インディキュリアの降雨の魔剣

 緑の色濃い山の奥、頂上に近い場所に一軒の家が建っています。

 その家からちょっと離れて、表道から少し逸れたの山の中に、一本の川がゆったりと流れていました。

 透明度が高く、底まで見えるきれいな川を流れに逆らわずに魚が泳いでいます。そんな魚達の目の前に、上から小さな餌がぽちゃんと音を立てて沈んできました。


「おーさかーなさーんっ」


 沈んできた餌に魚が群がっているところを、一人の少女が寝そべりながら眺めていました。歳は十代前半。灰色の少しぶかぶかなセーターを着ています。腰まで伸びた白髪は背中に収まりきらずに地面に着いてしまっていますが、微塵も気にしていない様子。明るい赤色の両目は、魚とその泳ぐ川をじっと見つめ、やがて――


「……うぅん、水の高さ、ちょっと低くなってるような……ししょーに報告するべきだよね、うん」


 ぴょんっと跳ねるような動作で起き上がりました、びっくりした魚が素早くその場から泳いで逃げます。

「魔剣っていう不思議なものを扱ってる以上、些細なものでも気になったことがあれば言うこと」というのが少女のししょーの言葉、少女は少し駆け足気味に、森の中を引き返して行きました。


 ――――――――――――――――――――――――――――――


「ししょー、ししょー!」

「ん、ああ、おかえりノノ」


 腕をブンブンと振りながら、ノノと呼ばれた少女が全速力で走っています。

 その先の家の前には、ノノからししょーと呼ばれている茶色がかった髪の、腰に一本剣を下げている青年が一人。自分のことを呼ぶノノに気がついた青年は、彼女の方に振り向くと飛び込んできたノノをしっかりと受け止めます。


「報告っ! 表道に近いところの川の水がちょっと減ってるような気がしました!」


 青年に抱き着いたまま、上目使いでノノが話します。青年は微笑みながら、ノノの頭をねぎらうように撫でました。


「了解、後で確認してくる……けど、理由はすぐにわかるかも」

「なんで? ……はっ! まさかししょーに新たな力が!」

「備わってないし、身に付ける予定もありません。ほら、家の中のぞいてみろ」


 抱きついた状態から一度離れて言われたとおりにノノが覗くと、砂で汚れた大きめのバッグが玄関に置かれていました。二人のものではない見慣れないバッグがあるということは、当然お客が来たということ。


「お客さん、とても疲れてるみたいだったからな。とりあえず水渡して家に上がらせて、置いてったバッグを今から向こうに持ってくとこだったんだ」


 そう言いながら、青年はバッグを持ち上げます。歩き出した青年の後ろをノノが小走りでついていきながら部屋の中へ。


「改めて。はじめまして、僕の名前はモルガ、こっちは弟子のノノです」

「はじめましてーっ!」


 モルガと名乗った青年が開けた扉の先、部屋の中には一人の男が正座していました。

 顔が疲れでやつれているためか少し老けているように見えますが、身長はモルガとあまり変わらないくらい。白いシャツの上に黒色の汚れたコートを羽織っています。


「え、ええ。はじめまして、モルガさん。ノノさん。」


 男は緊張した様子で、そわそわと体を動かします。

 モルガはその前に座ると、持ってきたバッグを手渡した後に話しはじめます。


「さて、こんな山奥まで来ての依頼ということは、魔剣の研ぎの依頼だと思ってもよろしいでしょうか」

「はい、と言っても研ぎの依頼よりは、手入れの依頼になりそうですが……これです、名を


 そう言って、男は一本の剣を差し出します。深い青色の柄に、鞘の上からでもわかる細身の刀身。モルガは一度自分の腰の剣を軽く触った後、その青色の剣をゆっくりと引き抜きます。

 剣は、一般的にはレイピアと呼ばれる物でした。青が特徴的な柄とは違って、刀身には特に変わったところは見えません。レイピアにも種類がありますが、これは基本的な両刃のものではなく刃がつけられていない刺突に特化した形のもの。


「なるほど、確かに研ぐべき刃がない以上、研ぎの仕事はできませんね。わかりました、手入れの依頼、全力でやらせていただきます……それにしても、簡単な手入れ位であればご自身でもできると思いますが、こんな山奥まで来られた理由、よければ聞かせていただけないでしょうか」


