サルドヴィヴィアの幻影の魔剣

 緑の色濃い山の中を、一人の男が歩いていました。

 少し長めの黒髪に、すらりとした長身。身に付けている深緑色の服は山の木々達の色に溶け込んでいます。腰には一本、幅が太くあまり長くない少し不格好な剣を下げています。

 男は両腕をだらりと下げながら、足腰の力でゆっくりと確実に山の道を進んでいきます。他の場所と違って明確に道と呼べるほどには整備されている道ですが、街とは違いここは山の中。腰ほどまでの長さまで伸びた草と道の左右から伸びた細い枝が道を進むのを妨げています。


「……あとで、謝っておかなければ……」


 男はそう独りごとを言うと、だらりと下げた手を使わずに変わらぬ速度で山を登ります。遮っていた枝が彼にぶつかる直前、それは突然支えを失ったように重力によって落下しました。


「やはり、このようなところに住む者は、このような枝木の一本にも拘りがあるのだろうか……」


 ――――――――――――――――――――――――――――――


 男が登る山の奥、頂上に近い場所に一軒の家が建っています。

 その家から少し歩いたところにある倉庫の中に、一人の少女が座っていました。少女は倉庫の真ん中で、ゆっくりと周囲を見渡します。

 そこにあるのは、何十、何百という数の大量の細身の剣。その一本一本すべてが、一人の青年の手によって作られたことを少女は知っています。少し前にセイホロの鍛冶職人に聞いた話では、一本この剣を作るためにかかる時間は、そう短いわけではないとのこと。


「……ししょーは」


 薄暗い倉庫の中で、少女は立ち上がると一本剣を持ちました。長く細く重たい剣、鞘から引き抜くと、その刀身はまるで芸術作品のよう。これほどの剣を、これほどの量作り出した青年の剣に向けた熱意を、そして青年が作りたかったものを、少女は計り知ることができません。


「いったい、どんな剣を作ろうとしたのかな……」


 一人、少女は小さく声をもらすとゆっくりと剣を戻しました。そして少し暗い顔で考え事をします、浮かぶのはコルハリグルの継接の魔剣を手にしていた女性のこと。青年が美しいと言った魔剣のことを、呪いの様に扱い憎悪していた女性の声や顔は、ノノの心に決して浅くない傷を負わせました。

 ぺちんっ、と小気味のいい音を出しながら、少女は自分の両頬を手で叩きました。そのままぶんぶんと頭を振って、いつものような笑顔を浮かべます。

 暗いことだけ考えてもしょうがないから、今日の夜ご飯は何がいいかししょーに聞いてこようっ! そう思いながら少し駆け足で倉庫を出て――、少女はそれを見ました。


「……あっ、すまない、この家の方だろうか」


 玄関先に、長身で緑色の服を着た男が立っていました。腰には一本の剣が下げられていて、両腕は奇妙にだらりと下げています――ここまでは、まだ普通。

 問題は、彼の頭の上に浮かんでいる光。薄い紫色の光が、大体彼の下げている剣とおおよそ同じような形をとって空に浮かんでいます。少女がその光に驚いて一歩後ずさると、男は力なくぶらりと下げた両腕が地面に着くのも気にせず、少女と同じ目線の高さまで屈んで言いました。


「こちらの家に実力のある魔剣専門の研ぎ師がいると聞いてきたのだが……反応がないので、呼んでもらっても構わないだろうか?」


 ――――――――――――――――――――――――――――――


「ようこそこんな山奥まで、僕の名前はモルガ、研ぎ師をしています……それで、向こうにいるのが……」

「で、弟子のノノです……」


 家の中の一室で、モルガと名乗った青年と緑の服の男が向かい合っています。ノノと名乗った少女は、いつもいたモルガの隣から少し離れて、入り口扉の影からひょこっと頭だけを出して覗いています。


「……すいません、普段はあんなに距離を置かないのですが……どうか気を悪くなさらず……」

「いえ、大丈夫ですよ。玄関であった時、少し威圧してしまいましたし」


 正座の体勢で、男は温和そうに笑みを浮かべます。では依頼の話を、と男が言うと、男はだらりと地面に着いた手を動かさず、代わりに彼の周りを漂っていた紫色の剣の形の光がひとりでに器用な動きで腰に下げられている剣を鞘から引き抜きました。

