいろと……一番話してたのは、使い手にこんなに使ってもらってるって話だったかな……」

「そうなんだ、確かにあの人……ルーさんなら大切に使ってあげてそう! ふふー、やっぱりウルムはすごいなっ、普通は聞けない話が聞けるから!」

「ウルムケイト……それに、すごいのはボクじゃないよ……ボクはたまたま音っていう力の副産物で、剣として使ってくれる者――、人の言葉を喋れるようになっただけ……有効に使おうと考え付いたのはモルガの方だ……」

「……そうだね、ししょーはすごい人だ。ふぅ……こんな感じでどうでしょーかっ!」


 話しながら動かしていた手を止め、砥石から離して剣を高く掲げながらノノはその剣に聞きました。


「うん……いい感じ……最初の時よりはるかにうまくなってる、不快感も感じなかった……」

「えへへっ、今日はたくさん褒められる!」


 喜びを少し抑えきれないようで、ノノが体を左右に揺らします。鞘に納めた剣をモルガがいつもそうしているように腰に下げた後、先ほどまでとは急変して落ち込んだような声音でぽつりとこぼしました。


「ねえ、ウルムケイト……ししょーの昔の――、鍛冶屋だった時のこと、知ってる?」

「……どうしたの、急に……」

「そういえば聞いたことなかったなって……ウルムケイトはわたしより前からししょーと一緒にいたよね? だから……ししょーがどうして研ぎ師になったのか、教えてほしくて」

「……知ってるけど教えられない、モルガと約束してる……」


 完全な静寂が訪れました。重苦しい雰囲気の中、さきに「でも」とつぶやいたのはウルムケイトの声の魔剣の方。


「いつか、きっと話してくれると思う……ボクに話してくれた時の様に……」

「そっか……そうだよねっ。いつか、きっと話してくれる時が来るよね」

「……ボクの方からも、一つ聞きたいことが……」

「はいっ、なんでしょう!」


 少ししんみりとした雰囲気の中、剣の質問にたいして気持ちを切り替えながら応じると、剣は一瞬悩み――顔がないので正確にはわかりませんが、そういった感じの間を置いて質問をしました。


「……ノノ、君に妙に強い仲間意識を感じてしまうんだけど……なぜだかわかる……?」


 その問いに、ノノは満面の笑みでこう答えるのです。


「それはねウルムケイト、きっとわたしとあなたとししょーが、同じ場所で働いたり話したりする……本当の仲間だからだって思うなっ!」

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