 剣を鞘に納め、ノノに布巾を持ってくるよう言った後、モルガは男に向かって問いました。男は目を閉じて、静かに話しはじめます。


「……この剣は、私たちの村を守ってくれているんです」

「と、いうと?」

「私たちの村は、ここから遠く……歩いて大体4日ほどかかるくらいの距離にあります。村の周りは地面が砂になっていて、とても住めそうにはない土地です」

「その砂から、この魔剣が村を守ってくれている、と」

「はい、この剣は不思議なことに、地面に刺してしばらく置いておくと、雨を降らせてくれるのです。私が生まれる前から村に刺さっていたらしいこの剣はその力で村を干ばつから守ってくれていたのですよ」


 長い言葉をゆっくりと喋り、男は一呼吸を置きます。モルガは相槌を打ちながら静かにそれを聞いています。


「それで最近、この剣への感謝として、だれかその道の人に手入れを頼もうという話になったのです。そして山奥に住む魔剣専門の研ぎ師の話を知り、私が代表してここまで歩いてきたわけです。」

「……剣がない間、水は大丈夫なんですか?」

「はい、溜めこんでいる水の量が、私が行って帰ってくるまで持つと安心できる量になってから来ましたから。私の分の水は、この剣で雨を降らせればいいだけですし。砂の土地越えではずいぶんお世話になりました……」


 男が話し終えたという様子でモルガに笑みを浮かべます。モルガは数秒何かを考えた後、男に微笑み返しました。


「なるほど。お話、ありがとうございます」

「いえいえ……多少時間がかかってもいいので、きれいにしてやってください。その剣は、私たち全員の宝ですから!」



 ――――――――――――――――――――――――――――――



 手入れを終えた剣を持って、嬉しそうにお礼を言いながら去って行く男を見送った後、モルガは真剣な表情で考え事を始めました。


「8……いや、あの様子を見ると6日後か……?」


 一人で小さくぶつぶつとつぶやくモルガを心配して、ノノが右手を握りながらモルガの目を見つめます。


「ししょー、どうしたの……? 大丈夫? 何か不安なことがあれば、わたし、力になるよ……?」

「……ああ、一つ不安なことがあってな。ノノ、ちょっと頼みたいたことがあるんだ」


 自分を見上げているノノに目線を合わせるためにしゃがみ、左手でぽんぽんと頭を撫でながら、モルガはいつもより優しい声で言いました。


「多分6日後にちょっと大事なお客さんがくるから、近くなったらもう一度言うけど、その日はちょっと裏道の方で遊んできてくれないか?」



 ――――――――――――――――――――――――――――――



 ――その日、雲一つない晴れの日に、モルガはいつものように部屋で剣の手入れをしていました。

 ノノは遊びに出かけていて、音ひとつない静かな家の中。そこに一つ、荒々しい音が響きました。手入れをした剣を鞘に納め、左手に持ったまま部屋から出たモルガは、その音の正体を知ります。

 そこには、男が一人立っていました。白いシャツの上に汚れた黒いコートを羽織った、今からちょうど6日前にここを訪れた男。その顔には以前会った時とは違い、疲れの表情はありませんでした。

 代わりにそこにあったのは、強い憎悪。引き抜かれたインディキュリアの降雨の魔剣を構え、息を吐いた後――、


「お前のせいで……! お前のせいでぇ!」


 声を荒げながら、男は剣を突きさすために前傾姿勢で走り出しました。

 モルガは表情を変えず、持っている剣を少し引き抜いて、


 高い金属の音が響いて、男が仰向けで床に倒れる音が続きました。

 倒れて気絶している男に近づきながら、モルガはポツリポツリと言葉をこぼします。


「お前のせいで村が、かな。……まったく、ひどい言いがかりだ」


 そのまま男の傍に着くと、男が手に持っていた剣に触れます。


「この剣――、インディキュリアの降雨の魔剣は、ただ単に雨を降らせることができる便利な魔剣じゃないんだ。魔剣が剣である限り、その本質は武器でしかない」


 剣を持ち上げて、その剣を見つめます。青い柄に、特に異常性の見られない刀身。


「この剣の本質は、突き刺したものか、その周りから水分を奪い取る魔剣だ。そして一定以上水分を奪うと、それを雨として吐き出す。それを、君は村の近くで使ったんだろう?」


 男から返事はありません。仰向けのまま気絶している男に向かって、モルガは剣先を向けました。


「……ごめんな、この剣を見せてもらった時点で、君の村が滅んでるか、そうでなくても壊滅的な被害を受けてることはわかってた。そのことで、僕を恨むのも、何となく理解はできる。それでも――、」



「ごめんなさい、僕も死にたくはないから……ごめんなさい」


 快晴だった空に、雨が降り始めました。

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