 鞘から見てわかる通りの、幅が太く長さが短い剣。その刀身はまるで未使用のようにきれいで、傷一つありません。


「この剣が、あなたに研ぎを依頼したい剣です……名前は、わたしにはわかりませんが」

「……失礼ですが、その腕は……」


 光の剣の上に乗って、腰に下げていた剣がモルガの目の前まで運ばれます。左手でその剣を持ったモルガは、右手で自分の腰の剣に触れながら男に聞きました。

 だらりと下がった両腕をちらりと見て、静かに微笑みながら男は返します。


「ええ……動きません。その剣、刀身がきれいでしょう? ……一度も、振ったことがないんです」

「よろしければ、魔剣に会った時のお話を聞かせていただいても?」

「話すほどのことでもありませんが……ええ、構いませんよ」


 その言葉を聞いて、モルガは一度剣を鞘に納めなおして床に置くと、後ろを振り向きながら自分の隣の床をトントンとたたきます。

 その目線の先でこっそりと立っていたノノは、自分を呼ぶその動作に少し怯えながらモルガの後ろに隠れるように座りました。ノノが座ったのを確認してから、モルガは男に向かって一礼をします。


「見ての通り、わたしは腕が使えません……後天的なものです、わたしの住む国でその時はやっていた病で、体の末端……ひどい場合は、わたしのように腕全体や足全体と言ったような部位の感覚が消えてしまう病気です」

「それで、腕が……」

「はい、当時の私の夢は紙細工師で……それはまあ、ひどく絶望したものです。泣いて、叫んで。そのまま家出したのを覚えています」


 静かに語る男を、ノノはまだ少し怯えた顔で見つめています。モルガはそれに気付くと、自分の手をそっと重ねて微笑みます。


「気が付けば、わたしは少し離れた洞窟の中まで走っていました。猛獣がいるから中には入らないように親に言われていたのですが、その時のわたしは、自分でもわからないうちに中に進んでいました」

「そこでこの剣を見つけたと」

「……今でも思い出します、本当に不思議な体験だった。この剣を最初に見た時、何かに導かれるように、自分でも不思議なくらい必死にその剣に触れようとしたんです」


 男の目線が空に向きました。その懐かしむような表情に、ノノは少し戸惑いながらも背中の後ろから離れ、いつものようなモルガの横の位置に座りなおしました。


「この魔剣の特異性は見ての通り、紫色に光る剣の形の何かを作り出すことが出来るということです。……わたしの意志とは違うもので動くこの紫の光は、わたしの両腕の代わりとして動いてくれるんです……」


 その言葉に反応するように、男の周りを光の剣がくるくると回ります。その動きを目で追いながら、男は言いました。


「わたしに、この剣は振れません……一度も使ってあげられていません、一度も、剣としての役割を果たさせてあげれていません……だから、せめて剣としての何かをさせてあげたいと思ったのです――この剣は、私の希望ですから」

「……おはなし、ありがとうございました」


 ふぅ、と息を吐いて、静かな笑みを崩さないまま男は話を終えました。モルガは一言礼を言うと、剣を持って立ち上がり、そして男に言いました。


「……研ぎに入る前に二つ、一つは……この剣の名前は、サルドヴィヴィアの幻影の魔剣と言います」

「……なぜ、名前を?」

「そしてもう一つ、あなたはこの剣に、剣としての役割をさせてあげられないと言いましたが……この剣は、あなたに使われてとてもうれしいって、そう言ってますよ」


 ――――――――――――――――――――――――――――――


「あの人、嬉しそうだったね」

「ん? そうだな、こっちまで嬉しくなるよ」


 日の沈み始めた夕方ごろ、夜ご飯の用意をしながら別の部屋にいるモルガにノノは声をかけました。やや遅れて、モルガの声だけが返ってきます。


「ねぇ、ししょー。ししょーはいろんな魔剣を見てるよね」

「ああ、普通の人よりははるかにたくさん見ていると思うよ。そのための仕事でもあるから」


 お互い声しかわからないその距離で、ノノはモルガに言葉を続けます。


「じゃあししょーは、良い魔剣と悪い魔剣の違いって、わかる? 出来とか、そういう話じゃなくて……」


 その言葉に帰ってきたのは、モルガからの優しい声でした。


「……悩んでたのは、そのこと? ノノ、前も言ったように、魔剣っていうのはあくまで道具だ――、それ自体に善悪はない、その要素を持たせるのは、そういう考えをする人間なんだよ――、ああ、でも、もしかしたら。善悪を持たせるのが人間なら――」


 その声が、途中で止まりました。それ以上の声が返ってこないまま、食材を焼くぱちぱちと言う音が、静かにノノの耳に残りました。

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